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けがれなき神の家族

ニュースレター(2019年 夏)

2020.09.05 05:29

国土に刻む十字架のしるし(8月17日)

 わたしたちは自分の国に(訳注:聖母行進によって)十字架のしるしをする時、神の祝福とご保護を願うことになります。また、わたしたちは「秘められたる神秘の御傷の聖母」という称号のマリア様を、特に8月17日に告げ知らせるようにとも言われています。8月17日は、イエス様が教会に「秘められたる神秘の御傷の聖母(ひめられたるしんぴのおんきずのせいぼ)」という称号でマリア様を誉めたたえてほしいと願っておられる日です。同時にこれはすべての深刻な罪、とりわけ堕胎の罪のつぐないのためにも行われます。堕胎によって、社会も教会も本当に傷ついています。

 8月17日には、できる限りのことをして、マリア様を誉めたたえてください。秘められたる御傷の聖母のご絵を、お友達や宣教会などに差し上げたり送ったりしてはいかがでしょうか。マリア様のお姿の前で他の方たちも一緒にロザリオを唱えても良いでしょう。家の窓辺にマリア様のご像を飾ることもできますね。

 ご自分の国に十字架のしるしをするために、どんなことでも結構ですから手助けしてくださるとありがたいです。8月17日までの数日間と、当日に行います。これによって、皆さまの国に大きな恵みが注がれます。初めか終りにミサに与れるならば、素晴らしいです。十字架行進の主要ルートから離れている場合は、その行進に心を合わせて、ご自分の地域にある二つの教会間を行進することも可能です。神様は、皆さまが困難な状況で行うすべてのことを、大いなる愛をもって見ておられ、特別な恵みで祝福してくださいます。

 全国規模で十字架のしるしを計画したり、それに参加したりすることができなくても、地域限定で構いませんので、できるだけのことをやってみてください。ご自分の地域でカトリック教会を四つ選び、十字のしるしになるよう移動してください。必要であれば、離れてしまった兄弟たちの教会の建物も、途中に入れてみてください(訳注:十字架のしるしは経由地点も含めて、真っすぐでなくて構いません)。すべてのキリスト者は、キリストの十字架を誉めたたえることにおいて一致できるはずです。

 天は上から十字架のしるしを見ており、それが行われる国では、そのしるしが土地に焼き刻まれると、イエス様はおっしゃいました。イエス様は、わたしたちが自分自身に十字架のしるしをする時も、わたしたちに天の光でしるしが刻まれることを示してくださいました。この十字架のしるしは、カトリック信者として最初に教えられる祈りの一つであり、聖三位一体を呼びくだし、洗礼を思い起こさせるものです。ご自分の国に刻む十字架のしるしのためにどんなことでも構いませんのでお手伝いしてくださるならば、キリストの死と復活の力にご自分も与るのだと確信してください。ご自分の故郷に救いのしるしをするのですから。天がこれを見ているならば、もちろんキリストとキリストの教会に反するわざをなしている霊的権勢もこれを見ているはずです。彼らにとっては、キリストが彼らすべてをすでに征服しているという警告になります。


2004年8月17日、秘められたる神秘の御傷の聖母の祝日

パトリシャ:つぐないの行進によるイギリス国土に刻む十字架のしるしを終えて、聖ラファエル教会(イギリス、サリー州、サービトン市)でミサに与った後、わたしたちは家庭的集いのために小学校に集まっていました。賛歌 `Oh Purest of Creatures, Sweet Mother, Sweet Maid′(『ああ、被造物のうちで最も清く、甘美なる母、甘美なるおとめよ』)を歌っていると、マリア様がお出でになり、次のようなメッセージをくださいました。

