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けがれなき神の家族

ニュースレター(2020年 春)

2020.09.05 05:43

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神なるキリストの潔白の子どもである皆さまへ

 四旬節の第一週目の今、このニュースレターを完成させようとしているとき、世界中で新型コロナウィルス感染拡大の懸念が広がっています。これに関わっているすべての方、感染された方、医療の専門家や職員、各国政府、そしてこの状況に対処しておられるすべての方たちのために、お祈りいたしましょう。それに加えて世界中で異常気象にともない、自然環境における多くの難題が突きつけられています。このことについても、祈り、可能であれば困難や苦しみに直面している方たちに愛徳を示したいものです。

 地球に対する人類の責務については、認識が高まっているところです。イエス様はメッセージの中で、創造における神の秩序(Divine Order)について語っておられます。カトリック教会が創造について教えていることと、神の聖なる秩序(God’s Divine Order)における人間の役割について学ぶことは重要です。教会の社会教説を学ぶならば、環境を大切にする方たちと協力する知識となり、またそれを促すことにもなります。それは、わたし達がこの共通の家の良き管理者となるためです(カトリック教会のカテキズム2415)。創造という賜物を神に感謝し、たとえ試練のときでも、神様の摂理的なお計らいに信頼と自信をもつのは重要なことです。『カトリック教会のカテキズム』の310番から314番を読むことをお勧めいたしますが、これは大変なぐさめとなるものです。(四旬節の黙想あるいは学びとして読まれるのも良いでしょう)

 被造物の管理者としての人類の重要性の意味するところは、罪が地球に影響を及ぼしているということです。主の潔白(Divine Innocence)のメッセージで呼びかけられている、変化をもたらすための一つの方法は、つぐない(reparation、修復作業)です。

 この悔い改めの季節に、個人的な罪のつぐないのわざを、自分自身の更に深い改心のためにも、また、世界の更に深い改心のためにも、お捧げすることができます。人類に対するもっとも深刻な申し立て(告発)は堕胎の罪であり、メッセージでは、あらゆる罪、とりわけ堕胎の罪のために、つぐないの行進を求めています。わたし達は皆、謙虚な悲しみをもって、罪がもたらすダメージの修復(つぐない)が重要であることを認める必要があります。皆さまお一人おひとりが、つぐないの行進をすることにより、全カトリック教会に恵みを呼びくだしています。ここでの恵みは、人類のため、また、わたし達の管理下にある自然環境のために、堕胎された幼子たちの殉教者宣言がいかに重要であるかを、教会のメンバーがより良く理解するための助けとなっています。主は、皆さまの置かれた状況をよくご存知で、皆さまがご自分の個人的つぐないを、この目的とリンクさせるあらゆる努力をしているのを、喜んでおられます。

 ここサービトンの本部では、主の潔白の道(the Way of Divine Innocence)を広めるために最善を尽くしています。そして、皆さまと同様に、自分でもそれを生きようと努力しています。それこそが、この道を広める最善の方法です。キリストの潔白の道(the Way of Christ’s Divine Innocence)を生きるための手段は「聖家族の修練(Novitiate of the Holy Family)」です。この修練は普遍的修練であり、聖家族そのものの中で生きる修練ですから、カトリック教会とその秘跡と教えから切り離すことはできません。すべての人が一つの、カトリック教会のうちにある聖家族となるよう、全教会とその外にいる人々のために、わたし達に託されたものを理解すればするほど、わたしは自分たちがどれほど特権を与えられているか、そして、このゆだねられた特別な恵みにあらゆる努力をもってどれほど応えなければならないかを、より深く理解します。

 イエス様、マリア様、ヨセフ様の聖家族は、遠くから眺めて単に真似するための聖なる家族生活の模範ではありません。聖家族の生活に献身(コミット)することにより、わたし達は、最初の聖なる家族そのものの中で訓練を受けることになります。これは単なる信心の概念ではなく、生きた現実です。これは、すべての人がキリストに似た者となるための学びの聖なる環境、そして、自分自身と人のうちにあるキリストのいのちを守り育てるための聖なる環境です。イエス様、マリア様、聖ヨセフ様に完全に信頼することが大切で、その信頼のうちに、わたし達を導き、聖家族の一員としてふさわしい者に変容させていただくことを願います。

 四旬節は特別な季節、恵みのときです。この時期に与えられる数々の恵みの中に、より深く入るための一つの方法として、聖家族の修練への皆さまのコミットメントを見直し、改めることができます。

 聖家族のふさわしいメンバーとなるために、イエス様、マリア様、聖ヨセフ様がわたし達にお勧めになる本質的な方法は、秘跡を喜びのうちに豊かに活用するとともに、カトリック教会の教えを学ぶことです。

 メッセージの中で、聖家族の修練と、堕胎された幼子たちの殉教者(認知)宣言に次いで多いのは、おそらくカトリック信仰の学びについて言っているメッセージだと思います。なぜ天は、これを何度も繰り返して願うのでしょうか。多くの理由があります。カトリック信仰の真実について皆さまが心にかけていらっしゃるならば、現在、カトリックの正当な教えに対して、どれほどの無知と無関心と混乱と敵意があるかを見るのは辛いことです。カトリックの信仰を、勤勉に、努力と忠実をもって学ぶ価値を皆さまが発見されたならば、その体験を他の方たちとも分かち合い、勧めてくださいますように。皆さまの人生における信仰の学びの効果について、わたし達にも手紙でお知らせください。

