修羅ら沙羅さら。——小説。8
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
蘭陵王第一
ミーの店に客はいなかった。営業していなかったのだった。女たちは当分の間放置する店の当座の片付けをしていた。二度目だった。三月と四月もそうだった。女たちの唇にだけ、女たちの笑い聲がたった。ミーだけ、すれ違う最後まで壬生を見ていた。目配せなどしなかった。そのままに正面に壬生を見て、ミーは素直に笑んだ。笑い聲のないのを恠しむほどに、それは完璧な笑みだった。壬生はそう思った。壬生は女に笑んだ。ミーの目の前を通り過ぎ、壬生はユエンの祖父の家で犬をあやした。レ・ティ・カンの家族たち、…その娘たちは家で氷を売っていた。離婚して戻った太ったヒエン、そして一度も結婚しなかった太ったタムが、いつも店前に番をした。レ・ティ・カンは姿を顕さなかった。九十を超えていた。その日、レ・ヴァン・クアンを見舞わなかった。レ・ハンは敢えて壬生に距離を保った。まるでその男、壬生など知りもしないかのように。肌がふれあいそうなほどの傍らに座り込んで。かくて偈を以て頌して曰く
路面は白く光るのだった
ゆがんだ指が樹木の肌に
日の光にさされていまや
つきさされて更に
アスファルトはただ白いきらめきに染まって消し去る
歪んだ頭部を内側に曲げた
その色を
その死者たち
翳りかけた日は光りの傾斜の
翳る翳りの死者と未だ
角度の儘に煌めくべき
生まれなかったものらの翳り
煌めき得るもののすべてをその時
その肉の
煌めかせ
千切れた切れ目に血の玉が
さらされた肌の額の色は
散る
その色を失う
足元につきだした
さらされた二の腕の色は
その翳りの口の
そのきらめきを這わす
開いた空洞に
わたしの見なかったわたしが
心臓が腸を喰った。だから
あなたの眼のなかにきらめいたことは
翳りの楕円の眼球は
知っている
かくに聞きゝその日曜日の夜壬生は片岡信夫とLineで通話せり片岡は東京在住なりて宮島の中學時代の友人なりき彼ジャズを愛好すトロンボーンを吹ひて上手なりき在關西なる大學の比より時にニューヨークに渡りてすでに幾度なりき始めに岡山に繊維會社に就職せり三十歳が時廣島なる不動産会社に轉職せり後東京に移動せり是レ本社なりきかくて片岡歎きゝ素直に歎きてコロナ不況を歎きて嘆き又茶化し笑ひて歎き白して歎きて言さく…娘、十二歳になってさ。…
どっち?
ん?
上?…下?——ふたりいたよね。
…上。
問題は学校なりき例年通りの学業進行は望めずすでに破綻せりかくて白して歎きて言さく…最初から、
ん?
ネットで通信教育とか、そっちの方すすめりゃいいんだよ、外国、…って。
さ、——
そうなんでしょ?日本、…って。
さ、——
なに?
後進国じゃない?…すでに。
壬生笑みて白して笑ひて言さく…一年くらいなんでもないだろう?
片岡は云さく…他人の冷静な意見ありがとう。
片岡と壬生かくて笑ひきかくて頌して
あなたに話そう
見よ
まさにあなたの爲に話そう
まさに
夕方に空は淡い紅蓮を西の一部にだけさらした
見よ
晴れた日だったから
見える眼は
空はたしかに夕焼けて、崩壊じみた色をさらした
見よ
あるいは色のかたちを
見えない目も
庭の樹木の向こうにそれとなくに私は見た
見よ
ミーの印象があった
抉られた目も
想い出すともなく思う
見よ
疑問だった
ほじくられた目も
人目をひくには違いない、おそらくは二十代の後半の女がよくわたしに焦がれてだけいられるものだと
見よ
ミーに男の翳はなかった
嘴に
店に男たちを群がらせて、そのまんなかでミーに男の匂いはなかった
さわぐ羽根の音の下の
もしそれが本当だったら、彼女は
嘴に
報われない時間を好き放題に浪費していることになった
苛まれた目も
初めて見たのは店をオープンさせたときだった
見よ
三年以上前だったに違いない
燃えた鐵に
初めて私を見た時に彼女は目の瞳孔をひらいた
突き刺された目も
わたしは開かれた瞳孔の空洞にも似た表情のなさを見た
見よ
ミーはわたしに近づくでも無かった
燃えた鉄の
週になんどか私は行った
色なす赤に
それ以上にミーはわたしに近づくでも無かった
燒きつぶされた目も
——元気?
