大谷千手観音
http://ooyaji.jp/ 【大谷観音】 より
日本のシルクロードと呼ばれる千手観音像
大谷寺本尊千手観音(高さ4m)は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられています。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東19番の霊場となり、多くの人々から尊崇されてきました。最初は、岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表には金箔が押され金色に輝いていました。最新の研究では、バ―ミヤン石仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロ―ドと考えられています。
千手観音には、千の手と、千の目が有ります。手のひらにも目があり、いつも私達を見守っています。そして、たくさんの手で宇宙にある全ての人々、生き物を救ってくださる有り難い観音様です。お参りの際は、その大きな心を想い、世界の平和と人々の幸せを願い、合わせて感謝の気持ちで合掌しお参りください。
https://butsuzolink.com/oyaji/ 【栃木宇都宮・大谷寺の仏像/磨崖千手観音像(大谷観音)、薬師三尊像、平和観音、御朱印など】 より
今回は日本のシルクロードとも呼ばれる栃木県宇都宮市大谷(おおや)にある大谷寺(おおやじ)を紹介します。
この大谷寺があるのは大谷石の採石場の中心部にあり、今回の仏像も同じ大谷石から作られています。
大谷石は古くから軽く独特の風合いがあり建築家フランク・ロイド・ライトによって帝国ホテル旧本館の材質などに使われ、重宝されてきました。
平安時代に弘法大師によって彫られたという岩の壁に彫られた大きな千手観音像は大谷観音と呼ばれています。
大谷石の洞窟に彫り込まれた平安時代から鎌倉時代の石像群は参拝者を圧倒する迫力に富んでいます。
山の崖や岩の面に仏像が彫られているのは九州の大分県に多く、これだけの規模の仏像群が残されているところは東日本では大変貴重な仏像です。
餃子のまちで有名な宇都宮にあるので餃子をめぐりながら、大谷寺に訪ねる週末、強くおすすめします!
それでは今回は大谷寺をご紹介していきましょう~!
大谷寺(おおやじ)へはJR宇都宮駅からバス(立石行き)で25分くらい「大谷観音」下車すぐです。
また現在、路線バス乗車券とこの大谷寺の拝観券などをセットにした一日乗車券なども発売されていますので事前に確認してお出かけください。(2017年時点の情報です)
宇都宮といえば餃子が有名ですね。市内には気楽に入れる安くて美味しい餃子の有名店がいっぱいあります。宇都宮市の市民のあいだでは「みんみん」と「正嗣」というお店が2大巨頭になっていて、宇都宮市の市民はどちらかというと「正嗣」を好んで食べている人が多いです。
正嗣もみんみんも市内に何店舗かありますが、宇都宮みんみん本店(混雑注意)、正嗣駒生店(売り切れ注意)があるので、大谷寺への行き帰りの途中に立ち寄ってみるのもいいですね。個人的には大谷寺の途中であれば「餃子専門店 正嗣 駒生店」とその近くにある「幸楽餃子店」の餃子の名店を巡って旅の最後に宇都宮の市街地の中心部にある餃子の名店が立ち並ぶ「来らっせ」で総まとめをしていくという食べ歩きコースがおすすめです!
また大谷寺に隣接して大谷資料館があります。ここは少し小高い丘の地下に広がる大谷石採掘場跡が美術館、資料館になっています。この地下空間の中は結構広くまた夏場でも寒いくらいです。ときどきこの空間を利用してPV撮影や音楽会が開催されたりしています。「あれ、このPVここで撮影していたんだ」昔の大谷石の採掘の様子がわかる貴重な場所です。
大谷寺の歴史
大谷寺のある宇都宮市の大谷地区は有名な大谷石(おおやいし)の産地で知られています。昔からその加工のしやすさや見た目の美しさから各地で蔵や石塀などに盛んに使われてきました。この石は軽石凝灰岩(かるいしぎょうかいがん)といって日本列島のほとんどが海中にあった頃に海底で火山が噴火して出てきた火山灰や小石などが海中で固まってできたものだといわれています。この大谷地方には東西8km、南北37kmで深さ200~300mの範囲にこの石が分布しているのです。
大谷寺はこの大谷石でできた洞穴(ほらあな)の壁に石仏を彫り、寺を建立したものです。
このように岩などの壁面に仏像を彫ったものは「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼ばれ、各地に存在します。しかし、九州の大分地方(臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)など)に多く、関東地方でこれだけの規模の磨崖仏があるところはきわめてめずらしいと言えるでしょう。臼杵磨崖仏を西の磨崖仏と呼ぶのに対し、大谷磨崖仏は東の磨崖仏とも呼ばれています。
磨崖仏はアジアの仏教圏(インド、中国など)で古くから作られてきました。またアフガニスタンでもバーミヤン渓谷遺跡など、多くの壁面仏が残されていますが、タリバンなどのイスラム過激派組織によってバーミヤンの2つの大仏が破壊された映像は世界に衝撃を与えました。
さて、こちらの大谷地方はこの石でできた自然の洞穴などを使って古代から人々が住んでいたようです。大谷(おおや)という地名も大きな谷のような場所でしたが、地下から湧き出す水に毒蛇がすんでいて毒素を出すため地獄谷などとも呼ばれていたといいます。
