排水口の向こう側への想像力と創造力。消費者から循環者へのスペンド・シフト。
その昔、日本列島の多くの海岸で、海水を薪で炊き、塩を作っていたそうです。
山の民が薪を切り出し、筏で下ってきて、海岸で塩を炊き、山に持ち帰る。
そこで生み出された灰は、麻布を柔かくするのに使われ、今で言うお金のように「交換の媒介物」としても扱われていました。
塩や灰や麻布は、生活用品としてだけでなく、現代でいうお金のような役割も果たしていました。
それらが交換の媒介物であれた理由の中の重要なポイントは「それらの存在価値を、皆が理解していたから」というところです。
つまり、塩を炊き、灰を使い、麻を使う生活と文化が、根付いていたのです。
塩や灰は馬や牛の背に乗せられて運ばれ、薪は筏にして、川で流しました。
日本における自然な産業、自然な流通の、原型のようなものですね。
それが塩の道です。
※写真:「塩の道」(著:宮本常一)より
しかし今は、川はダムでせき止められ、薪は石炭や石油に取って代わり、灰や麻布や馬や牛が使われることは、ほとんどなくなりました。
戦後は、製塩法や塩田禁止法、塩専売法などによって、浜で塩を炊くこと、売ること自体が禁止され、塩作りのメッカであった瀬戸内海は化学コンビナートに豹変しました。
その結果、流通と生産を支えた水はどうなっていったのでしょう。
◎極まれば転ずる?環境意識の変化
エコ、オーガニック、エシカル。
自然食、自然素材、自然染め。
このような言葉が使われるようになったのは、いつ頃からだったでしょう。
もう忘れてしまった、というぐらい昔のことのような気もします。
でも、けっこう最近のことなのかも、とも思います。
1990年、ブラジルのリオで行われた「地球サミット」で、当時12歳だったセヴァン・スズキが「地球を壊すことをいい加減やめてください」といった内容のスピーチをしたことは、有名な話です。
僕の曖昧な記憶による適当な抜粋ではなく、ナマケモノ倶楽部による日本語訳の一部をちゃんと抜粋します。
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。
私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたたちは、私ぐらいの歳のときに、そんなことを心配したことがありますか。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのになにをしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたたち大人にも知ってほしいんです。あなたたちもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。
(抜粋以上:ナマケモノ倶楽部HPより)
このサミットを期に、生物多様性条約という国際条約が結ばれたり、環境に向き合うための国際的な取り組みが始まっていきました。
それよりもっと遡ると、1969年にアメリカの国会議員が呼びかけたことをきっかけにして「アースデイ」ムーブメントが始まり、世界に広がりました。
この年は「ウッドストックフェスティバル」とも同じ年ですね。
ウッドストックに集まった人たちの多くは若者でした。
彼らは、既存の社会システムに疑問を感じたり、アメリカが仕掛け続ける戦争(当時は特にベトナム戦争)に対しても、嫌気がさしている状態だったといいます。
「極まれば転じる」という言葉がありますが、環境意識が高まっていく流れは、環境汚染がピークを迎えた時に始まるということもあるかもしれません。
不自然な食事の文化がピークを迎えると自然食が広まり、化学的な染め物が増えた頃に自然染め(及び草木染め)が生まれたり、してきたようにも思います。
◎水質汚染が極まって、汚染防止法が制定される
そして、河川や海の汚染とそれによる健康被害が激増した高度経済成長の中で、1970年、「水質汚濁防止法」が制定されました。
「水質汚濁防止法」第一条
工場及び事業場から公共用水域に排出される水の排出及び地下に浸透する水の浸透を規制するとともに、生活排水対策の実施を推進すること等によって、公共用水域及び地下水の水質の汚濁(水質以外の水の状態が悪化することを含む。以下同じ)の防止を図り、もって国民の健康を保護するとともに生活環境を保全し、並びに工場及び事業場から排出される汚水及び廃液に関して人の健康に係る被害が生じた場合における事業者の損害賠償の責任について定めることにより、被害者の保護を図ることを目的とする。
裏を返すと、この法律が施行されるまでは、事業廃水によって人の健康に被害が生じても、事業者は損害賠償の責任を負わなくてもよかった、ということです。
実際、発酵や微生物の研究者であり作家でもある小泉武夫さんは「それまで、日本の河川にはコイの死骸がプカプカ浮いているのが普通だった」と言っています。
1956年頃から熊本県水俣湾で発生した、有機水銀による水俣病。
