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富士の高嶺から見渡せば

「人肉市場」が新聞紙面に頻出した韓国の悲惨

2020.09.07 15:24

「人肉市場」とか「人肉商」とか何やら怪しい言葉が、新聞紙面に頻繁に使われていた時代と場所があったことをご存じだろうか?

今から半世紀前の文化大革命の時代に、中国の一部の地域で見られたカニバリズム(cannbalism 食人嗜好*注:鄭義『食人宴席 抹殺された中国現代史』光文社1993によると、内部抗争で殺害した相手の肉体の一部を食べ勝利を祝ったとされる)やホラー映画の類いの話ではない。かつての日活ロマンポルノ映画やセックス記事を売り物にしたピンク雑誌でもタイトルに使うのは憚れるような言葉だが、実はこうした言葉が盛んに新聞の紙面に現れたのは、戦前の朝鮮半島のことだ。つまり「人肉市場」とは人、この場合は主に女性を、肉の固まり扱いにし娼婦として売り買いする人身売買のこと、また「人肉商」とはそうした女性の売買、誘拐、詐欺・拐かしの類いを行うブローカー、仲介人のことだ。

因みに中国語で「人肉市場」(レンロウシーチャン)といえば「売春宿」のことを指し、韓国語で人肉(인육 イニュク)といえば辞書では「売春する女の肉体」(『小学館韓日辞典』)とある。日本語には決してないニュアンスだが、中国にも韓国にもその種の言葉を必要とする需要があったことを物語る。

百年歴史Century History」と題された韓国のYouTubeチャンネルが、当時の新聞記事をもとに詳しく解説し、それをユーチューバーの「Oldman tubeゆんばん」さんが「悪夢から覚めて未来に希望を描く人たちが増えるように願います」と題した動画で、日本語に訳し紹介している。

以下では、その動画のナレーションの日本語字起こしのなかから取捨選択し、補完的な情報も追加して、いくつかの新聞記事を紹介したい。新聞記事のタイトルは漢字ハングル混じりの原文から判読できたものを紹介する(カギ括弧内、太字で示す)。

(以下引用)母親が息子と組んで娘を売った。父親がおじと共謀して自分の娘と姪を一緒に売ってしまった。売られた場所から逃げ帰ってくるとまた他の場所に売った。不景気でおなかがすくと娘を売り、まだ年齢が幼いと戸籍を偽造してまでして娘を売った。

韓国でなくすべきものは、正体も分からないヒョ(孝)という概念だ。これは時代遅れの「抗日精神」同様に、韓国人が捨てるべきことの一つだ。長幼有序の秩序を土台に、父母に無条件に従うことを強要する。あいまいな概念だけに残酷に作用した。

前借金という前金をもらって体を売ることを「人肉市場」に売却(「賣喫メキッ」韓国語)とか放賣などという。

一家に金が必要になったり、急な葬式などで資金が必要になると、自ら他人の家の奴隷になる人が多かった。主にそれは女性だった。必要なだけの金を先にもらって奴婢(どひ)文書を作成した。この奴婢の特徴は、最初にもらった前借金を返済すれば自由な身分になることができた。しかし世の中はいつもそんなに簡単には行かない。奴隷になる対価として先に金をもらう前借金は、結局一人の人間の命の値段となり、(取引きされるたびに値段は上下し 注:括弧内は筆者の補足、以下同じ)、その金を得るために人々は互いに欺し欺されることになる。

                       (「奴婢文書」=奴隷売買契約書)

この動画では、かつての新聞の事件記事をもとに、1920年以降、朝鮮の人肉市場を覗いてみる。ここで人肉市場とは、人を肉の固まりとして扱い、主に女を娼婦として売買することを意味する。あとでこの人肉市場は人間市場という言葉に変わり、最近では使われない死語となった。しかし、市場の形態が変わっただけで市場がなくなったわけではない(戦後も、現在も続いている)。

母親が息子と示し合わせて娘を三百円で売り、(東亜日報1925)、父と父の兄弟がそれぞれの娘を一緒に売った。「一金八十円が処女一生の代価、魔窟に淪落する農村処女たち」(毎日新報1928)

逃亡して帰ってきた娘をもう一度娼妓に売った父親「財欲に目が眩み、子を愛する心70歳父 凄惨な生活苦の裡面」(東亜日報1930)写真①

不景気で腹が減るので娘を売り、「殺人的銭慌(不景気)は結局、可愛い娘たちを人肉市場へ売り払わせることに」(東亜日報1931)、まだ年齢が幼い娘は戸籍を偽造してまでして売った。「十六歳の女息(娘)を年齢偽って売却 戸籍偽造が発覚」(東亜日報1932)写真②

