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地下迷宮の秘密を探る旅 ~大谷石文化が息づくまち宇都宮~

2020.09.07 09:17

https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/citypromotion/rekishi/1015948/1015963.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter  【「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が日本遺産に認定されました】 より

概要

本市におきましては、平成30年1月25日に、本市を代表する歴史文化資源である「大谷石文化」をテーマとして、平成30年度の日本遺産申請を国に行い、日本遺産審査委員会の審査を経て、平成30年5月24日に日本遺産の認定を受けました。

平成30年度は、全国から76件の申請があり、日本遺産に認定されたのは、本市を含め13団体でした。

認定証交付式・認定セレモニーの開催

平成30年5月24日、午前11時分から、東京ステーションホテル(東京都)において、平成30年度の日本遺産認定結果の発表と認定証の交付式が行われ、佐藤栄一宇都宮市長が出席しました。

また、本市では、日本遺産認定を受け、同日の午後3時45分から、「大谷石文化」の構成文化財の一つである「カトリック松が峰教会」において、認定セレモニーを行いました。

タイトル

 「地下迷宮の秘密を探る旅  大谷石文化が息づくまち宇都宮」

ストーリーの概要

冷気が張りつめるこの空間は一体、どこまで続き、降りていくのだろう。

壁がせり立つ巨大な空間には、柱が整然と並び、灯された明かりと柱の影が幾重にも続く。柱と柱の間を曲がると、同じ光景がまた目前に広がり、しだいに方向感覚が失われていく。

江戸時代に始まった大谷石採掘は、最盛期に年間89万トンを出荷する日本屈指の採石産業として発展し、地下に巨大な迷宮を産み出していった。

大谷石の産地・宇都宮では、石を「ほる」文化、掘り出された石を変幻自在に使いこなす文化が連綿と受け継がれ、この地を訪れる人々を魅了する。

今後の取り組み

今後は、「大谷石文化」について市民や来訪者の皆さんに理解を深めていただくため、その特色や魅力を広く情報発信していくほか、大谷石文化を体感していただくため、案内板の整備やガイドの養成など受け入れ環境の整備に、市はもとより、歴史文化関係団体、観光・まちづくり団体、地域団体、公共交通事業者等と連携・協働しながら取り組んでいきます。

お知らせ「石の街うつのみや(大谷石をめぐる近代建築と地域文化)」改訂版の発行

宇都宮美術館では、平成29年1月8日から3月5日に、美術館開館20周年及び市制施行120周年を記念し、「石の街うつのみや大谷石をめぐる近代建築と地域文化」の展覧会を開催しました。

展覧会の開催にあわせて標題の図録を作成し、好評につき完売となっておりましたが、今回の「大谷石文化」の日本遺産認定を契機として、このたび改訂版を発行しましたのでお知らせします。

詳しくは、関連情報の宇都宮美術館ホームページをご覧ください。


https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/app/upload/heritage_data_file/057-8527917817000797.pdf【F]地下迷宮の秘密を探る旅 ~大谷石文化が息づくまち宇都宮~】

より抜粋

ストーリー

JR宇都宮駅から北西におよそ9㎞,市街地を抜け,多気山 たげさんと丘陵地が大きく見え始めると景色は一変し,鋭く切り立つ岩山と灰白色の岩肌に蔦つたが絡まる奇岩群 きがんぐんに囲まれる。ここは「大谷おおや石い し」の産地,宇都宮市大谷地域。約 1500 万年前に起こった海底火山の噴火が,石の文化の源となる膨大な凝灰岩の地層を産み出した。

この大量の凝灰岩の岩山に目を付けた人々は,この地でこの石と共に暮らしてきた。

古くは,縄文時代に岩山の洞穴を住居として利用し,古墳時代には横穴を掘って墓地とした。奈良・平安時代には,日本最古の磨ま崖仏がいぶつとされる大谷観音を,自然の岩窟がんくつの壁面に彫りだし,信仰の場をつくりだした。大量の石に恵まれた宇都宮の人々は,長い時の流れの中で,この石に祈りや願いを「彫り」,そして石材として「掘って」きたのだ。

■石工が掘りだした巨大地下迷宮

石を「掘る」文化の証が,かつて大谷に約 250 ヶ所あったという採掘場とその跡地である。大谷の採掘場の多くは地下にあり,地表下 100mに設けられた採掘場もある。坑道の先に天井と壁・柱で構成された巨大な空間が現れる。その天井高はおよそ 30m,全てがひとつの石

