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けがれなき神の家族

ニュースレター(2015年夏)

2020.09.05 05:08

マザー・パトリシャからの手紙

主の潔白の子どもの皆様へ

サービトンの本部の皆が、皆様によろしくと申しております。皆様は私たちの心に本当に大切な方々です。皆様が日々、このメッセージ、主の潔白のうちに復活した私たちの潔白という素晴らしいメッセージを、より深く理解することができますようお祈りしております。

私たちと同様に皆様も、聖家族の生き方に真に献身する(身を捧げる)ようにとの聖家族の招きを知って、喜ぶことができますよう願っております。私はこの機会に、「聖家族へのコミットメント(献身)」を通じて聖家族の修練に入っていない方々に、その重要性をあらためてお知らせし、天の招きに応えることを真剣に考えてくださるように、あらためてお知らせしたいと思います。主の潔白のメッセージに示されている聖家族のお望みに心をかけてくださっているのであれば、聖家族の修練を考えてみるのに躊躇される必要はないでしょう。「主の潔白のメッセージ」には毎号、聖家族の修練に関するメッセージが掲載されております。主の潔白の最も中心にあるテーマは、聖家族の修練です。

私たちの人生における第一の招きは、成聖(聖なる者と成ること)です。この成聖に向けて、聖家族の一員となる以上に大きな助けはないでしょう。成聖における養成のための、神の当初のご計画は、神ご自身の家族の中、聖家族の中、そして、カトリック教会の中にあります。コミットメントをしていない方たちに対して、聖母はこうおっしゃっておられます。

  「来なさい、私の子どもたち!来て、あなた方のコミットメントの中に、より深く入ってください。この偉大な恵みを無視してコミットメントを受け入れなかった人たち、急いで来なさい。私たちはあなた方を受け入れ、あなた方の修練を始めたいと、切に望んでいるのですよ。私からの母性的祝福を与えましょう+」

(1999年9月29日、大天使の祝日)

コミットメントを躊躇する方たちには、いくつかの理由があると思います。自分はまだそのレベルには達していないとか、私たちの養成のための義務が十分に果たせなくて聖家族をがっかりさせるのがこわいとか。聖家族の修練の目的そのものが、私たち皆を完徳の道において手助けすることなのです。義務を果たすことについてですが、全ての訓練は小さな一歩から始まり徐々にステップアップして、無理なくこなせるようになってきます。

 聖母がおっしゃったように、「聖家族そのものの一員となり、カトリック教会の中にあって、教会の教えを生きる以上に安全な場所はありません。」これは天国への最高の近道です。  

聖家族は平和と成聖の場所です。聖家族の修練へのコミットメント(献身)をしていないのであれば、今から待降節までの間、よろしければ、この一歩を踏み出す恵みを願って祈り、聖家族の修練についてのメッセージを読んで黙想する時間を余計にとってみてください。

 すでにコミットメントをしている方たちにとっては、毎年、聖家族の祝日が近づいてくるこの時期は、聖家族のお世話のもとで自分がどれほど成長しているかを考える時となります。

 私は、聖パウロが喜んで「...私の肉において、私はキリストの苦しみの欠けたところを完成させます。」(コロサイ1:24)と言っていることを考えていました。

 私はもちろん、キリストの苦しみにおいて、何も足りないところはないと思っていました。キリストは、十字架上で全ての罪と死を打ち負かしたのですから。主は仰せられました、「成し遂げられた」(完成して終わった)と。私がこのことを考えていると、主は私に、ご自分が全ての罪と死を完全に打ち負かされたところをお見せになりました。でも、欠けていたのは、イエズス様の側のことではなかったのです。自由意志という賜物の、人間側からの濫用は、父なる神の御旨が行われていないことを意味していました。「私が天から下って来たのは、自分の思いのままに行うためではなく、私をお遣わしになった方の御旨を行うためなのです。」(ヨハネ6:38)」と仰せられたイエズス様とは異なっているのです。

 神は私たちにお与えになったご自分からの賜物を、取り上げられはしません。自由意志は、私たちを圧倒させる賜物です。それは私たちが、イエズス様と同様に、御父の御旨に従って、悪ではなく善を選ぶために、私たちに与えられました。人の自由意志が御父の御旨に従っていない時、そこでキリストの命が人々の中で、国々の中で、様々な状況の中で苦しみます。人や国が自分の自由意志を、御父の御旨に合わせれば合わせるほど、私たちはキリストの決定的な(完全な)勝利を世で実現することができるのです。イエズス様は私たちに、全ての罪と死に対するご自分の驚くべき十字架上での勝利に参加し、それを分かち合ってほしいのです。それが欠けているのは、御父の御旨に反発している我がままな人の自由意志が、御父の御旨を行わないからです。そして、このような人や状況のうちで、キリストは苦しむことになるのです。「あなた方に言っておく、あなた方が、この最も小さい私の兄弟たちにしたことは、私にしたのである」(マタイ25:40)。「主の祈り」のこの表現(「み心が天に行われるとおり、地にも行われますように」)のもう一つの理由は、私たちが御父の御旨を行うたびに、天のみ国が地上にやって来るということです。キリストが地上に設立されたカトリック(普遍)教会には、完全な救助のシステムがあります。それは、私たちを罪と悪から救う諸秘跡と聖書と教会の教えです。神が与えてくださったこれらの方法を、私たちが十分に活用するならば、神なるキリストの潔白は、私たちの十字架につけられた潔白のうちに勝利することができます。そして、私たちはカトリック教会の中で、聖家族のふさわしい一員となれるのです。