離婚して家に帰ってきた娘をみっともないとして人肉市場に売り払う。「強制結婚に反対したが人肉市場に売られる」(朝鮮中央日報1933)写真③

叔父や甥が娘を売り、兄は弟の嫁を売り、夫も幼い妻を売ってしまった。

二千円の売身騙財(人身売買で金を騙しとる)をした悪徳叔父を告訴、人肉市場一片哀話」(東亜日報1938)④

財物の前には人倫もない?甥、姪を人肉市場へ売却した外三寸(母方の叔父)もいた」(東亜日報1940)⑤

毒夫に売られた二八(16歳)少婦の運命 仁川人肉市場の尹業同」(東亜日報1927)⑥

                                 写真①~⑥

明治時代に朝鮮を訪れた本間九助は、その『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』(祥伝社2016)のなかで「かの国の娼妓は、すべて人の妻妾である。人の妻妾でなければ、娼妓になることはできない。その夫の生活の資金は、娼妓である妻がかせぐ。夫は、みずから妻の客を引き、またみずから馬となって、揚げ代の請求に来る」(位置5403)

「朝鮮の内地では金さえ出せば、どこの家の亭主も、その妻妾を客人の枕席に侍らせる(共寝をさせる)」(同)と書いている。

これが本当のことなのか調べてみると、1925年作家金東仁(キム・ドンイン)の「感謝」という短編小説集にも似たような話がある。

以下は、妻を人肉市場へ売り渡す記事である。

離婚して実家へ戻ると冷たくされ、よその家で女中をしていると元夫に見つかり、売られてしまう。偽装して結婚したあと妻を満州に売るケースもあった。「魔法にかけた結婚、結婚した即後、妻を満州へ売喫(売却)」(東亜日報1939)写真⑦

一度妻を売って、その手順が分かると、今度は故郷の未婚の女性に就職を斡旋すると欺して満州に売り払う。「売妻も猶為不足 他の未婚女誘拐」(毎日新報1936)

ある医師はアヘン中毒になると、アヘンが欲しくて妻を売ってしまった。

妻を人肉市(場)へ、自己は門前で凍死 阿片中毒医師の末路」(東亜日報1936)

妻を中国天津に売り、妻を訪ねてきた妹は北海道に売った。妻の友達と少し同居してから蔚山に売り払った悪魔もいた。「結婚を憑籍して処女を誘引売喫 毒牙にかかった農村処女ばかり3名 釜山署で厳重取調」(毎日新報1937)

愛する彼女との結婚資金を用意するため、純真な女性を欺し人肉市場へ売り、その売った金で新婚生活を始めた男もいた。「純真な女性を欺し、人肉市場へ売喫 魔手にかかった韓女の哀話」(毎日新報1935)

夫が妻を自由自在に売ってしまう社会では、友達だからといっても安心できない。遠くへ仕事に行くので幼い妻が心配で、友達へ妻を預けると、友達夫婦は迷うことなくその預かった妻を人肉市場へ売ってしまった。「親旧(チング=友達)の妻を人肉市(場)へ売渡し 。。。」東亜日報1930)

気の毒なこともあった。友達のように接近してきた女に欺されて娼婦として売られた未亡人の話を聞いて警察も涙を流したという。「薄命な寡婦を欺し人肉市場へ放売 被害女子が警察に告発」(東亜日報1928)⑧

いなくなった娘を見つけたが、前借金を返済しないと家に連れて帰れなかった。「偶然に失踪した娘が人身市場へ転落 本署に呼訴した少女蘭玉」(東亜日報1935)⑨

信じがたい話もあった。借金に苦しむ病気の夫のために自分から人肉市場の門を叩く女もいた。「病になった家長の為に人肉市場へ 海州で展開された人情劇」(東亜日報1928)

夫が嫌で家出をする女性もいた。 「男便(ナンピョン=夫)を嫌って人肉市場へ自願 男便(夫)を離婚訴(訟)提起」(毎日新報1937)⑩

共産党員の妻は夫の工作費を工面するため娼婦になることもあった。「人肉市場へ売られた女流闘士の正体 支那共産党員として共妻も実行」(毎日新報1934)

結婚して数年後、夫が失明した。夫は妻の人生を考え離婚を要求した。すると妻は離婚と同時に、人肉市場で自ら体を売り、その金を夫の手術費にしたというまるで小説のような話もあった。「この烈婦を・・開眼手術費を・・妻が人肉市場へ行った」(毎日新報1940)⑪

