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【コラム】夢と目標・微笑と救いの絵を描くことについて

2016.07.08 14:54

今日は私が微笑と救いの絵ばかり描くようになった理由を語ろうと想います

マリア像 水彩画 2Lサイズ 画用紙 (個人蔵)

渡邉裕美作  (C) Hiromi Watanabe  All rights reserved.



私が微笑みと救いの絵ばかり描くようになったこと、それは

大学時代のショックな経験を経たことにさかのぼります


その事件はどうしようもない辛さを私にあたえましたが

その責任の一端が私自身にもあったため、

誰にも明かせず、告げられず、ずっと1人で悩み続けることになりました。。。


そうして2年近く悩み続けたのち、さらにその傷を上塗りするような事件が起こり、

ついには私自身の精神が破たんを起こすにいたってしまいます。


それから長い療養生活が続きました

ただただ「死にたい」と想い続ける日々でした


ようやくわずかずつ回復して、友人と交流できるようになり、

社会への想いが芽生えた頃。

難病が私を襲います


それは肺が止まり人工呼吸器につながれ、手足の力も衰え

食べ物ものどを通らず鼻からチューブを挿されてミルクだけが注がれる入院生活を

私にもたらしました


もう後は死を待つだけの日々でした

手術は不可能と言われていましたが


父母が死を選ぶよりはと医師を説得してくれて、手術が何とか受けられるようになれました


ようやく回復して、でも言葉が上手くしゃべれず、

それでも欲しい服があってバイトを始めることにしました


社会生活に馴染めるようになると、

生来の夢が頭をもたげ、絵で生活ができるようになりたい。

そう想い、当時の最先端のコンピュータグラフィックスを学ぶために

就職率90%越えとうたわれるスクールに通うようになりました


そこを卒業すると、でも就職課で、

「あなたのような絵は自分で仕事を探してください」と言われ

さあ、就職活動をしよう、と想った矢先に結石ができてまた入院することに。


退院後、仕方なく、それでも自作品をもって活路を見出そうと画廊を廻っていると、

「グループ展をしませんか」と声をかけていただけて。

その参加したグループ展で、とんとん拍子に個展のお話をいただけ、

夢だった1999年、ノストラダムスの予言で世界が滅ぶ前に個展が実現しました!


そうして病院につとめながら彼氏ができて、結婚しようとまで言ってもらえた矢先に、

第2の難病にかかります。


入院生活の中で彼氏とも別れが来て、

その後、しばらくは懇意の画廊さんでグループ展に何度も参加する日々でした


そうして思い切って2度目の個展をすると決めた時、

テーマを何にしようかと瞑想してみました


そこでは、私の人生を変えた経験を絵にすること。

その辛かった思いを糧に、人を救えるようなものを描くこと。


水彩抽象によるヒーリングアートを目指すことでした

そうしてその後ブログをはじめ、ネットの上の人と出会い、

中でも衝突や新しい悩みも生まれ、その悩みを消化、昇華するために、

辛い心を救うために菩薩様などを描くようになりました


そうした絵が「優しい」「癒される」と言われることに最初、私は

信じられない想いがしました

自分が辛かった思いがそこにはあったからです


でも、人々との交流が私を変えました

暖かい想いを知りました


その後辛い経験をするようになった時には、

「こんな私のような辛い想いをしている人が、誰にも理解されていなくても、

私だけはその人を救えるように」との想いを抱くようになりました


その想いを表現したのが個展「祈りの瞬(とき)」でした



許し 水彩画 B2版 木製パネル張りワトソン紙

渡邉裕美作  (C) Hiromi Watanabe  All rights reserved.



その後、新しくブログで知り合った人たちに、

随分と優しくしてもらえるようになりました


そうして、微笑みこそが温かく、ひとを癒すもので、

そうした人たちのお蔭で私自身も微笑めるようになり、


微笑みの絵を描くようになりました


そして、それらの微笑みの絵が、

みんなに「癒される」「ほっとする」といってもらえることが

私の最大の喜びともなりました


そんな絵たちをたくさんの人たちに見てもらいたい。


そういう望みが、今の私の夢であり目標でもあります。