 イエズス様は仰せられました。「私はもうあなた方を僕とは呼ばない。あなた方を友と呼ぶ。僕は主人のしていることを知らないからである。」イエズス様のしていることとは、父なる神の御旨を行うことであり、私たちが失った潔白を私たちに返し与えることであり、そして、全人類を一つの聖なる家族、神の民にすることです。そうすれば私たちは皆、キリスト・イエズスのうちに一つになれるのですから。


 ベトレヘム牧場でデービッド(訳注:本部の「主の潔白の家族」でお父さん的役割を果たしている人)は、建物や外観を、「キリストの聖なる潔白の道」の使徒的仕事に適応させるために手を加えています。私たちは黙想のために、様々なメッセージをラミネートして牧場のあちらこちらに貼るという仕事を始めました。モービル・ホームは新しいチャペルにリフォームしましたので、これまでよりも収容人数が増し、特別な集いのある日などに使えるようになりました。牧場のおもな建物の中央にあり、聖家族チャペルのように階段で上る必要もありません。

 干し草作りは佳境に入っており、デービッドは次の世代の子どもたちに干し草作りのトレーニングをしています。小さい子たちは草原からバターカップの花を集めてきて、バターカップ・クリームの作り方を教わりました。バターカップ・クリームは、切り傷・すり傷に効きます。デービットとルークとドミニックは、静かに祈り、黙想できるエリアを造り、その近くの、地面のかさ上げをしてある所に、新しい植物を植えました。

 小さい子どもたちは、今年、ベトレヘム牧場のアトリウム(子どもたちに教える部屋を、こう呼んでいます)で、大変良く学んでくれました。ディンプナ(訳注:マザー・パトリシャの長男のお嫁さん)は昨年「良い羊飼いのカテケージス」コースを受講し、レベル1の資格を取得しました。このカテケージスは、教会の伝統的教えと聖書と典礼にきっちりと沿ったものです。たくさんの教具を使うのですが、その一部はディンプナとクリスティーンとウェンディが作りました。デービッドとマークと男の子たちは、生き生きとした宗教的養成を子どもたちに与えるための、木製の教具作りを手伝いました。「良い羊飼いのカテケージス」では、モンテッソーリの手法を用いて、物理的教具を使って毎回子どもたちに学ぶべきテーマを提示しています。教具は、小さなからし種のようなものから、ミニチュア祭壇と全ての聖具、あるいは馬屋とご降誕のセット一式という場合もあります。聖書のみ言葉と共に、ひとたび子どもたちに教具が提示されると、子どもたちは自由に教具に触れ、扱ってよいのです。これと共に様々なプリント教材を用いて、その課題の習得が強化されます。子どもたちには、とても大きな成果が見られました。

 耳の聞こえ具合があまり芳しくない方たちにとっては、最近ミサで私が経験した混乱は、面白いと思われるかもしれません。聖パウロの書簡からの朗読を聞いていますと、私には朗読者が「像(elephant エレファント)」と言っているように聞こえました。不思議に思って、聖パウロが書簡で像について話しているところがどこかにあったかしら、どんな意味があるのかしら、と考えていました。少々混乱してしまい、ミサレットで朗読箇所を確かめると、実のところは「雄弁(eloquence) エロクエンス」でした!私もそろそろ聴覚検査を受ける時期かもしれません。

 「キリストの聖なる潔白の道」に忠実な皆様、この特別な恵みを人々に知らせるために手助けしてくださっていることに、あらためて感謝申し上げます。とりわけ海外のメンバーの方たちには、メッセージを読み続け、キリストの潔白の道を歩み続けてくださっていることに感謝いたします。ここ本部では、これほどの愛と忠実と支援とメッセージへの深い理解を示す数々の手紙、そして皆様がもたらしてくださる恵みに驚き喜んでいます。

 8月17日には、どうぞ「秘められたる神秘の御傷の聖母」という称号のマリア様に光栄を帰してくださいますように。神様が皆様とご家族を祝福し、支え、また、皆様のご心配を愛をもってご配慮くださいますように。皆様が日々、聖家族の修練において完徳へと歩まれますことをお祈り申し上げます。

マザー・パトリシャ


著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ(試訳)以上2015年9月29日(火)