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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

修羅ら沙羅さら。——小説。9

2020.09.08 00:30


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。


修羅ら沙羅さら

一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部

蘭陵王第一



食事の後ユエンは明日の出社を歎いた。嘆き、怯え、厭い、憂い、そしてユエンはひとりで笑った。すでにおおよその会社はビルを閉めていた。あるいは所謂リモートワークに切り替えていた。時には給与を半減以下に削りながら。二度目だった。馴れ、諦め、死ぬよりは良しとして、且つ飽きていた。その気配は壬生にも感じられた。ユエンの会社は閉まらなかった。ユエンの会社は流通運送の会社だった。前のロック・ダウンにも会社は閉まらなかった。まさに流通の会社だからだった。壬生はその日ユエンを抱かなかった。寢台に遅れて入ったユエンはひとりで服を脱いだ。素肌をさらした。壬生の半身にすがった。壬生の手の頭をなぜるにまかせた。自分のくちびるの息遣うのに気づいた。ユエンは鼻で息をした。壬生は目を閉じた。軈て夜中に壬生は夢を見た。そして目をさました。夢に白い花の咲くのを見た。それは庭に咲いていた花の記憶に違いなかった。目を覚ましたのは夢のせいではなかった。下腹部が尿意を感じていた。ユエンの体が倒れ伏したように壬生の半身に乗りかかっていた。壬生はユエンの頭をなぜた。かくて偈を以て頌して