その色彩
と
ふいに空に
Lineがメッセージを受けた
月の上りかけたのを知った
片岡信夫だった
その背後に
しのぶ、という名の男
燃えったっていたに違いない
——たぶん。生きてる?
色
わたしは返した
その色彩
アプリが通話を通知した
まなざしは見ていた
だからわたしはシノブの聲を聞いた
むしろ
——生きてるよ
どこまでも昬く
——入院してるの?
靑の
——なんで?
靑なす靑の
——決まってんじゃん。コロナ
黑の気配に
シノブは聲を立てて笑った
重さを持たずに
——失礼だね
沈み込む靑の
——コロナって失礼なの?
深い
——お前が失礼。ベトナム、どうなの?
靑なおす猶靑の
——今日の天気?
その澄んだ色
——コロナ
あまりにも澄んだ
——ぼちぼち
生き物の
——そっち、優秀なんだってな
生き残り得る可能性など
——先進国の方が莫迦なだけとも云う
なにもさらさないその色
——ひどいね
夢のように
——じゃない?感染症の問題を、すぐそれ以上の問題にする
月はそこに
——患者の謝罪とか?
うつろに白い
——日本、特にひどそうだね。そういうの
顯らかに
放っといたら、世界の戦後世界の世界秩序とそもそもの世界の存立形而上学的原理の
朧に白い
内面的諸事象のジェンダーのダイバーシティ的妥当性にまで論が及ぶ
——なにそれ?
顯らかに
——俺も知らない。こっちも、又、はじまったみたい
幻のように
——なんで?
顯らかに
——外国から来たんじゃない?一国だけコロナ、ゼロになっても、外国が大量なら大量にいるのと一緒
不意につかれた
そういうことなんじゃない?日本は?
ふりむきざまの
——終わった
嘘のように
——何が?
月は白い
——また、めっちゃ増えてるな。あれ。もう、おわり
顯らかに
——とっくに終わった国じゃん。日本なんか。未来ないよ。棄てちゃえ
かたちさえ顯らかにせず
——いうね。これ、来年もコロナでつぶれそうな感じ
顯らかに
——だろうね。仕事は?
そのかたちは
——リモート・ワークってさ、それでOKなのとそうじゃないのあるじゃん
そこに浮く
——不動産だめなの?
見よ
——役所もなにもオンラインになったら、実はいける。やろうと想えば
振り返りさえすば
やろうと思えば、いま、徹底管理システム、それなりにつくれちゃうから
見よ
ネットの犯人探しとか特定捜査とかさ、知ってるでしょ
そこにはまさに
デマにひっかかる可能性多くても、それなりに情報集められちゃうしね
その色彩
個人が徹底管理システム、それぞれに構築できる…
ひとりでそこに
——国家、もういらないね
燒けた色彩
——紛争と戦争するための装置ってだけなんじゃない?
振り返りさえすれば
——藥、できないもんかね?
月は白く
——総理大臣につける?
紅蓮の色彩
——それと、コロナにつける
月は白く
——…ね、こんな、話ある。聞きたい?
