ブルボン朝誕生7-リシュリュー危機一髪!
2020.09.05 08:41
あれこれ欧州政治を画策するフランスのリシュリューに突然危機に陥った。1630年9月21日、ルイ13世はリヨンで突然重篤になり、司祭が臨終の用意をするほど。王崩御とあれば後継ぎは王弟ガストン、彼はリシュリューと仲が悪い。そこで反リシュリュー派は彼の始末方法まで相談したという。
結局王が回復して事なきを得たが、反リシュリュー派は母太后マリーをまきこみ11月10日王に「私かリシュリューかどちらかを選びなさい!」と迫った。母太后はそもそもカトリック派で、リシュリューが、反ハプスブルクからプロテスタントと組むのが気にいらない。
国王はリシュリューにその場から去るよう言ったので、翌日リシュリュー失脚の噂がパリを走り、一族は亡命の用意をした。リシュリューは諜報の達人でもある。王の動向を探ってから、王のもとに伺った。ルイ13世は熟慮の結果、リシュリューの支持を確約した。
この日は「騙された者の日」と呼ばれ、おおっぴらに行動していた反対派は更迭された。母太后マリーは、その後国務会議からはずされ、翌年コンピエーニュ城に軟禁された。しかし彼女はまたも脱出して、ブリュッセルに行って反リシュリューの扇動を行うのである。
下はリシュリューと母の間で悩むルイ13世