【4番】行幸で富士山に感動!!山部赤人!! 2020.09.07 09:22 ジャンル:冬 時代:奈良時代 超要約: 遥か銀世界 歌の意味(子ども向け):いいねえ、富士山!雪が降っているところが、またいいね!歌の意味:田子の浦に出かけて、遙かにふり仰いで見ると、白い布をかぶったように真っ白い富士の高い嶺が見え、そこに雪が降り積もっている。☟この首に関するクイズ Q 富士山の山頂に雪が降っている景色を、作者は見ているのだろうか? A 見ていない。想像である。 👇語呂合わせ(覚え方) 山部赤人(やまべのあかひと)は、36歌仙の一人です。「万葉集」を代表する歌人で、自然の美しさを多く歌に残しました。紀貫之からは、古今集の序で、柿本人麻呂と共に、「歌聖(かせい)」と讃(たた)えました。大伴家持(おおとものやかもち)は、この二人を「三柿(さんし)」と呼び、敬(うやま)いました。 山部赤人は、柿本人麻呂と同様に、身分の低い下級役人だったようで、聖武天皇の行幸(ぎょうこう、みゆき)などに同行して歌を捧げたり、皇室で不幸があれば挽歌を詠むなどの仕事が多かったようです。 ちなみに、山部赤人は、聖武天皇の行幸で、他にも、和歌山県の和歌の浦など、いろんな所に訪れたようです。 「田子の浦」とは、上地図のマークしたエリアあたりを指すらしいです。(もっと言うなら、現在は富士市の富士川河口の東側を指す。しかし、昔は、西の方の沿岸も含む広い範囲を指していた。) 駿河湾沿岸から、富士山を見た時、どんなにはっきりと富士山が見えていたとしても、頂上に雪が降り積もっている様子までは、当然見えません。作者は、富士山を前にしながら、頂上で雪が降っていることを想像しているのでしょう。 昔、富士山の「富士」は、これほど美しく高い山は二つとないことから「不二」や「不尽」と書かれました。さらに「竹取物語」に由来する「不死」という書き表し方もあります。 原歌は、万葉集の「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」です。これが、伝承される間に、語句が変化していったと考えられています。 雪は「積もりつ」であれば、季節は冬でしょう。しかし、雪は「降りつつ」です。ということは、季節は初秋だと思われます。ということは!、山部赤人は、夏の暑い期間をかけて、都の奈良から、はるばる静岡まで旅をしてきたのでしょう。現代では、新幹線や自動車など、案外簡単に富士山を見に行くことができますね。しかし、山部赤人の時代、富士山が見えるまで、延々と歩くのでしょうね。富士山を見た時の感動は、我々の想像を遥かにこえる深いものがあったと思います。今度、富士山を見た時には、山部赤人の感動にも、思いを馳せてみようと思います。