燃え上がった色
——聞きたくない
月は白く
——聞け。ハンセン氏病ってあるじゃん
赤い。みだらなまでに
——癩?所謂…
月は白く
——a.k.a.癩。今ハンセン氏病。…あれの差別問題ってあるじゃん。曰く、むかしの人間は莫迦だった
赤い。無残なまでに
皆みんな莫迦だった。だから不当にも不幸な彼等を隔離し差別した。…ね?俺たちは…
月は白く
俺たちの父の父は、その世代は、善良なるままに差別し貶めたのだった
赤い。赤裸ゝな
遺伝だとかなんだっていうデマもあり。もちろん宗教的な…ほぼほぼオカルト的な云々もあり、俺たちは…
月は白く
俺たちの父の父は、その世代は、善良なるままに差別し貶めたのだった
赤い。凄惨なまでに
あれ、なんで嘗ての隔離が差別と斷じ得るか知ってる?藥のせいじゃん。ないし、藥のお陰じゃない?
月は白く
プロミンっていう。その薬が終戦の前くらいに開発された。それから一気に変わる
赤い。惨劇のように
今は使われてないみたいだけどね。その薬も
月は白く
なんか、新藥いっぱいあるみたいね。ともかく、治療法があれば差別も無くなる
赤い。滅びたように
そもそもハンセン氏病自体感染力の強いものじゃない。梅毒も一緒
月は白く
ちょっと一緒に患者といたからってすぐに感染するものじゃない
赤い。燃えあがり、そこだけまさに
だから、そもそもそんなに蔓延してなかったはずだよ。だから、逆に稀な業病たりえてしまった、と
月は白く
ただ、それもプロミン以前。治るんなら何ももんだいない
赤い。まさに今まさにこの時に
例えばヨブもベン・ハーも大内吉繼も北條民喜もさっさと病院行って藥投与してもらえばいい
月は白く
彼等が本当にハンセン氏病だったらね。
赤い。すべてがもはや
未知の古代病だったらごめん。神樣プリーズ。医者どもフリーズ。
月は白く
だから俺らは普通に大した善意もなにもなく無邪気にハンセン氏病に対して善良でいられる
赤い。殲滅をさらしたように
ところがさ、ここに新型癩ナノ・ウィルスっていうのが覺醒したらどうするだろう?
月は白く
たとえば、その新型癩は舊型とくらべものにならない感染力を持つ肌がふれあうどころかさ
赤い。目を覆うばかりに
たとえばね。
月は白く
そのウィルスの付着したものにせっしょくしただけで50%程度の感染を見る。
赤い。むごたらしいほどの
ここにそんな新型癩ナノ・ウィルスっていうのが覺醒したらどうするだろう?
月は白く
もちろんハンセン氏病菌とちがって飛沫感染もする。
赤い。なぜだろう?
ここにそんな新型癩ナノ・ウィルスっていうのが覺醒したらどうするだろう?
月は白く
症状はハンセン氏病ほどやさしくない。本当に骨まで侵食して人体を變形解体してしまう。
赤い。何故だれも
ここにそんな新型癩ナノ・ウィルスっていうのが覺醒したらどうするだろう?
月は白く
致死率は…いや、生存率は3年で2%くらいだ。しかも新型ナノ・ウィルスだから藥がない。
赤い。なぜ誰も、救わなかったのだろう?
ここにそんな新型癩ナノ・ウィルスっていうのが覺醒したらどうするだろう?
月は白く
しかも進化変異がはやい、微毒化、強毒化をくりかえしながら変異しつづける。
赤い。その色
かつ潜伏期間も2週間から1か月程度のぶれがある。本当はもっとぶれがあるのかもしれない。
月は白く
正確にはだれもわからない。
赤い。その明らかな壊滅の焦げた色を
昨日のくすりは今日訳にたたない…どうする?
月は白く
治療法など誰にも判らない。
赤い。多禮久豆禮琉彌布邇
どうする?
