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kanagawa ARTS PRESS

山本理顕の 街は舞台だ 「不二家横浜センタービル」

2016.07.13 02:20

先進的であるがゆえに、その価値が見えにくい名建築

不二家横浜センタービル

 神奈川県民なら、伊勢佐木町の不二家を知らない人はいないだろう。子供の頃、映画を見た帰りに食べたホットケーキ。青春時代に、伊勢ブラの途中でちょっと一休みのクリームソーダ。誰にでも大切な思い出があるのではないだろうか。

 ビル前面の連続する大きな窓枠の格子が水平ラインを構成し、左側一面に張られたガラス・ブロックが垂直ラインを構成する左右非対称のデザイン。インターナショナル・スタイルとも称されたモダニズム建築。巨匠アントニン・レーモンド*の代表作だ。

 では、このビルがいつ建てられたのかを知っている人はどれだけいるだろうか。高度成長期の1960年代?いいえ、実は昭和12年(1937)なのだ。

 当時の伊勢佐木町は銀座と並ぶ繁華街。そんな伊勢佐木の新たなシンボルとして生まれたのが不二家伊勢佐木町店だ。地下はビア・ホール、1階は洋菓子販売と喫茶室、2階はレストラン、3階は中華料理、4階はステージ付きの大宴会場、5階は当時のお洒落なセレブたちが集う高級サロン“スターサロン”だった。まさに最先端のモダン・ライフを満喫できる場所だった。

 不二家ビルを見て、戦前の建築だと思う人はいないのではないか。その先進性は、同時代に建てられた建築と比べれば、一目瞭然だ。例えば、海岸通に建つ横浜郵船ビル(1936)。古代ギリシャ式の列柱が16本並ぶ、日本を代表する歴史主義建築*である。この重厚な建築と不二家ビルの竣工には1年の差しかないのだ。


 あまりに先進的で「古さ」を感じさせないが故に、その価値が見えにくい名建築。当時、伊勢佐木町が、日本中の何処よりもモダンな街であることを印象づけた不二家ビル。戦災を免れ、GHQに接収されても、しぶとく生き抜いてきたこの名建築を伊勢佐木町が誇るシンボルとして、これからも愛し続けて欲しい。   (談)


*インターナショナル・スタイル:

バウハウスやCIAM(近代建築国際会議)が主導した近代建築の様式。形は機能により決定され、地域などの特殊性を越え、世界的に統一された様式を目指した。

*アントニン・レーモンド(1888~1976):

チェコ生まれのアメリカ人建築家。帝国ホテル建設のためにフランク・ロイド・ライトの助手として来日。ライト離日後も日本に留まり、その影響から離れ独自の道を歩む。代表作は、旧不二家伊勢佐木町店、旧ライジングサン石油会社社宅(現・フェリス女学院大学10号館)など。

*歴史主義建築:

過去の建築様式を参照した建築スタイル。18世紀~19世紀初頭のヨーロッパで流行。教会はゴシック、公共建築はルネサンスなど、用途にあわせて様式を選択した。

住所:神奈川県横浜市中区伊勢佐木町1-6-2 不二家横浜センター店

交通:JR根岸線・横浜市営地下鉄線「関内」駅北口から徒歩5分

設計:アントニン・レーモンド

竣工:昭和12年(1937年)

不二家レストラン公式サイト

イセザキ・モール(横浜・伊勢佐木町1.2丁目)オフィシャルサイト

日本郵船歴史博物館(横浜郵船ビル)公式サイト

横浜都市発展記念館公式サイト


企画・監修:山本理顕(建築家)

1945年生まれ。71年、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。東京大学生産技術研究所原研究室生。73年、株式会社山本理顕設計工場を設立。2007年、横浜国立大学大学院教授に就任(〜11年)。11年、横浜国立大学大学院客員教授に就任(〜13年)。

山本理顕設計工場公式サイト

Photoキャプション(上から)

あまりにモダンな竣工当時の不二家伊勢佐木町店 写真提供:(株)不二家フードサービス

にぎわう昭和15年(1940)頃の伊勢佐木町。右手奥に不二家が見える 所蔵:横浜都市発展記念館

歴史主義建築の王道を行く横浜郵船ビル。 所蔵:横浜市中央図書館

いまも古さを全く感じさせない不二家横浜センタービル

山本理顕 ©Jake Waltersm


以下全て、写真提供:㈱不二家フードサービス

ネオンがまぶしい夜の不二家伊勢佐木町店

B1のビヤホール。タイル張りのモダンな店内

1Fの喫茶室。幾何学パターンで演出された明るい空間

2Fのレストラン。これが戦前神奈川のモダン・ライフ

3Fの中華レストラン。中華ながら軽やかでモダンなインテリア

4F宴会場。ステージがありエンタテインメントが楽しめた

5F高級サロン。全面のガラス窓から街を一望する

おしゃれな当時のマッチ