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けがれなき神の家族

ニュースレター(2012年夏)

2020.09.05 04:26

主の潔白の子どもたちの皆さまへ

主は、主の潔白の道と聖家族の修練のより深い洞察を、様々な形で示し続けてくださっています。自然界における神の創造の秩序にふれることで、私たちに示してくださっています。ベトレヘム牧場で私たちは、実践的に秘跡を生きる努力と、カトリック信仰と主の潔白のメッセージの学びを通して、聖家族の修練を生きる努力をしています。皆さま方も、主の潔白の道において背丈も知恵も洞察力も成長(ルカ2:40)しておられることを希望し、祈っております。多くの皆さまがお気づきのことと思いますが、主の潔白の道は単なる信心生活への助けというだけでなく、本気のカトリック信者となるには切り離しては考えられないものです。

今号(「キリストの聖なる潔白の道」DI20)では、まだ読んだことのない方たちのために、以前のメッセージの再録もいたしました(メッセージ再録と記載しました)。読んだことのある方にとっても、読むたびにより深い洞察が与えられますので、その教えは必ずお役に立つはずです。

今回は、司祭がご聖体をかかげている絵もお送りしました。子どもたち(大人でも)にご聖体の神秘を教えるために利用できるでしょう。ホスチアの上に、神の小羊のシンボル、その上に聖霊のシンボルの鳩、その上には御父のシンボルである神の御手が描かれています。

ホスチアには、ラテン語でコーパス・クリスティCorpus Christi(キリストの御体)と書かれています。

カテキズムのクラスで子どもたちがこの絵に色を塗るのもよいでしょう。あるいは、ミサやご聖体に関する絵を探してきて、この絵を表紙とした冊子を作ってもよいでしょう。刺繍のパターンに使ったり、聖務日課のカバーにするなどのアイディアも出ました。この絵の活用法のアイディアがありましたら、是非お知らせください。

「十字架行進」(8月)の写真など出来上がりましたら(イギリスでも国外でも)、是非こちらにお送りください。皆さまのニュースは、いつも本部の者たちを大いに勇気づけてくれます。十字架行進へのご参加や、行進する人たちのためのお祈りを是非お願いいたします。

私たちの教区の大司教様に手紙を出し、私たちと対話する機会を設けていただけるようにお願いしております。これが実りあるものとなるよう希望しています。この意向のためにもお祈りいただけましたら幸いです。

スバッシュ(訳注:マザー・パトリシャの長男)が初金曜日の学びのプログラム「『体の神学』のための入門講座」の案内役を務めています。これはヨハネ・パウロ二世のカテケージスからとってきたものです。月の第二木曜日には、ベトレヘム牧場で数人が集まり、聖霊の賜物について黙想しております。いずれの日にも、主の潔白の霊性についての、私のより深い洞察を、皆さまと分かち合っています。以下の内容を、皆さまと分かち合わせていただきたいと思います。


教皇聖クレメンス一世の書簡より

「聖なる者と共に過ごすことを求めなさい。そうすれば自分自身も聖なる者となるからです。」…潔白(純真無垢)な者と共にいればあなたも潔白(純真無垢)となり、選ばれた者と共にいれば選ばれた者となり、わがままな者と共にいればわがままな者となるでしょう!ですから、潔白で正しい人々と共に過ごしましょう。なぜなら、彼らこそが神の選ばれた者たちだからです。

なぜあなた方はこのように口論して悪い血を流し、反目しあい衝突するのですか。私たち皆に同じ神、同じキリストがおられるのではないのですか。私たち皆に同じ恵みの霊が注がれているのではないのですか。」

悪い友は、その人の霊的生活と救いにとって大変危険であるということが分かるはずです。悪い友といれば潔白(純真無垢)でいるのは難しく、自分勝手な者は他の人をもすぐに自分勝手な生き方に引きずり込みます。