 カトリック信仰を学ぶのに最適な場所は、聖体大学です。これはまず第一に、カトリック教会内に安置されている、ご聖体におけるイエス様の現存に対する礼拝です。また、主の現存のみ前におけるカトリック信仰の学びでもあります。このような方法で、その他のふさわしい科目を学んでも構いません。これは全ての人に開かれた、無料の大学です。あらゆるレベル、あらゆる年齢の生徒が、もしイエス様の招きに応えて聖体大学で学ぶならば、学びが変容することに気づくでしょう。神は、法の最も偉大な与え主です。法律の学生は、神の導きに対して、心が開かれているでしょうか。キリスト様は、癒しの奇跡で有名です。医師や看護師、病院スタッフは、ご聖体におけるイエス様の癒しの現存のみ前で学ぶことにより、本当に多くを学ぶことができるでしょう。芸術家や科学者は、自らの創造主の導きに従うならば、世界を見渡して、創造において神がデザインされた驚くべき複雑さと美を見るだけで、自分たちの作品や仕事が豊かになることに気づくでしょう。彼らの創り主は、名工であり、芸術家だからです(カトリック教会のカテキズム2500参照)。神はあらゆる才能と良き賜物を、人類にお与えになりました。聖書とカトリック教会の教えに導かれるならば、神からくる真理における新しい照らしの時代に入ることができると、主は仰せられました。ただし、わたし達が神のおん助けを受け入れるならばです。わたし達が聖体大学に参加する正しい動機は、神の栄光と、教会の建設と、人類の善益のためであるべきだ、とメッセージの中でイエス様は言われました。。

 わたし達は世界中で起きているニュースを見て、なんとすぐにがっかりすることでしょう。カトリック信者としてわたし達には、元気を回復させていただけるオアシスが、カトリック教会のご聖櫃に安置されたご聖体のみ前にあります。このご聖体には、神ご自身のおん体、おん血、ご霊魂、ご神性が現存されています。ここに立ち寄って少しのあいだ、ご聖体に現存されるイエス様を礼拝するときを過ごし、主の平和と愛となぐさめのうちに、わたし達を引き上げてくださいとお願いすることができます。

 ここでは、どれほどの困難に直面していようとも、神の愛の輝ける生きた水の中で、わたし達は気持ちを新たにすることができます。わたし達はすべてをイエス様にお渡しして、わたし達の前にある道をなめらかにしていただけると信頼することができます。わたし達の人生と心配事を完全に神のみ摂理におまかせして、すべてを神のみ旨に従ってお計らいくださるようお願いするならば、最も困難な状況でも解決してくださることがおできになります。神は何がわたし達に一番良いかをご存知です。わたし達は、神様の優しくご親切な愛に信頼しさえすれば良いのです。静かにご聖体のみ前に座り、イエス様に、聖霊を送り、わたし達を照らし、教え導いてくださるようお願いすることができます。そうすれば、聖霊の賜物と実のすべてが、わたし達の人生と、わたし達の周りの人の人生を変容させてくださることでしょう。イエス様がこのような祈りを拒まれることがあるでしょうか。もちろん、あり得ません!わたし達の祈りに対して、わたし達とわたし達が祈っている人たちにとって最善の方法で応え、恵みの数々を降り注いでくださることは、イエス様のお喜びです。

 祈り:「主よ、わたしはあなたに信頼します。わたしの人生とわたしの周りの人々の人生のうちに、あなたが見たいと望んでおられる完徳と喜びをもたらしてくださいますように。わたしは、聖家族の中で潔白のうちに生きることができるよう、完全に献身(コミット)することを望みます。愛する主イエスよ、聖マリアよ、聖ヨセフよ、わたしの人生のすべてにおいて教え導き、わたしの天のおん父の家にお連れくださいますように。わたしが至聖なる三位一体に栄光を帰すことができますように。アーメン。」

 聖家族の修練は、単にカトリック信仰の学びというだけではなく、わたし達の霊的生活に限られたことでもありません。これは、まことの生きた修練であり、わたし達の生活を、霊的にも行動的(実践的)にも、あらゆる分野で変容させることができます。修道会では実践(行動)面で良き秩序をつくり、それを保つよう配慮しますが、それは、本来の目的である、それぞれの会に特有のカリスマ(霊的賜物)による働きを妨げないためです。一般信徒にとって、霊的秩序に向かうための、この良き秩序は、わたし達とわたし達が関わりをもつ人々(罪による無秩序な生活の中でもがいているかもしれない人々)にとって、オアシス(新英和大辞典:砂漠の中で水・緑地のある小さな沃地)を提供するものとなります。聖家族は、ご自分たちの、恵みに満ちた秩序づけられた生活を、わたし達と分かちあいたいと思っておられます。聖家族におん助けを願い、一歩一歩、小さく進むならば、わたし達の職場にも、家庭にも変容をもたらすことができるでしょう。

 お互いのために祈りあい、祝福された四旬節を願いつつ、このイースターに、聖なる潔白の復活を、わたし達と世界のために、楽しみに待ち望みましょう。

 数々のミサ・カード(訳注:ミサを捧げましたということを書いたカード)や、本部の必要のための応援の手紙に書かれたお祈りの約束は、わたし達を力づけてくれました。心から感謝しております。わたしの80歳の誕生日のために捧げてくださった数々のごミサやお祈りにも、感謝しております。

 聖マリア様の母性的祝福と、聖ヨセフ様のご保護、そして、聖なる幼子イエス様の絶え間ない寄り添いをお祈りしております。皆さまが、けがれなき神の道と、カトリック教会の信仰において、成長されますようにとお祈りしています。父+と、子+と、聖霊+とのみ名によって。

マザー・パトリシャ


著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ(試訳)