   見上げた眼差しに

    あしたのてんきをうらなおう

   その花は繁殖した黴のように見えた

    あしたのはなの

   この身はすでに泡沫に同じと知り

    いろをみだしてしまわないように

   もはや陽炎に等しいと覺る人はその

    あしたのてんきをうらなおう

   魔羅の華箭を破り

    あしたのはなの

   そして死の王を見る

    においをこわしてしまわないように

   夢の中に

    あしたのてんきをうらなおう

   その大樹の花の名前は知っていた

    したのはなの

   庭に咲き

    かたちをけがしてしまわないように

   庭に長い翳りを投げた

    どしゃぶりのなかで

   その沙羅の

    そのあじさいのはなはかおっただろう

   花は茂った葉と葉ゝと

    しゃぶりのなかで

   葉の茂りと葉ゝ葉の茂りの

    そのあじさいのいろはさえわたっただろう

   狭間に茂った黴のようにも見えた

    のどしゃぶりのなかで

   この身はすでに泡沫に同じと知り

    そのあじさいのかたちはゆらいだだろう

   もはや陽炎に等しいと覺る人はその

    したのてんきをうらなおう

   魔羅の華箭を破り

    すでにすぎた

   そして死の王を見る

    そのあしたのために

   死に触れたことなどなかったのだった

    たのてんきをうらなおう

   自分の死にさえ

    すでにくいあらした

   死が今に異なる事象なら

    あしたのはなに

   今目にするものを生と仮称してしまうなら

    したのてんきをうらなおう

   たしかにそれに觸れることはなかった

    すでにながれた

   原理として永遠に

    あしたのあめに

   それは生に異なる以上は

    どしゃぶりのなかに

   この身はすでに泡沫に同じと知り

    ふるえつづけていただろう

   もはや陽炎に等しいと覺る人はその

    あじさいの

   魔羅の華箭を破り

    あしたのはなは

   死の王など見たことはなかった

    どしゃぶりのなかに

   その翳りに

    かおりつづけていただろう

   夢見るわたしは私の顯らかな夢のうちに

    すでにすぎた

   翳りの肉と

    ごううのなごりに

   翳りの肉と骨と

    どしゃぶりのなかに

   翳りの骨と血の

    いちどもなかった

   そのおびただしい繁殖の咀嚼の音を聞いた

    あなたがあなたであったことなど

   この身はすでに泡沫に同じと知り

    どしゃぶりのなかに

   もはや陽炎に等しいと覺る人はその

    やがてはなはきいただろう

   魔羅の華箭を破り

    そのごうおんを

   死の王を見る

    どごうのような

   見上げた眼差しに

    そのひびきを

   その花は繁殖した黴のように見えた

    あしたのてんきをうらなおう

   翳る私はわたしの翳りを

    とむらいのための

   その肉の翳りのうちに咀嚼した

    あしたのはなに

   精神だけが、やがていまさら肉体の痛みを知った

かくに聞きゝ7月27日朝壬生ユエンを送りキかくて後に壬生友則は湾岸道路をバイクに走りき北に進みタレバ山際に巨大ナル仏像は見えき其れリン・ウンと謂ふなる佛寺が仏像なりき名ミー・ケーと名づけられし海岸に來て來たれば左手にいつでも見えきそノ山際の道を通り走りテ拔き祁利山道に止まりき崖のガードレールに座りき海を見き見へざりき海岸に人のいるや否や迄は見えざりてかくてすべて悉くその砂の砂なる沙の色にすぎず壬生思ひ想はく人など居ないだろう。

事実、

——人の気配などなかった。

もとより此の通り人通り少なき通りなりきかくていま誰もをらざりき壬生思ひてかくて想ひてもしも一気に、…

一気に?

もしも一瞬で人がすべて、…

すべて?

滅びたとしたらその一日目の朝に、まさに、…

まさに?

その日、朝、拡がったのはこの風景に違いない。

かくてひとり壬生ひとりで笑みてゴック・アインが家に詣づその男ゴック・アイン五年日本に住しきエンジニアとしてなり是れ京都に宿すかくて二十八歳なりき去年ベトナムに戻りき戾りてクアン・ナム省なるホイ・アン近くに僻地に家を買ひき誰かの手放したる家なりて古き家なりて家初めて見るに壬生思ひてかくて想ひて止まった儘?

時間が、あるいは。

戾されたとか?

まるでいままさに、その75年。ベトナム戦争が今まさに終わったように。

つい昨日、サイゴンが陥落し——解放され、——追放され——復帰したその日の

明けた日のようにも

かくに見えき壬生の眼にかくて故に廃墟にも見えき壬生の眼にかくて故に先住の民族の追われ棄てられた廃屋にも見えき壬生の眼にかくて故にもはや風化の残骸にも見えきかくてそれをその儘にゴック・アインはひとり住みき彼家族に不義理が在りき渡日の爲の借財未だに支払わずに捨て置きゝ家族ともはや連絡を取らずありてかくて憎んでるの?

壬生はいつか聞きたりけるに愛してるよ。

ゴック・アインかくに應へり日本人と違って。

…じゃない?

日本人、家族嫌いでしょ?

ゴック・アイン笑ひき壬生ゴック・アインが家なる庭にバイク止めはじめて茲に詣でたる時未だ病み伏せざるレ・ヴァン・クアンの激怒せると俱なりて來たるを思ひ出て不意にも懷しみ祁里かくて頌して