しかし現実は、悪党のほうが多かった。金の匂いがする場所には組織が絡んでいた。悪質な人肉商組織は全国的に活動して、少女、処女、未亡人、婦人を分けることなく売り払った。「少女誘引団の首魁 ・・・再昨夜検挙 中人(両班と常人の間の身分)と十五年間同居」(東亜日報1933)

1932年、満州国建国以来、女の多くは満州へ売られていった。「満州を本舞台に村婦女誘引売喫 一党五名を予審へ廻附」(東亜日報1934)

中国の他の地域や台湾にも売られていって、欺されることも多かった。「五十余の処女を誘引、北支満州で大部隊を売喫 収養女に対し白紙委任状を書かせて犯罪敢行」(東亜日報1939)

自ら新しい世界へと、何も知らないで足を踏み入れる女性も少なくなかった。朝鮮総督府や警察もこうした人肉市場については悩みだった。詐欺と誘引、拉致など不法な行為をもとに行われた人身売買が、社会全体の治安を不安定にしたからだ。しかし法的に有効な前借金が契約されていて妓生営業許可を取った場合、合法的な行為になった。無知で幼くして詐欺に遭う気の毒なケースもあったが、法は法として冷酷に適用するしかなかった。しかし正義感に燃える警察もいただろうし、職業的な使命感をもった警察もいたことだろう。

農村婦女誘引、悪漢を検挙 警察は余罪追及」(毎日新報1936)

人事紹介業看板を掛けた婦女誘引団を検挙 これまで判明した被害女子十二名」東亜日報1936)

常習的な大量の人身売買があるときは粘り強く潜伏捜査をして組織を一網打尽にし、女の子を救出して家に返した。 

売られた農村処女 義憤の警官が救出」(毎日新報1937) 

誘引魔を打尽 農村婦女の・・貞操奪って売る 市内潜伏中、西署で逮捕」(東亜日報1938)⑫

                                  写真⑦~⑫

1930年代後半、戦争が長引くと人肉商組織も気勢を上げた。

市内で誘拐魔横行 十四歳処女が誘引され警察が活動 家庭の注意が必要」(東亜日報1938)⑬

女性を多数買って大勢外国へ送ることになると、それだけ不法行為も増える。警察に組織全体が捕まり、警察はこれらに関連した職業紹介所を閉鎖した。

悪徳人事紹介業者 罪状が続々判明 東門署、清掃に努力」(毎日新報1939)

第二河允明事件拡大 誘引魔団一網打尽 京郷の婦女子を人肉市へ売喫 救出された処女十三名」(東亜日報1939)⑮

                                 写真⑬~⑮

ところで、終戦後の朝鮮でも人肉市場は継続していた。ドラマ「野人時代」の一場面に「婦女子売買禁止令宣布」と書かれた横断幕が掲げられている。1946年の風景だが、この婦女子売買禁止令は韓国を占領した米軍の命令第70号だった。

在朝鮮美国(米国)陸軍司令部 軍政庁法令第七十号 婦女子の売買またはその売買契約の禁止」(家庭新聞1946)

人肉市場は禁止された。打撃を受けたのは経営者だけではなく、急に仕事をなくした娼婦たちも同じだった。命令の1か月後、正確な意図を知らされることになった。個人の意思に反して人を売ったり買ったりするのを禁止し、それに関連する契約は無条件に無効にする。しかし個人の自由意志によって娼婦になり性の売買をすることには干渉しないとした。

婦女子の売買だけを禁止 公娼制度廃止ではない 軍政庁法第七十号の限界性」(自由新聞1946)                (引用終わり。割愛した新聞記事は多数)

以上のYoutube動画『百年歴史』を通して理解できたのは、当時の朝鮮半島では、女性の売買が日常的にごく当たり前の風景として公然と行われていたという事実だ。それは李氏朝鮮の時代を通じて、人口の半分は、売買可能な「奴婢」、つまり奴隷階級だったといわれる伝統的な社会をそのまま引き継いだ社会だった。われわれ日本人が、こうした歴史に触れるとき、どうしても思い浮かべなければならないのは、「日本軍によって強制的に連行された」と彼らが言う「挺身隊」や「慰安婦」の存在だが、「人肉市場」と呼ばれる立派な供給源があり「人肉商」と呼ばれる現地の手練手管のブローカーがいるなかで、日本軍が手を出す必要、あるいは手を出せる余地があったのだろうかという疑問が生じる。要するに日本軍や官憲が手を出さなくても朝鮮半島からは人肉市場から大量の人材、慰安婦候補の娼婦はつねに大量に供給されていたし、新聞記事にもあるとおり、日本の朝鮮総督府や警察は人肉市場、人身売買組織の摘発に力を入れ、不幸な女性を一人でも多く悪党から救出するために捜査・検挙に全力を注いでいたのである。東亜日報など現地の新聞に報道されたことこそ隠しようもない紛れもない事実なのだ。

