2020年9月11日☆誰かに話したくなる先を見て今を生きる話~その2
以前お話しました、2020年4月18日☆誰かに話したくなる先を見て今を生きる話
少し反響がありましたので、他の話もご紹介します。
今回は、先生の体験をストーリー風に書いてみました。
昭和20年8月15日 終戦
当時、僕は、鹿児島の実家を離れ親戚を頼りに東京陸軍幼年学校に通っていた。
終戦を迎え、故郷鹿児島に帰れることを、素直に嬉しいと思った。
もとのように、父母兄妹と一緒に暮らせることを、心待ちにしていたからだ。
敗戦直後の日本は、混迷を極めていた。
戦争は終わったはずなのに、どうして人が死ぬのだろうか。
腹を切る人、首を吊る人、ピストルを頭に突きつける人。。。
そんな出来事が、連日のように起こっていた。
『君は、鹿児島の子だったな。』
『はい。士官殿とも、お別れです。』
21歳の見習士官殿。
日焼けした、凛々しい顔立ちと家柄の良さをうかがわせる品の良い立ち居振る舞いは、思春期の僕にとっては眩しく、自然と憧憬を覚えていた。
時々、なんとなく、人を寄せ付けないような近寄りがたい雰囲気もあったが、年少者を気にかけてくれる優しいお兄ちゃんであり、みなからも本当のお兄ちゃんのように慕われていた。
『士官殿は、どうなされるのですか。』
『戦争は終わった。、もはや、士官ではない。』
士官殿は、少年たちの前に立ち、力強く語り始めた。
『諸君、よく聞け!
日本は戦争に負け、国中、混乱を極めている。
しかし、10年いや、9年もしたら、もとの日本に戻る。
いいや、もとの日本よりも大きく変わっていることだろう!
その時に、生きていくために、必要なことは何か?
それは学問である!私は、これから学問をしに大学に戻る!
君たちも、故郷には戻らず学問をせよ!
それが、国や、君、君たちの家族を助けることになるのだ。』
当時の東京は、焼け野原と化し大学で学ぶことなど考えられないような状況だったにもかかわらず、9年先を見据えた士官殿は悠悠たるものだった。
先を見ることは、たとえ今すぐにできないことだとしても、生きる希望や原動力をもたらすのだ、と子どもながらに思った。
8月15日の終戦を迎えるまでは、国のために戦い、国のために死んでいくことが国や家族を守ることと教えられてきた。
しかし、これからは違う。
学問!
それこそが必要になるんだ!
武器は、もう必要ない。
学問、それこそが国や家族を守ることにつながっていくんだ!
士官殿は、いやお兄ちゃんは大学に戻る。
では僕は、どうしようか。
先生は、東京に残り東京高等師範学校へと進学することを決意します。
その後、日本を代表する心理学者への階段を上っていきます。
終戦時の体験は、心理学者の道を進む先生にとって、大きな影響を受けた出来事だったそうです。
先を見据えて今を生きる、そのためのプログラム教育が必要なんだ、と講演会でもおっしゃっていました。
その話は、またいつかご紹介しますね。
苦境の中にあっても、先を見て今を生きることができる。
先を見る力がある人は、現在の苦境に耐えることができる。
今、何をしたら良いかの判断をすることができる。
もし、あなたが、今の事で悩んだりどうしようかと迷ったりしたときは、是非一度、先の事を考えてみてください。
この先のために、今どのような判断や決断をするか、それがあなたを奮い立たせる原動力にもつながるかもしれません。
ここ半年ばかり、コロナの影響で安心して色々なことを楽しめるような状況ではありませんね。
帰省や旅行を中止したり、キャンパスライフを謳歌できなかったり、毎年の地域行事も中止になってしまったり。。。
諦めたり、我慢したりすることが多かったのではないでしょうか。
そんな時だからこそ、是非、先のことを考えてみませんか?
コロナが収束したら、どんなことをしたいですか?
是非、楽しい計画を立ててみてくださいね。