そこに奈良時代の810年頃、弘法大師(空海)が東国地方を廻っていたときに、この話を聞いてこの谷に入って行き、数日後にこの毒蛇を退治したと告げて立ち去りました。里人がその後に洞窟に入ってみると高い岩山に大きな千手観音が彫ってありました。そして人々は弘法大師に感謝しこの観音様を拝み、仏教を信仰する人々が集まるようになりました。これが大谷寺の始まりだと言い伝えられています。
現在、池の中央には弁財天が祀られていますが、このときに退治された毒蛇が心を入れ替えて白蛇となりお仕えしているのだそうです。
この弘法大師の言い伝えはほんとうにあった話であるかどうかははっきりしていませんが、この千手観音が彫られたと思われる平安時代の中期には、この寺(洞窟)は仏教の信仰が盛んになっていたものと考えられています。鎌倉時代には坂東三十三箇所の一に定められ、鎌倉幕府の有力御家人(ごけにん:鎌倉幕府と主従関係を結んでいた家人)であった宇都宮氏による援助を受けて寺は発展しました。その後一時衰退したりもしていますが、江戸時代にも天海(てんかい)大僧正などからの援助を受けて建物もかなり整えられました。
18世紀初頭による火災でその多くを焼失してしまい、磨崖仏は残りましたが、建物の多くはその後に建てられたものが多いようです。
大谷寺がある御止山(おとめやま)は、大谷石が奇岩となり、そこに松などが織り成して自然の景勝が「陸の松島」とも呼ばれていました。そのため栃木県では日光の「華厳の滝」に続いて2番目に国の「名勝」に指定されました。御止山(おとめやま)というのは御留山などとも呼ばれ、江戸時代に一般の人々が立ち入れない特別な山でした。特に日光輪王寺の宮様専用の山で、秋には宮家が松茸狩りなどをされていたようです。大正天皇がたびたび訪れたので山頂には記念碑が建てられています。
また、大谷磨崖仏は昭和29年3月に国の特別史跡に、また昭和36年6月には国の重要文化財に指定されました。
磨崖仏の下約3mの地層からは、縄文時代初期の今から約1万1千年前の20歳前後の男性の屈葬人骨がほぼ完全な形で出土しています。
大谷寺の磨崖仏(仏像)の詳細
磨崖仏や宝物館等、内部の写真撮影は出来ませんが、とても神秘的で厳粛な気持ちにさせてくれる仏像群をぜひ身近で体験してほしいと思います。
本堂を入ると、千手観音像、伝釈迦三尊像、伝薬師三尊像、伝阿弥陀三尊像の4組10体の石心塑像が4区に分かれて彫出されています。
これらの石仏群は「大谷磨崖仏」として1954年に国の特別史跡に指定され、さらに1961年には国の重要文化財として指定されました。
では磨崖仏などの仏像の紹介をしていきましょう。
千手観音像:石仏(平安時代初期作、高さ約4m)
この像が大谷寺の本尊で、弘法大師(空海)が彫ったと伝えられています。
また、古くから「大谷観音」と呼ばれて多くの方々から親しまれてきました。
この磨崖仏はシルクロードの磨崖仏を思わせることから「日本のシルクロード」とも呼ばれています。
この千手観音像の制作方法は、最初に岩に直接彫刻し、その表面に赤い朱を塗り、さらに粘土で細かな化粧(目や鼻、手なども粘土による仕上げ)をした上に漆(うるし)を塗り、そして一番表面に金箔を押して作られたようです。そのため昔は金色に輝いていたようです。現在は、自然風化や江戸時代の火災等により、一部の粘土が削られ無くなってしまっていますが、一部に彩色の跡が残っていますので磨崖仏としてはかなり保存状態が良いといえるでしょう。この手法はアフガニスタンのバ―ミヤン石仏と共通点があることから、実際にはアフガニスタンの僧侶が彫ったのではないかともいわれています。これは、まさしく日本のシルクロ―ドといえますね。
千手観音は、千手千眼観音とも言われ、千の手に千の目を持って多くの民を救ってくださるのですが、実際には方から先の手が40本(合掌の手2本を合わせて42本)です。しかし1本の手で25本の手を兼ねておりますので、40本×25本=1000手となります。
奥に進むと、脇堂に覆われた磐屋(いわや)には伝釈迦三尊像(平安時代後期作)、伝薬師三尊像(平安時代初期作)、伝阿弥陀三尊像(鎌倉時代作)が岩壁に彫られています。これらはかなりの迫力があり、その存在感に圧倒されます。
(伝)薬師如来三尊像:(平安時代初期作)
薬師如来は、脇侍には日光菩薩と月光菩薩を配しています。石の壁を掘りぬいた中に納められており、むかしは扉があったとも割れる穴があいています。
(伝)釈迦三尊:(平安時代後期作)
釈迦如来は、脇侍に文殊菩薩と普賢菩薩が配されています。
像は人々が拝みやすいように、上部に行くほど厚く、拝んだ時に立体的な遠近感が出るよう彫られています。
(伝)阿弥陀三尊像:(鎌倉時代作)
阿弥陀如来は、脇侍には観音菩薩と勢至菩薩を配しています。この像は他の像に比べて保存状態が良いので、鎌倉時代に作られ、江戸時代に徳川家康の長女亀姫により修理が施されたといわれています。
小さな石仏群
本堂に入る手前の岩壁には小さな石仏や磨崖仏が無数にあります。この空間は壁がコの字になっていて、たくさんの石仏に包まれているようになります。
そしてところどころに開いた小さな貫通穴から光が差し込みます。
平和観音
昭和29年に太平洋戦争の戦没者を供養するために完成しました。高さが27mもある大きな観音様です。
こちらは新しい石造ですが、一番大きな像なので「大谷観音」と間違える方もおられるそうです。確かに迫力ありますね。