私たちは、一緒にいる人たちと似た者になりやすいのです。私たちと神との関係にとってあまり望ましくない人や場所を避けることができない場合でも、私たちはできるだけ良い友達といるよう努力しなければなりません。もちろん最善の友は、イエズス様です。ミサの聖なる犠牲や聖体大学、聖書を読むこと、他の人と共に祈ること(マタイ18:20)などを通して主と共にいることができます。神ご自身の家族という良き同伴者と共にいるという意識をより深く持てるよう、日々、自分自身を霊的に聖家族のうちに置くことを忘れないでください。

教皇聖クレメンスの書簡にあるように、神の選ばれた者たちは潔白で正しいのですから、主と聖母と聖ヨゼフに、他の人たちと共にいても潔白を保ち、争いに導くようなあらゆることを避け、私たちが平和をもたらす者となれるよう教えていただきましょう。「平和をもたらす者は幸い、彼らは神の子と呼ばれるでしょう」なのですから。

イギリスは夏が来たとは言い難い状況です。年の初めの頃は渇水で大変でしたが、今度は夏らしさが全く見られず、イギリスの一部では洪水が起きています。ニュースを見ると他の国でも異常気象で洪水、干ばつ、火災などがあり大変な状況のようですね。

ベトレヘム牧場では毎日雨が降り、草が生い茂っています。次は干し草収穫のために長い乾期が必要です。今のところ地面が水びたしで牧草地に入ることもできません。今年、良い収穫で天が私たちを祝福してくださるよう、皆さまのお祈りの特別な意向に加えてくださいますようお願いいたします。

牧場では、小さい子も大きい子も引き続き、木材加工を学んでいます。これまで手押し車、聖家族チャペル用の聖書台、献金箱、幼き王たるイエズスのご像を飾るための小さな神殿など作成しました。また、庭の野菜用の札や、いつもの剣や弓矢などの武具なども作りました。

縫い物教室もうまくいっており、男の子にも女の子にもミシンの使い方を教えたいと思っています。エルダー・フラワー(ニワトコの花)のシロップも作りました。このシロップに炭酸水を加えるとノンアルコールのおいしい飲み物になります。続いてジャムを作る予定です。

女の子たちは野菜の庭に玉ねぎを全部植えましたが、みな芽を出しました。クルミの木とムラサキハシバミの木も植えました。ここでは、果物・野菜・花を育てる仕事が、(訳注:主の潔白の)霊性、聖務日課、聖家族の修練の生活と結び付けられています。ここでのこの生き方をしている人々にとって、神の創造の秩序と、主が聖家族と教会の中に打ち立てられた神の秩序は、心の平和と体と魂の健康以外もたらし得ないのです。この健全な営みを見て、体験した来訪者や子どもたちが、このことを理解してくださるよう私たちは願っております。

皆さまに心からのごあいさつをお送りし、献金、お祈り、とりわけミサ(ミサ・カード)に感謝いたします(訳注:キリスト教国では、ミサをたててもらう場合、事前に教会や修道会がミサ・カードを出してくれることが多いようです)。私たちはいつも、ミサをお願いしてくださる方たちの個人的必要も、このミサを通して得られるようにとお祈りしています。ミサをお願いしてくださるのは本当にありがたいとことです。ミサの力は無限大で、全ての人を含めることができますので、私たちの受け取るミサ・カードの意向にあらゆることを含めることにいたしましょう。

聖なる幼な子イエズス様がいつも皆さまと共にいてくださいますように。マリア様が母性的祝福を皆さまに与え、ヨゼフ様が皆さまをお護りくださいますように。

マザー・パトリシャより



                                         

以下のメッセージでは、主の潔白の家族に関わるいくつかの点(例えば、国土の上の十字架のしるし、秘められたる神秘の御傷の聖母に誉れを帰すこと、十字架につけられた潔白と勝利の潔白の小十字架の重要性、カトリック信仰の学び)が良くまとめられており、黙想するにも役立ちますので、掲載いたします。


2006年7月7日、初金曜日の「つぐないの行進」、松ノ木にて

パトリシャ:イエズス様がお出でになり、こう仰せられました。

イエズス:あなたは、自分たちの人数がこれほど少なくてどうしたら良いのかとたずねるのですか。

イエズス:このコマドリを見てごらんなさい!