   あなたに話そう

    侮辱された

   まさにあなたの爲に話そう

    レ・ヴァン・クアンは激怒していた

   ゴック・アインの庭は左の森林の翳りを斜めに受けていた

    わたしを誘って

   右の森林の翳りはそれを森林自身に投げた

    その呪われた

   家は森の道の中に在った

    呪われた獸の住む家に

   バイクの上で樹木の匂いをかぎ取ろうとした

    殴り込みをかけた夜に彼は

   土の匂いがするように思った

    レ・ヴァン・クアンを始めて見た。だから

   濡れても居ない土が、足の下の低い處に靜かに停滞したように思った

    レ・ヴァン・クアンも初めて見た。写真

   その時、その一瞬には

    娘が見せたそのスマートホンの写真の男を

   そう思った一瞬とでも謂う他に名付けようもないそれ固有の

    レ・ヴァン・クアンは始めて見た。

   その、

    彼の肉の目に

   その一瞬には

    嗅いだ

   鳥が鳴いたその、とも

    獸の匂い

   木の葉が落ちたその、とも

    雨の中の

   君が振り向いたその、とも

    ふりしきる雨の

   星が流れたその、とも

    野生の雨に濡れた野生の

   月が落ちたその、とも

    獸の

   太陽が解けたその、とも

    その夥しい柔毛の

   そう思った一瞬とでも謂う他に名付けようもないそれ固有の一瞬に

    濡れた匂い

   土の匂いは踏み得ない下の低いそこに停滞した

    ゴック・アインの肌がまき散らす

   土の道のいきどまりにバイクを止めた

    そのひどい悪臭を

   左には屋根の壊された、——あるいは崩れ落ちた?本当の小さな廃墟があった

    レ・ヴァン・クアンはゝじめて嗅いだ

   だれかがいつか取り壊しかけて、何時か誰かが

    愚弄された父親は激怒する

   途中で投げ出してしまったように

    だからレ・ヴァン・クアンはまさに激怒していた

   わたしにはそんなふうに見えた。真ん中にゴックアインの平屋があった

    慰み者にされた父親は激怒する

   トタンの屋根がコンクリートを覆い、數百平米の床面積に

    だからレ・ヴァン・クアンはまさに激怒していた

   バス・トイレの外に区切りは一つしかなかった

    まだ彼には

   その左に土台だけ殘した廃墟の、崩されて積まれたブロックの残骸がその儘に日差しを浴びた

    まだレ・ヴァン・クアンに死の翳りは

   ゴック・アインの爲にクラクションを鳴らした

    誰の目にも兆していなかった

   ふと、たぶん二三年ぶりにならしたクラクションだったように思った

    レ・ハンはそのかたわらに私に笑んだ

   前は、指が触れてなったのだったのだった

    ひそかに

   ゴック・アインは出てこなかった

    そんな日々の中で

   だから、ゴック・アインの爲にもう一度クラクションを鳴らした

    レ・ヴァン・クアンが死ぬはずもなかった

   ベトナムでは挨拶のようにもクラクションを鳴らした

    親族の娶った日本人男と酒を飲んだ

   誰もが一日に一回以上は必ずならす

    レ・ヴァン・クアンが死ぬはずもなかった

   そんな暇があるならハンドルを切るべき時にも、敢えて

    レ・ティ・カンは彼を諫めた。血気盛んで

   彼等はクラクションを選択する

    すぐに誰かを詈しる陽気な彼を

   そして正面から衝突する

    レ・ヴァン・クアンが死ぬはずもなかった

   ゴックアインは出てこなかった

    レ・ダン・リーは男を知った

   不在なのかもしれなかった。

    侮辱された父親は激怒する

   だから、ゴック・アインの爲にもう一度クラクションを鳴らそうとしたその時に、

    だからレ・ヴァン・クアンは激怒した

   土の匂いがするように思った

    ゴック・アインは匂い立つ

   濡れても居ない土が、足の下の低い處に靜かに停滞したように思った

    その白い

   そしてわたしはみていた

    なめらかな肌に、あざやかに

   眼の前の家屋のひき開けられたままの四面のドアの木材の翳りからゴック・アインが現れたのを

    雨に濡れた獸の匂い

   ゴック・アインは美しかった

    ひどい悪臭

   私の目にはそう見えた

    ゴック・アインは私を初めて見たのだった

   女性的にも見えて、その癖堀りの深い顏は、むしろ

    あららいだ

   インドや中東の人種の女のようにも見えた

    激怒のレ・ヴァン・クアンの傍らに

   やさしくほほえみ哀れむ時も、眼差しは輕い、踊るような軽蔑を

    だから

   彼は匂わせた。彼が譬え

    わたしは彼を始めて見た。その

   尊敬の想いで仏師を見詰め、帰依の微笑みを浮かべた時も

    うつくしいひと。その

   年上の人間は誰もが彼を侮蔑し厭うた

    穢い

   長い、細い首を裏切るようにしなやかな筋肉が鞭の痛みを匂わせた

    穢れた獸の匂いのひと

   だれもが彼の

   暴力の気配に怯えた。だれもが彼の

    レ・ヴァン・クアンは気付かなった

   時に本当の暴力に怯えた。彼が

    報復に

   誰より平和主義に過ぎなかったにしても

    ともづれた私に、最後に

   誰もが彼の裏切りを恐れた

    裏切られたことには

   その誰かに彼がそれほど興味を示していないときにも

    レ・ヴァン・クアンの

   ゴック・アインはほほえんだ

    右の小指をさかさまに

   黒いスウェットの下だけをはいて、私の眼は彼の上半身に素直に見取れた

    わたしがへし折ってゴック・アインの爲だけに

   心も、魂も、精神も、そして当然性欲も俱づれにして

    笑った時、彼は

   咽の奧に吐き気に似た渇望を鼓動させながら

    ひとりですでに失神していた