すっぽかすことも息子の「精心」
息子がときどき学校をすっぽかします
息子が学校へ行くようになり
単位をとるために課題やテストをこなすようになっても
気分がのらないと学校をすっぽかします
ついつい私も油断をしてしまい
学校をすっぽかした息子へイライラをぶつけて意地悪をしてしまいます
「大好きなセカオワグッズ、届いたけどしばらく渡さないからね!」
以前の息子だったら幼稚な理屈と暴言を吐いて
物を投げたり叩いたりした後
部屋にひきこもる・・・
私のイライラが落ち着くと
少し反省をして息子に歩み寄る・・・
そんなやりとりが懐かしい今、
息子は哲学が好きになり
自分の考えや感情を表現できるようになりました
大人からしたら屁理屈にしか聞こえないけれど
哲学書の一文を抜き出したような言葉尻をつかいながら
学校へ行かなかった理由をぶつけてくるんです
そんな小憎らしい屁理屈を立派に表現している息子をみていると
イライラを通り越して吹き出してしまう気持ちを抑えながら
セカオワグッズをプレゼントしてしまいました^^;
息子が自分を表現できるようになってきたな…と思いはじめたのは
少しずつ自己肯定感がもてるようになってきた去年の今頃
もともと感覚過敏で色んなことに気付き聞こえてしまう息子は
登下校途中の電車で、横柄な態度の大人たちや
くだらない陰口ばかり言う同世代の若者に腹を立てて帰ってくると
マシンガントークが始まるのです
そして息子から目をそらさず真剣に耳を傾ける
時々、「へ〜」「それは腹立つね」「ありえないね」と息子の感情に合わせてみる
意地悪されても陰口を言われても
抵抗もしなければ愚痴る事もしなかった以前の息子からすると
それこそありえない…
それだけ変化できたのは
感情を吐き出すことができるようになり
受け入れてくれる場所があり
安心感というエネルギーがたまり始めたことで
自分を表現できるようになったんだと思っています
最近見つけた息子のメモの一部
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現代を生きる人々・・・
不安定な年齢・・・
心の在り方・・・
疑問に思うこと・・・
学んだこと・・・
哲学的に考えて・・・
応用して考えて・・・
若年層の人たちの「精心」「心の在り方」を哲学的視点から考え
自分なりの言葉で伝えてみたい
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精心とは「個々の心、魂を大切にして、社会に縛られない生き方をする」と私は解釈したいと思います