ラティーナ街道 Via Latina
紀元前から自然に先史時代から存在した地形に沿って建設されたラティーナ街道。街道名にも使われているように、ラツィオ州の主要都市(ラティウム地方)を通り、カンパーニア州、現在のカプアまで続いていた。
アッピア街道とともに、アジアやシチリアの玄関口ブリンディシまで続く商業用街道として発達した。アッピア街道はローマからブリンディシまでの近道になる様に作られた街道だが、ラティーナ街道は古代の主要都市を通る自然の谷を利用した街道である。
内戦後、ラティーナ街道はマルクス・ウァレリウス・メッサッラ・コルウィヌスを含むローマ人が修理。
詩人ティブルスがラティーナ街道についての悲歌を書いた紀元前27年には、その修理の最中だった。
ローマ旧市街から
カペーナ門
サンティ・ネレオ・エ・アキッレーオ聖堂
ガラティア庭園
サン・ジョヴァンニ・ア・ポルタ・ラティーナ教会
サン・ジョヴァンニ・イン・オレオ小礼拝堂
シピオーニ公園
ラティーナ門
アントニアヌス水道橋と共同地下埋葬所の遺跡のある広場
ラティーナ街道のカタコンベ
トレビオ・ジュストのカタコンベ IPOGEO DI TREBIO GIUSTO
ディーノ・コンパンニ通りのカタコンベ IPOGEO DI VIA DINO COMPAGNI
ローマ郊外からラツィオ州
アルテーナ
セーニ(古代セーニの町)
レピーニ山 monti Lepini
サッコ川の谷
現代のナポリに向かう鉄道沿む
アナーニ(アナグニア Anagnia)(ここでプラエネスティーナ街道と合流)
フロジノーネ
フレジェッラエ でリーリ川を渡り、
カッシーノ を通る
アペニン山脈とロッカ・モンフィーナの火山群の間を抜ける
もともとの街道は北東に折れて山越えし、サムニウムの領域モリーゼ州へ。
イゼルニア やテレーゼ・テルメへ の道があった。
初期のローマ軍事史上の重要地点であるアルギドゥス山を通る
後世になってRufrae(現在のプレゼンツァーノ)から近道を通り、
現代の国道や鉄道に沿った経路をとるようになった。
カンパーニア州
2つの経路は現在のカイアネッロの鉄道駅のあたりで合流
テア―ノ
カレス Cales(現在のカルヴィ・リゾルタ)紀元前334年に建設されたラテン人植民地
ヴォルトゥルノ川を渡ってアッピア街道と合流
★ 特産品
参考
Wikipedia 日本語
Romano Impero
Signa Romanorum