パトリシャ:松の木の横の古いレンガ壁の上に、小さなコマドリがとまっていました。コマドリは、ヒナにやるために、くちばしにたくさんの虫をくわえていました。

イエズス:コマドリはまことに小さいのですが、自分の次の世代のために勤勉に働き、エサを運んでいます。あなた方もこのようにすべきです!引き続き、あらゆる努力をもって神なる私の潔白の道のメッセージを書き記し、広めてください!信仰の学びを継続し、教会中に聖体大学を広めてください!秘められたる神秘の御傷の聖母を、これまでよりももっともっと広く告げ知らせてください!

産まれる前に殺された胎児の教会認知宣言について、教会の扉をたたき続けてください!聖家族の修練を生き、広めてください!あなた方の国の上に十字架のしるし(あなた方のあがないのしるし)をえがいてください!聖体メダイと、十字架につけられた潔白と勝利の潔白の小十字架の認知度を高めてください!主の潔白の道を子どもたちに教えてください!あなた方のつぐないに感謝します。これはまことに必要なことです。私からの祝福を与えましょう+。

マザー・パトリシャの質問は、おそらく私たちも疑問に思ったり、頭に浮かんだことのある質問でしょう。私たちはどうしたら良いのでしょうか。あるいは、主の潔白の道の手助けとなるために、私には何ができるのでしょうかと言ってもよいかもしれません。主がマザー(パトリシャ)に対して言われることは、私たち皆に言われていることなのです。要約すると、次のようなことになるでしょう。

○信仰を学ぶこと。

○聖体大学(ご聖体の御前での学び)を広めること。

○秘められたる神秘の御傷の聖母を、より広く知らしめること。

○司教・司祭・一般信徒の間に、堕胎された子どもたちは殉教者であり、カトリック教会が自分の子どもであると認知宣言をすべきである、という認識を高めること。

○聖家族の修練を生き、広めること。

○自国に十字架のしるしをえがくこと。

○イエズス様の現存への愛のゆえに聖体メダイを身につけている、ということを忘れないこと。

○十字架につけられた潔白と勝利の潔白の小十字架を持ち歩き、このメッセージを必要とし、キリストにおける潔白の再生の恵みを必要とする人たちにこの小十字架を配ったり送ったりすること。

○子どもたちは将来の教会なので、主の潔白の道を教えること。

このリストを切り取って、ご自分のミサ典書や聖務日課、祈りの本等にはさんでおき、この実践のために神の御助けと御導きを願うというのもよいでしょう。


各国の上の十字架のしるし‐8月17日:秘められたる神秘の御傷の聖母に誉れを帰する日

8月17日には、あらゆる努力をつくして聖母に誉れを帰してくださいますようお願いいたします。お友達や宣教会などに秘められたる御傷の聖母のご絵を送るというのもよいでしょう。聖母のご絵やご像の前に集まってロザリオを唱えるのもよいでしょう。自宅の目立つ窓に聖母のご像を置いてもよいでしょう。ご自分の国に十字架のしるしをえがく助けとして、どんなことでも結構ですので何かしていただければ幸いです。これは8月17日に向けて行われます。このわざは、私たちの国に本当に大きな恵みをもたらすものです。行進の初めか終わりにミサに与ることができれば、なお素晴らしいです。主要な十字架のしるしのルートから遠くて参加が無理な場合は、ご自分の地域で四つのカトリック教会を結ぶ十字架のしるしを、大きな十字架と一致してえがくということでも良いでしょう。神は困難な状況でもあらゆる努力をつくす皆さまを見ておられ、大いなる恵みを注いでくださいます。


秘められたる神秘の御傷の聖母の小さいご像

本部では、秘められたる神秘の御傷の聖母の小さいご像(9.5インチ、26センチほど)を作成しました。イギリスのファイン・ボーン・チャイナ社(株)によるハンドメイドのご像です。8月17日のため、ご自宅の祈りの場のため、あるいはプレゼントとしてもご活用いただけます。

