「宇田川源流」 なぜ「石破茂」的な人物は嫌われるのかという組織内論的な検証
「宇田川源流」 なぜ「石破茂」的な人物は嫌われるのかという組織内論的な検証
確か予定では本日告示される予定であるのが2020年の自民党総裁選である。とりあえず、本文が出るのが9月8日の午前7時であるので、本文は告示前ということになるはずである。よって、本文は、一応公職選挙法であったとしても、違反になるギリギリのところとは異なる。ましてや、自民党の総裁選挙は、単なる自由民主党という一政党の内容でしかない。
いうなればトヨタや日産の社長を決めるというような者と変わらないわけで、その規模が大きかろうが、またはその人が日本の総理大臣になろうが、実際には関係がない。一部の中に党員投票で決めるべきであるなどの意見があるが、それはトヨタの社長が経済団体などのトップになり日本のGDPの中で大きな部分を占めるなどということを言い、そのうえで、その社長を従業員投票で決めるべきとか、国民投票で決めるべきなどといっているのとあまり変わらない状況である。それくらいん「公私の別」がわからない人がマスコミの仲や一般の中に多すぎるわけであり、あまりにも無責任でなおかつ頭の悪い意見でしかないのである。。
さて、その中で、本日の告示までにマスコミなどが「国民に人気がある」とか「次の総理にふさわしい」などとしてアンケート閣下がトップであった石破茂氏の人気が全くないということが明らかになってきた。というよりは「もともと人気がないのに、マスコミにそのような数字を作られていたのではないか」というような疑惑まで出てくるほどの凋落ぶりである。
さて、これは何があったのであろうか。実際に、マスコミもさすがに今まですべての内容を捜索や捏造で数字を作っていたとは思わない。しかし、ここにきて全く振るわないというのは、一体どういうことなのであろうか。単純に「石破茂」という人物が、よほど自民党の中で嫌われているとしか思えない。現在では党員投票にしても勝てるとは思えない内容になってきているのである。
その内容につて、このブログ的に少し解説をしてみよう。
石破氏、自民党内でこれだけ嫌われるワケ 「後ろから鉄砲を撃つ」「裏切り者」「言行不一致」
安倍晋三首相の後継を選ぶ自民党総裁選で、石破茂元幹事長(63、石破派19人)が劣勢に立たされている。報道各社の世論調査では、「ポスト安倍」に期待する人物としてトップに名前が挙がるが、党内の評判・評判は違うようだ。どうやら、「自民党離党の過去」「派閥結成の経緯」「後ろから鉄砲を撃つような言動」が影響しているようだ。
石破氏は4度目の総裁選挑戦に並々ならぬ意欲を見せて、テレビやラジオに頻繁に登場している。だが、党内では孤立気味だ。なぜ、これほど嫌われているのか。
まず、露骨に「倒閣」に動いた過去が大きい。
石破氏は1993年、宮沢喜一内閣の不信任案に賛成して離党し、「政界の壊し屋」こと小沢一郎衆院議員と行動をともにした。このため、党内には、「党が苦しい時に出ていった裏切り者」との声が根強い。
復党後の2009年には、麻生太郎内閣の農水相でありながら、与謝野馨元財務相と官邸に乗り込み、麻生氏に退陣を迫った。寝首をかきに来た石破氏に、麻生氏らはいまも不信感を募らせている。
言行不一致も指摘される。
安倍内閣の幹事長時代、「派閥政治を解消する」と言いながら、15年には自らの派閥を立ち上げて、党内であきれられた。
発言・発信内容が、疑心暗鬼を生んでいる面もありそうだ。
昨年8月23日付のブログでは、韓国政府が日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めた背景について、「日本が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが問題の根底にある」と発信して話題となった。党内で疑問視されただけでなく、ネット上では「鳩山由紀夫元首相とソックリだ」などと批判された。
今年7月2日の共同通信加盟社論説研究会での講演では、安倍政権の「米軍普天間飛行場の危険性除去には、名護市辺野古への移設が唯一の解決策」とする方針に、「これしかない、とにかく進めるということだけが解決策だとは思わない」と疑義を示した。
左派野党やメディアと重なる発言内容が、沖縄や野党支持者の評価を得た可能性はある。
ただ、中国の軍事的覇権拡大が強まるなか、日本の安全保障のためにも同盟国・米国との約束を重視する自民党主流派とは距離を広げたようだ。
2020年9月2日 17時6分 ZAKZAK(夕刊フジ)
https://news.livedoor.com/article/detail/18832613/
まず根本的な問題として、「決まったことに後から文句を言う」ということは、どの組織でも嫌われるものである。単純に言えば、物事というのは「決まるまで」は自由に議論をすればよいし百花繚乱の意見がなければおかしいのである。しかし、集団において、少なくとも正当な手続きによって決められた場合、その内容に関しては集団に属する以上はその集団の決定に従うべきであり、その決定に反する場合は、少なくとも集団の中のルールに基づいて発言をすべきであって、マスコミなどを使って存在感を示すというようなやり方をすると、単純に多くの人から反感を買う。これは「決まったことを覆す」ということと「集団の決めたルールや手続きを守らないという身勝手」に対する反感であり、その主張の正当性などとは全く異なる次元の問題である。
「自民党離党の過去」「派閥結成の経緯」「後ろから鉄砲を撃つような言動」<上記より抜粋>
まさに、この三つの理由に尽きるわけであるが、まさに「後ろから鉄砲を撃つ」という批判は「卑怯者」といわれているものである。私自身の記憶では、石破茂氏はある意味でまじめであるしそれなりにしっかりとした考え方を持っていると思う。しかし、それが嫌われるのは、その方法論の部分が大きいのではないか。そしてそのように後ろから鉄砲を撃つような批判の仕方をするというのは、「自分が目立ちたい」とか「マスコミを通じて自分の人気を確立する」というようなことでしかない。そして、正当な手続きにって議論ができないのは、その議論に関して自分の意見に自信がないというように見られていしまう。単純に意見に自信がないなど「反論のないところでしか意見を言うことができない」のでは話にならないし、代表として外に送り出すことはできない野である。
だいたい、石破茂氏とそれに近しい人々も、野盗の面々も、「他人を批判することによって自己の存在を確立する」ということを止めるべきである。単純に批判で人気を得ていてもそのことは、国民の支持に結びつくものではない。そのことがわからない人が与党の総裁になっても、それは悪夢の民主党政権と同じになってしまうのである。
このように考えた場合、「自民党離党の過去」や「派閥結成の経緯」ということよりも、まさにそのような「批判をする」ということ自体がおかしいということになるのではないか。
上記のように、外交上も「中国」などに忖度するような政策を言うことも多く、防衛大臣を経験していながら日米同盟に反することを言うなど、やはり政治の継続性や外交にも不安を残すことになる。
そのようなところが嫌われるということになるのではないか。
まあ、「嫌われる」というのは「今までのその人の行動の集大成」でしかなく、今更そのことを言っても全く意味がないということになるが、しかし、今後この「悪い例」を見てどのように考えるのかということが最も重要になってくるのではないか。