パキータ・ベルナルドとアルゼンチンのフェミニズム その1
2020年は、世界で最初に名を残した 女性バンドネオニスタ、パキータ・ベルナルドの生誕120周年。初めて名前を聞いた方が多いかと思いますが、女性バンドネオニスタとしてパキータの紹介はハズせません!!現代の女性バンドネオン奏者たちが時代を超えてリスペクトする存在です。今回はそのパワフルなエピソードの数々をまとめてみました♪
「ヴィシャ・クレスポの花」と呼ばれたパキータ・ベルナルド。(*ヴィシャ・クレスポとはブエノスアイレスにある町の名前で、地下鉄”プグリエーセ駅”がある町でもあります。)彼女が活動した時代はバンドネオンは男性が弾く楽器とされ、ヤジが飛んだり、なかなか認めてもらえなかったそうです。それでも逆境に負けずバンドネオニスタとしての人生を歩みました。彼女についての資料や逸話はいくつも残されているのですが、こんなタイトルの記事がありました。
当時”常識のある女性なら”しなかったであろうこと、
「初めて観客の前でバンドネオンを演奏――勿論それは足を開いたり閉じたりしてということを――した女性」
パキータは1900年生まれ。8人兄弟の家族の中で育ちます。当時はバリバリの男性優位社会で、音楽を勉強することすらもあまり良しとされず、せいぜいギターかピアノくらいなら裕福な家庭の女の子だけが勉強することが出来た時代です。バンドネオンを演奏するなんてもってのほか、この楽器を女性が演奏することは、脚を開閉する奏法から「品の無い」行為だったのです。
幸運にも音楽を勉強することが出来、バンドネオンに出会ってしまったパキータは、バンドネオン奏者として生きることを決めます。しかし、彼女のお父さんもお母さんも、娘の夢をとにかくやめさせようとしました。お母さんは「そんな不適切なことをして、罰せられないか、石でも投げられないか心配だわ!」と大反対。熱意を理解してもらうことは簡単なことではありませんでした。父親の友人たちまでこぞってやってきて、
「お嬢ちゃん、それは見てられない!」
「だって、演奏は夜中でしょう、しかも女の子なのに、ズボンを履かないといけないんだよ。」・・・
しかし彼女は、家族の反対を受けても、隣人たちの訴えを受けても、どうしても断念することが出来ませんでした。周りの声を押し切り勉強を続け、18歳で自身のオルケスタを立ち上げます。当時16歳だった、半ズボンをはいたオスバルド・プグリエーセ少年を自身のオルケスタのピアニストに抜擢し、(周りからは、あんな若い奴にピアノ任せられる?と問い詰められたそうですが、パキータはプグリエーセに期待を込め、”長ズボンをはくことを条件に”、仲間に入れたのだそう。笑)またヴァイオリン奏者を務めていたのはエルビーノ・バルダロ。すごいメンバーです。
そして、ブエノスアイレスで初めて24時間営業をしたと言われる、コリエンテス通りでかつて沢山のタンゲーロスが集った有名な「カフェ・ドミンゲス」の専属オルケスタとして契約し演奏するまでになり、評判はあっという間に知れ渡りました。パキータのオルケスタの演奏の日にはお店の外にまで人が溢れかえり、警官が交通整備をするほどだったそうです。バンドネオンの奏法を確立させたと言われる歴史的名奏者、ペドロ・マフィアとは同い年で、彼女の良き相談相手であり、演奏も見に来ていたのだそうです。
(↑タンゴの歌詞にも出てくる”コリエンテス通り”、ピザ屋さんや劇場の立ち並ぶ、ブエノスアイレス中心地を走るメインストリートのひとつですが、当時はこんなに狭い道でした。現在は大通りになっています。)
また、こんな逸話も。
育った家族の掟として、長女が結婚すると、エプロンを次女に、次女が結婚すると三女に、と渡していたのですが、パキータにエプロンが回って来た時には「私は料理をする為に生まれてきたわけじゃないから」とそれを拒否したのだそうです。
そうしてキッチンに立つことも・結婚もしないと決め、女性はロングヘアでいなくてはならなかった時代にショートカットにして、白いシャツにネクタイでステージに立ちました。でも、足を開閉することについて散々周りから言われても、徹底してズボンは履かず、黒いロングスカートで演奏をしていました。
(この辺りも興味深いです。女性であることを大事にしていた、男性になろうとしたわけではなかったんですね。)
そうしてパキータは、25歳の誕生日を目前にして風邪(肺炎)で亡くなりました。
残念ながら彼女の録音は一切残っていないのですが、ロス・マレアドスやノスタルヒアスなどの作曲家として知られるファン・カルロス・コビアンが彼女の作曲作品(“Floreal”)を録音したり、なんとあのカルロス・ガルデルもパキータをリスペクトしており、彼女の作曲作品に詩を付けてもらうよう作詞家に直々に頼み、彼によって歌われた録音が残っています。
またこちらはスペイン語なのですが、興味を持たれた方はこちらも併せてどうぞ。
サンマルティン大学のドキュメンタリー映像学科の学生が作ったドキュメンタリー作品で、家族たちがパキータについて語っています。
そして最後に、彼女の生誕の日を記念したアルゼンチンのニュース記事をご紹介。現代のアルゼンチンで活動する女性バンドネオン奏者のうちの一人として私もインタビューに参加しています。リンクはこちら(過去の記事で紹介したAyelenも一緒です♪)
ということで、その2では時代を変えて、現代のアルゼンチンのジェンダー観について語ってみます。お楽しみに!
【参考記事】