ご自宅での聖母信心への良い助けとなることでしょう。ご像には二種類あり、色つきの物(マザー・パトリシャが見た聖母の御姿と同じ、薄いピンクの衣と薄いブルーのマントに塗られています)と、白地に色つきのみ心と神秘の御傷(両手・両足・み心の上)を表す銀色の星のついた物があります。色つきのご像は50ポンド、白地のご像は45ポンドになります(いずれも郵便代金は含まれていません)。


カトリック信仰の学び

多くの方がご存じのように、主の潔白のメッセージの教えでは、カトリック信仰の体系的学びがとても重要な位置をしめています。聖母のお望みで、初金曜日の「つぐないの一日」の中で、私たちの信仰の知識を深める時間をとるようにと言われています。

初金曜日は、近年のカトリックの伝統として聖心の特別な日となっていますが、この日は愛に満ちたつぐないに焦点をあてるのにふさわしい日と言えるでしょう。主の潔白の子どもたちは、愛に満ちたつぐないの生活を送るよう招かれています。私たちは、つぐないには様々な形があることを知っていますが、苦しみ、痛み、困難、苦闘、犠牲などにかかわるあらゆることをキリストの救いの犠牲に合わせて償いの捧げ物とすることができ、それは自分の救いにも、人の救いにもつながるものです。時間と努力を惜しまず、カトリック信仰について何か新しいことを学ぶのもまた、償いの捧げ物となることを、聖母は指摘されました。

2004年12月3日、初金曜日、信仰を生き、学ぶことについて

理解力が増せば、あなたも神と真理を知ることに喜びを感じるようになるでしょう。数多くの者たちがあなたの助けを必要としていますが、あなた自身が信仰の知識を欠いていたら、飢えた者を助けることはできないのです!あなた方のつぐないに感謝しています。信仰の学びという償いを私にください。そして、聖家族の生活とカトリック教会の教えに100パーセントコミット(献身)する者となってください!

体の神学

今、ここサービトンで初金曜日の学びの課題となっている「体の神学」について、皆さまと分かち合いたいと思います。ヨハネ・パウロ二世は教皇在位中の最初の大きな教えのプロジェクトとして「体の神学(Theology of the Body)」を取り上げました。これは教皇様の一般謁見カテケージスの際の129の講話からなるものです。

「これは、二人は一体となるという召し出しのある中で、人が男と女として肉体をもつ意味の福音的考察です。しかしながら、この『体の神学』が結婚した人たちだけのものではない、というところが重要になってきます。」

なぜこれが既婚者のためだけではないというのでしょうか。聖なるヨハネ・パウロ二世はカトリックの伝統と哲学を古いものから新しいものまでたどり、二つの普遍的質問に答えを見いだそうとしておられます。それは、「人間であるとはどういうことか。」と「本当の幸せのためには、人生をどのように生きればよいのか。」という疑問です。私がメリーベール大学で神学の学位コースを学んでいた時、この「体の神学」の本に出会いました。この本は、個々の講和を一冊にまとめたものです。しかしながら、これはそう簡単に読める本ではありません。クリストファー・ウェスト氏が教皇様のカテケージスをもとに、本を書いたり話したり資料を作ったりしておられ、この学術的書物もひもときやすく、よりアクセスしやすいものとしてくれています。私たちが活用しているのは、ウェスト氏の話をテープ・CD・DVDなどにしたものと、それに伴うスタディー・ガイドです。このスタディー・ガイドから一部を以下に記します。

  福音書にそって、ヨハネ・パウロ二世は、二つの性の一致が提供する「レンズ」が、それを通して神の人類への御計画の全体像を見るためのものであることを示しておられます。神の永遠のご計画は私たちを「結婚」させることにあります(ホセア2:19参照)。それは命と愛の永遠の一致のうちに神が私たちと共に生きるためなのです。そして、神は、この永遠の「婚姻の計画」が私たちにとって本当に単純明白なものとなるために、結婚の姿を私たちの存在を男と女に創造されることで、人間の在り方そのものに反映されたのです。