月は白く
救い方も、救われ方も、なにもかにも誰にも判らない。
赤い。崩れ於智琉彌宇邇
お前、どうする?
月は白く
——どうしてほしい?
赤い。流れ、崩れ、崩れ、流れて
——普通に、お前だったら、どうする?
月は白く
——そうな。…手当たり次第隔離するか。で、手当たり次第子供でも作るか。
赤い。その儘に
子供が発病したら隔離するか。で、俺も発病したら隔離するか。
月は白く
だれかが亡びるまで延々と鼬ごっこで生んで隔離し隔離し生ませるんだね。
赤い。そこに崩れのかたちを留まらせたように
もし、差別が方法論として妥当なら差別させちまえよ。それで誰かがいきのびられるんだろ?
月は白く
それがだめならみんなで死んじゃえ。ないし、みんな殺しちゃえ。
赤い。なぜだろう?
それが妥当な自然な妥当なんだろ?だったら、妥協しとけ。
——それで?
月は白く
——不思議なんだよな。…なんで、誰もが未だに倫理的な善意を以てすべてを語ろうとするのか
赤い。なぜだれもが
なぜ、善意という概念がいまだ滅びていないと斷じてゆるがないのか
月は白く
あたらしい、ないし、見得て居なかったそもそものそれ以前の思考様式が暴かれてるんじゃない?
赤い。なぜ放置してしまったのだろう?
——なに?
月は白く
——たとえば独善。おれはおれを守る。なぜ?意味は知らない。…以上。それだけ
赤い。見よ
それをよしとしない独善的な善意が存在する。だからそれはそれを善意の一形式として仮構してみる
空の遠くの遠い向こうに
つまり、素直じゃない独善。おれは正しくおれを守る。なぜ?意味は知らない。…以上。それだけ
見よ
わたしは笑った
そこに炸裂した巨大な力の
——葛藤
燃え上がる力の
と。私は想い附きで言ったのだった
すさまじい奔流は
——葛藤してあることだけが、彼が倫理的であることを自證する
見よ
——うまく纏めんね。…ひょっとして頭いい?
まさにみずからのかたちも
何の役にも立たないけどね。その物言い。…俺、さ。こう思うの
色をも
——何?
崩壊させて崩れ墜ちかけた
——倫理を問う。それって、不可能なわけ。ありもしないことをあるようにして語るから
その一瞬を凝固させた
倫理には常に状況が伴う。状況を捨象する倫理はない。状況は判断されなければ状況ではない
滅びのかたちと
何を以て状況を判断するのか
滅びの色を
まさに倫理を以て
まさに常のいつもの風景として
倫理を以て判断した状況に際して倫理を以て倫理的にことをなす…どう?
その燒けた空は
矛盾だろ?
背後に曝し
だから、その倫理の倫理的な妥当性を問うのは刺身の魚に空の飛び方を教わるようなもの
月は白く
倫理は倫理を仮構する力とする。倫理に倫理の妥当性を問うことは如何にしてもできない
振り向けば
だれも、なにものをも、そもそも倫理的に問いただすことは出来ない…
月は白く
たとえ、そこに残虐非道の人殺しがちょっとすみません、雨宿りさせてくださいって言ってきてもね
振り向けばそこに
どしゃぶりにの雨の中に…
月は白く
本当に恐ろしいのは倫理について考える事だ
振り向けば目にさらされる
怪物の顏しか見えない。怪物の顏さえ見えない
月は白く
倫理こそが、もっとも不可解で難しい
電話の後でユエンをあやした。
わたしの膝の上に乗せたその頭を。
撫ぜた。
そしてわたしは見ていた。
わたしの足元に、未だ生まれて居ない私の子供の翳りが赤い肉の色を脈打たせた。
ユエンの生んだ子供ではなかった。
ましてゴック・アインの。
天上から垂れた誰かの死んだ腸の先が、目覚めさせた肛門の歯茎で咀嚼した。
わたしはそれを見ていた。