マリア:わたしの子どもたち、今日、あなた方が応えてくれたことに感謝します。ありがとう。

パトリシャ:マリア様は、学校の教室で話す先生のように、こうおっしゃいました。

マリア:あなた方のうち何人がわたしの生徒ですか。手をあげてください。わたしのいとしい子どもたち、あなた方のうち何人が、我がおん子の主の潔白の道を本当に歩み始めていますか。あなた方は調度ここに来て、小学校にいるではありませんか。わたしの学校である「普遍的ナザレ学校(School of Nazareth Universal)」で、あなた方は何年生ですか。わたしはあなた方の女子修練長であり、聖ヨゼフはあなた方の修練長です。いのちの主であるおん方は、わたしたちの神であるだけでなく、わたしたちの教授でもあられます。この修練において、わたしは全人類を主ご自身の家庭に招き入れるために、このメッセージを通じてやって来ました。わたしは最初にあなた方のもとに来ましたが、あなた方はわたしをがっかりさせるのでしょうか。わたしは、あなた方を良い生徒として誇りをもって、わたしの主でありあなたの主であるおん方に、お捧げすることができるでしょうか。子どもたち、無駄に過ごしている時間はありませんよ。

これからもますます教会は攻撃されるでしょう。多くの攻撃がすでになされており、さらに数多くの攻撃がまさに進行中です。あなた方は、深い信仰の知識という武具を身につける必要があります。あなた方に請い求めます。どうぞ来て、神の聖家族の修練を学ぶようにお願いします。そうするならば、わたしは主の潔白の道がどれほどの驚くべき恵みであるかを見せましょう!

わたしの母性的祝福を与えましょう。

*訳注:「聖マリアと聖ヨゼフのご聖体のみ心」とは、ご聖体に現存されるイエズスの聖心と一致して鼓動している聖マリアと聖ヨゼフのみ心という意味です。


徳を願う祈り

甘美なるイエズス、わたしには自分の徳はありません。

わたしの唯一の希望は至聖なるおん母マリアの徳と功徳にあります。

わたしは聖マリアと聖ヨゼフのご聖体のみ心*を通じてあなたのみ前に進み

霊魂と体をあなたご自身の徳と功徳で飾ってくださるようにと願います。

わたしがあなたの徳と功徳の衣をまとうならば

我が主であり王であるあなたにふさわしい者となれるでしょう。

わたしはあなたにふさわしい賛美と愛と栄光をお捧げすることはできません。

ですから母なる聖マリアにより頼み、

おん母の愛と徳によってあなたに賛美と愛と栄光をお捧げいたします。

我が母なる聖マリア、我が主を絶え間なく賛美することを教えてください。

すべての天使と聖人、煉獄の霊魂と地上の信仰あるすべての霊魂の

驚くべき賛美と称賛もあわせてお捧げいたします。

我が神よ、こうしてはじめてわたしは喜びと自信をもって

あなたのみ前に進むことができるようになるのです。アーメン。


以下は、the Great Magazine からの内容です。とても洞察のきいたアドバイスです。カトリックのキリスト信者として「キリストの背丈にまで成長する」(エフェソ4:13)ようにとの聖パウロの言葉に従って、わたしたちが努力していますようにと願っています。キリストのうちにこの成長がかなうよう、信仰・希望・愛の対神徳と、聖霊の賜物と実を祈り求めましょう。『カトリック教会のカテキズム』1803〜1837番(徳について)をご参照ください。


情 緒 的 成 熟

情緒的に成熟している人には、以下のような傾向が見られます。

○ 一歩ひいて、その状況を見ることができます。これは大切なスキルです。自分にかかわる小さな側面だけを見るのではなく、全体像を捉えて、感情に流されることを防いでくれます。

○ 他の人の視点で見ることができます。エンパシー(感情移入、empathy)は、シンパシー(思いやり、同情、sympathy)とは異なり、他の人の立場であれば自分はどう感じるかを想像できるところがポイントです。自分がそのように扱われたらどう感じるかを想像できますので、残酷なことや傷つけるようなことを避けようとします。