このようなわけで教皇様は、肉体を神学(「神の研究」)として話されるのです。体は、男性として、あるいは女性としてのそれぞれの真理の充満において、世に神の神秘を宣言するものです。神の神秘とは何でしょうか。カテキズムによると「神はご自分の最も内的秘密を明らかにされました。神ご自身が永遠の愛の交換であり、父と子と聖霊であり、私たちをもその交換の中に与らせるようにと定められたのです」(カトリック教会のカテキズム221)。

  「『体の神学』は、体というものから(1)男女の一致へ、そして(2)キリストと教会の一致へ、そしてそこから(3)父と子と聖霊との永遠の一致へというように、体から聖三位へと上昇する、これまでにないほど活き活きとした旅路へと私たちを招いてくれます。」

  『入門 体の神学』アセンション・プレス

(An introduction to the Theology of the Body. Ascension Press)


主の潔白のメンバーの一人がこのクリストファー・ウェスト氏の『入門 体の神学』の教育プログラムについて教えてくれました。私は、この内容を深く学べば学ぶほど、ヨハネ・パウロ二世の教えは、主の潔白のメッセージにとって大変意義深く、タイムリーなものであると確信するようになりました。この教えは、私たちの男性・女性としての異なるけれども補い合う役割が救いと社会全体にとってなぜ重要であるかを、より明るく照らし、理解を深めるものです。人類が男と女として創造されたことは、私たちの救いと無関係ではありません。私たちが本気で聖家族の修練を生きたいと望むのであれば、私たちは主と聖なるご夫妻にこうお尋ねすべきです。カトリックのキリスト者として良き男性になるとはどういうことでしょうか。カトリックのキリスト者として良き女性になるとはどういうことでしょうか。そして、それを学び、実践できるよう祈り、努力することです。『体の神学』はこの点で私たちを助けてくれることでしょう。


十字架につけられた潔白の十字架

私たちは、いまだに小十字架(勝利の潔白と十字架につけられた潔白の小十字架)の完成を待っています。新しい型はよしとされましたが、なんらかの形でこの十字架の名称などを刻み込む必要があると判断されました。説明なしに渡された場合でも、十字架の名称やどこから来たものかが分かるようにするためです。この小十字架の完成を、皆様の祈りの特別な意向としていただければ幸いです。世界中の多くの場所で、この十字架は、慰めと希望を与えてくれることでしょう。

1985年8月1日

イエズス:この姿(訳注:十字架につけられ、うなだれた様子の幼な子)は、あなた方の苦痛、寂しさ、こんなことにならなければよかったのにというあなた方の思い、完全になりたいというあなた方の望み、平和への望み、愛への望みを表しています。あなた方の望みをこの(訳注:十字架につけられた潔白の)姿を通して私にください。幸せな家庭生活への望み、優しく愛に満ちた人間関係への望み、平和と正義への望みを、この姿を通してください。あなた方の傷ついた体と、捕われた心と知性を私にください。霊的あるいは肉体的に捕われた状態にあっても、私の「勝利した潔白(キリストの十字架上の勝利)」を思い出してください。そうすれば私はあなた方の十字架につけられた潔白を思い出しましょう。パトリシャ、あなたは昨日、まことに清らかで無垢(潔白)な子どもを見て、その護りを祈り願いました。祈りなさい。祈りなさい。この十字架の姿を通して、潔白(純真無垢)な者が護られるよう祈り続けなさい。この十字架は、私の大いなるあわれみ(いつくしみ)によって、あなた方に与えられたのですから!

あなた方が今、しているように、私自身があなた方のもとに来て自分を明け渡して十字架につけられたのだということを忘れないでください。私はあなた方よりも先を歩みました。私もそこを通り、あなた方の神である私が勝利しました。そして、私はあなた方のうちでもう一度勝利することになるでしょう!


著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ & 主の潔白の家族(試訳)

©Copyright The Family of Divine Innocence 2012 ©Copyright Patricia de Menezes 2012