1964年頃から新潟県阿賀野川流域で発生した、同じく有機水銀による新潟水俣病(阿賀野川水銀中毒)。
1910年代から1970年代前半に富山県神通川流域で発生した、カドミウムによるイタイイタイ病。
1800年代に起こった足尾銅山鉱毒事件では、田中正造氏などによる訴えを国も企業も退け続けました。
この件についての訴訟が始まったのは、水質汚濁防止法が制定された後の、1972年。
企業の加害責任が認められたのは、1974年のことです。
◎廃水の浄化は、企業というより微生物がしていた件
そしてこの後、各企業は廃水の垂れ流しを自粛するだけでなく、莫大な予算をかけて、下水処理技術の開発に取り組むようになりました。
そして、この分野で活躍したのは微生物でした。
「下水処理技術の分野において、日本の企業は世界最高の技術を持っている(※)」と言われています。※『発酵はマジックだ!』著:小泉武夫(日本経済新聞出版社)より
現在採用されている下水処理技術の中心は「メタン発酵」と「活性汚泥法」の2つです。
それぞれ、メタン菌と活性汚泥菌を人工的に培養して、中水道と呼ばれる水路に送り込んで、工業用水や新幹線の車両基地での洗浄水として再利用されています。
この分野は、医療業界と並んで、発酵ビジネスの中核を担っています。
正確にカウントすることは難しいですが、ゆうに数兆円を越えるビジネスになっていることは間違いありません。
言い方は微妙ですが、大量の汚染物質を生み出して、大量の微生物を使って分解させている、というのが実情です。
◎企業責任と、私たちのポジション
企業責任、ということを考える時、私たちの生活者としての責任についても考えたいと思います。
つまり、私たちが何も考えずに、化学物質を大量に含んだシャンプーや石鹸や染料を使ってスキンケアやヘアケアをしても、企業や科学者たちが廃水をなんとかしてくれるだろう、という思考は危険だなということです。
そこを人任せにすることで、その分野を担う企業を巨大化してしまうのではないか、ということを思います。
そして実際に、下水処理は大手企業や研究機関が担っています。
◎水ビジネス?民営化?
日本においては、水道事業の一部がすでに民営化され、世界で最も水で稼いでいると言われるフランスのヴェオリアという私企業が、大阪や浜松などの自治体の水道事業(場合によっては下水処理事業)を担っています(※)。
『日本が売られる』著:堤未果(文庫)より
排水口の向こう側に思いを馳せること。
思いを馳せるだけでなく、自分たちでそこに変化を起こしていくこと。
そのようなことを、考えて実行している小さな研究所があります。
◎消費者から循環者へ
ドクトルバイオという洗剤を販売しているエコブランチは「消費者から循環者へ」というテーマを掲げて、生活排水の浄化までを意識した生活用品を研究、展開しています。
ドクトルバイオの成分は純石けん(脂肪酸ナトリウム)、炭酸ナトリウム、小麦フスマ、米糠、ミネラル、プロテアーゼ・リパーゼ。
生活の中のいろいろな場面で洗剤として使えるだけでなく、排水として流れ出た先々で微生物が繁殖増殖しながら、環境を改善してくれます。
河川や海をキレイにする取り組みを、企業や研究機関任せにしていたのが、今までの日本列島の姿と言えるでしょう。
この状況に対して「SPEND SHIFT=消費動向で世界を変えていく」を起こしていくこと。
その一歩は、自分の体や生活環境にとって安全安心な生活用品を選ぶだけでなく、排水口の向こう側への想像力を行動に変えていくこと、受身的な消費者から、生態系の一員としての循環者になっていくことから始まるような気がします。
お金の国の王様たちが、日本列島の水脈や龍脈を大切にしてくれるとは余り思えず、とても心配しているわけですが、
そもそも論、上下水道に頼らずともコミュニティが生きていけるライフラインをもっと強化すれば、日本はとても暮らしやすい水の豊かな島なので、個人的にはそうした「資本システムにつながらない」オフグリッドな地域づくりも進めていきたいなと思っている。
いきなり100%っていうよりは、いつでも足抜けできる状態を同時進行で作っておく。これは災害時にも、役に立つ。
上水道の方は、近くに美味しい湧水があれば最高だし(と言うことは山を保つ必要がある)、なんなら天水(雨水)を浄化して飲むこともできる。
問題なのは下水の方で、実際に排水やトイレを全て暮らしている土地に安全に戻すには、現代的な生活の多くを改善する必要がある。堆肥化したり、ビオトープ化して、また自分の食べる作物への栄養となる健全な循環を作ろうと思うと、合成洗剤や化学添加物はなるべく減らしたい気持ちに自ずとなるよね。
そうした視点からも、このような洗剤へのシフトを試していくアクションは、とても意義深いのです ◎
ー三宅洋平
水源地から海までの流れ。
その中のどこかに私たちは暮らしています。
水の循環の中の一員としての私たちを見つめるきっかけになるような記事を、これからも書いていきたいと思います。