そして、かねてから不思議に思っていた疑問も、一挙に解消することになった。挺対協や正義連など慰安婦団体が主張するように、かりに20万人もの若い女性を無理やり連行されたとして、そのとき親兄弟や近所の人たちはただ指をくわえて黙って見ていただけなのか?という当然の疑問を、このブログでも何度も提起してきたが、実際には、黙っていたも何も、むしろ親兄弟や親戚が、一族のなかに若い娘がいれば、自ら進んで人肉市場に売り飛ばしたのが実態だったのである。

あの時代状況を考えれば、そちらのほうが自然なこと、誰もが納得することだった。日本でだって、東北などの貧しい農村の女性はそうして売られる時代があった。慰安婦少女像の撤去を主張して毎週水曜日に「反日銅像撤去集会」を開催する国史教科書研究所の金柄憲(キム・ビョンホン)所長は、そういう歴史に正面から向かい合い、貧しい農村でお金がないために親に売られ、あるいは学問がなく世の中のことについて無知なために欺されて農村から連れ出された女性たちが、当時、社会で認められていた公娼という職業に就いたのだと、まっとうな説明をしている。そして、それ以外の事実と異なることを国際社会に向けて言いふらすものだから、韓国は「嘘まみれの国」と言われるようになるのだと、誰にはばかることなく主張する。今回の「百年歴史」の動画や、金柄憲所長の演説や講演の動画が広く韓国の人たちの耳や目に届くことを祈るばかりだ。(Fujichanチャンネル「韓国の良心 反日銅像撤去デモ 金柄憲所長記者会見」

ところで、この動画の元になった新聞記事は、ことし創刊から100周年の東亜日報と朝鮮総督府機関紙の毎日新報の記事からの引用がほとんどだが、これらの記事は漢字ハングル混じりの朝鮮語で書かれている。いま韓国では日本統治時代は朝鮮語は抹殺され、民族の言葉は奪われたたと教えられているが、こうした新聞だけでなく放送も雑誌も朝鮮語が使用され、むしろ学校教育ではハングルの綴り方の統一と普及が奨励され、また小説など文学作品も日本留学を経験し、日本の文学を学んだ知識青年が中心になり、まず日本語で小説を考え、それを朝鮮語に直すという創作活動の中から、朝鮮語による多彩な文学表現が生まれ、豊かな文学世界が開かれていくという経緯をたどったのである。漢字ハングル混じりの表記は1980年代まで新聞や雑誌、官公庁の文書まで幅広く行われていた。ソウルの国立中央博物館の前には国立ハングル博物館という建物があり、ハングルの歴史や日本統治時代に韓国語がいかに迫害されたかを示す展示で占められているが、日本側の資料でハングルの歴史を学んできた日本人にとっては耐えがたいほどの虚偽の説明ばかりだ。

2019年の韓国映画「マルモイ」は、日本統治時代には朝鮮語が禁止されたため、朝鮮語の辞書さえ作ることが出来なかったという前提のもとで、映画の舞台となる辞書の編纂作業が、まるで地下に隠れて極秘作戦でも行なうかのように描かれているが、実際には少なくとも1926年と1938年、2種類の朝鮮語辞書が編集・出版され、新聞にはその広告が掲載されていた。戦火が近づく1941年にも朝鮮語辞典の修正増補版が出版されている。

『朝鮮正音文典』前京城高普校教諭・金厳裕著 我らの文字、我らの言葉 根本から研究し徹底的に使用できる世界唯一の我々の言葉。教科書参考書に適用」(毎日新報1926)

蘊蓄 四十余星霜 朝鮮語辞典編纂 語彙実に十万余 著者は文世栄氏」(毎日新報1938) 「新刊評 文世栄著 修正増補朝鮮語辞典を見て」(毎日新報1941)

戦争中、学校教育で日本語を常用化しようという動きもあったが、そのときでさえ朝鮮語の使用を禁止することはなかった。日本は、朝鮮半島で民族の言葉を禁止することなど不可能なことを知っていた。

『百年歴史』のYouTube動画は、最後に「過去の歴史に対する実態不明な被害意識、その歪められた悪夢から覚めて未来に希望を描く人たちが少しづつ増えていく世の中になることを祈願している」という言葉で締め括られている。その通りだと思う。