○ 他の人に関心をもつことができます。自己執着心の強い人と一日中一緒にいても、わたしの興味や人生について一言も質問されないということがあり得ます。情緒的に成熟している人は、一人ひとりが特別で、自分と分かち合える何か面白いものや価値あるものをもっているとわかっていますので、他の人に興味をもちます。

○ 感情よりも事実にもとづいて意思決定を行うことができます。感情はたいてい不合理ですので、自分がその状況でどう感じているかよりも、事実の評価にもとづいて意思決定をする能力を養うことが大切です。

○ 保身に走ることなく批判を受け入れることができます。怒り出すこともありません。他の人といるときはいつでも、批判を受け入れられる心持ちでいることが大切です。そうでなければその場にいる皆が、自分に対して腫れ物にさわるようになってしまい、事実を伝えてくれなくなります。批判を聞くときは大抵、自分の不安な部分に触れることになりますから、これは簡単なスキルではありません。

○ 過去を手放すことができます。誰しも人生のどこかで傷ついているはずですが、情緒的成熟の一つの確かなしるしは、そのことから解放されて自分の人生を歩み続ける能力をもっていることです。過去のあることへの執着にとらわれて、将来得られるはずのいかなる幸せをも打ちこわしてしまう人がいます。情緒的に成熟した人がこのような過去を手放すときの一つの方法は、次のような哲学的アプローチです。これまでの人生で自分に起きたすべてのことによって今の自分があり、自分に変えられることはそれを自分がどう捉えるかだけであると考えるアプローチです。例えば、厳しい教訓を学んだとか、自分を成長させてくれる賜物であったとか、生きのびる能力を試す試練だったなどと考えることができます。しかし、同じ過去が、終りなくつきまとう呪いとなって、チャンスがあればいつでも顔を出し、前へ進むことも、幸せを見つけることもできなくさせてしまうこともあるのです。どう選ぶかによって、未来の実りも変わってきます。

○ 自分に正直になって変わることができます。誰も完全な人はいません。自分で変えたいと思っている習慣やふるまいがあるはずです。情緒的成熟の鍵は、人生や健康、仕事、人間関係を損なっている自らの行動を変えるべきときが来たならば、そのときを捉えて必要な変化を起こす行動をとることです。専門的な助けが必要ならば、恐れずにそれを求めます。

まことの成熟(成人期)に達した人の特徴のいくつかを以下に列記します。

・ 感謝をもって批判を受け入れ、成長できるチャンスが与えられたことを純粋に喜びます。

・ 自分はなんとかわいそうなことかと自己憐憫に浸りません。人生で、補償の法則が働く(報いが与えられる)ことを理解しはじめています。

・ 特別な配慮を、誰からも期待しません。

・ 自分の感情をコントロールできます。

・ 緊急事態でも落ち着いて対処できます。

・ そう簡単には傷つきません。

・ 自分の行動に「アリバイ(言いわけ)」を探そうとせず、責任をもちます。

・ 妥協をゆるさない「オール・オア・ナッシング」の成長過程を通り越しています。誰も、どんな状況も、すべて善、あるいはすべて悪ではないことを理解して、「中庸の道」の良さを認識しはじめています。

・ ほどほどの遅れに対して忍耐を失いません。自分が宇宙の決定権をもっているのではなく、他の人やその都合に合わせなければならないことも度々あると学んでいます。

・ 良い敗者になれます。泣きごとを言ったり文句を言ったりすることなく、負けや失望を忍耐することができます。

・ 自分にどうしようもないことを不必要に心配しません。

・ 社会的に認められていない方法で、自慢して「見せびらかし」をする傾きがありません。

・ 他の人が成功し、幸運を得ると、純粋に嬉しくなります。ねたみや嫉妬は通り越しています。

・ 十分に心が開かれていますから、他の人の意見に、思いやり深く耳を傾けることができます。

・ 慢性的な「あら探しの人」ではありません。

・ その時々のインスピレーションに頼るのではなく、あらかじめ物事の計画を立てておきます。


著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ( 試訳)、2019年9月6日(初金)