の塊で,壁面に採掘の痕跡が残る。

昭和 30 年代に機械が導入されるまで,採掘は手作業で行われ,わずか 18×30×90cmの石材 1 本を切り出すために,石工は約 4,000回も鶴嘴つるはしを振るったという。この広さに到達するまでには気が遠くなる人の手がかかっているのだ。

冷気が張り詰める坑内には,天井を支えるために残した柱が立ち並び,行く先々を照らす明かりが重層的な影を生み,神秘的な情景を醸し出す。巨大な柱の先を曲がると,再び柱が立ち並ぶ光景が目前に広がり,次第に方向感覚が失われていく。ここは,採掘産業を支えた石工たちが,手作業で掘りだした巨大な地下迷宮なのである。

■大谷石産業の歴史

大谷石が本格的に建材として採掘されるのは江戸時代頃からである。当初は農閑期に露出する石を採掘していたが,明治以降は採掘産業として本格化し,人車じんしゃ軌道きどうや鉄道等の輸送手段の発達や採掘の機械化により出荷量は飛躍的に増加した。大谷石は宇都宮のみならず東京や横浜に大量に出荷され,近代化する日本の都市づくりの礎となった。

かつての軌道沿いに造られた街道には,いまでも石材店が連なり,石工たちも集まった大谷石造りの旧公会堂もその一角にたたずむ。問屋は石山ごとに「山の神」を祀り,石山の安全や産業と地域の繁栄を祈願する。

■掘り出した石で築いた都市文化

城下町・門前町として発展した宇都宮の市街地では,江戸時代以降,都市づくりに大谷石を使い続けてきた。都市のシンボルである二ふた荒山あらやま神社の石垣をはじめ,教会や寺,公共建築,豪商の屋敷,民家の塀まで,用途・身分・宗教を問わず大谷石が使われた。大谷石で外壁を覆うカトリック松が峰教会聖堂では,浮彫を施した大谷石タイルを複雑に組み合わせ,象徴的な丸いアーチや西洋中世の教会建築の意匠を実現した。対照的に,日本聖公会宇都宮聖ヨハネ教会聖堂では,同じ大谷石タイル張りでありながら,石の自然な表情を活かした素朴なたたずまいの敬虔な信仰空間をつくりだした。また,耐火性に優れ調湿・消臭効果を備える大谷石は,食品醸造に適し,味噌や酒,醤油などの商家の蔵に用いられた。江戸時代から続く老舗では,いまでも石蔵で宇都宮の味をつくりだしている。建造物以外にも,人々の憩いの場となる庭園の花壇や園路,道路の敷石にも用いられた。やわらかな大谷石は様々な表現・活用を可能とし,多様なデザインを欲した都市づくりに重宝されたのである。

■農村の暮らしに溶け込む大谷石

農村部には,田園と大谷石が一体となった素朴な景観が広がっている。30棟以上の石蔵が集まる集落では,掘り跡が生々しい石壁や屋根瓦の代わりに大谷石をのせた石屋根も目に入る。かつて石工だった家では,蔵の窓周りに梅や松の彫刻細工を施し,思い思いに自分の蔵を飾り立て,玄関先では石造りのカエルが「無事カエル」主人を出迎える。大谷石は,一般的に神社の鳥居とりい,野仏のぼとけ,供養塔くようとう,祠ほこらなどに使われるが,宇都宮の農村部では,田んぼの土留どどめ,農業用ポンプ小屋,消防器具庫にも大谷石が使われる。田園風景の中を散策するたび,自由自在に姿を変えた大谷石との出会いがある。

■凹が拡がり,凸が生み出される宇都宮

宇都宮では,大谷石を彫って掘ってほり続け,地産地消の資源として変幻自在に使いこなす文化を育んできた。石との付き合い方は時代とともに変化を続ける。地下採掘場跡地は,採掘場内探検の舞台となり,市内に9,000 棟ある大谷石建造物は,カフェやギャラリー等への転用が進む。現在も地場産業として大谷石採掘は続き,地下迷宮は拡がり続ける。地下の巨大な凹が大きくなればなるほど,石のまち宇都宮の魅力が凸出していく。これからも宇都宮の人々は,大谷石と共に暮らしていく。