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宇都宮市の文化と未来への展望

2020.09.17 08:43

http://www.bios-japan.jp/taidan13.html  【宇都宮市の文化と未来への展望」】 

 ―宇都宮市 佐藤栄一市長 × 画家・イラストレーター 山中桃子― より

「宇都宮」という地名は、鎌倉時代にはすでに使用され、江戸時代には城下町として栄え、参勤交代や日光東照宮の造営などにより往来も多く、『小江戸』と呼ばれるほど繁栄した地域です。鎌倉、江戸文化に基づく豊かな文化的下地があった宇都宮は、さぞかし文芸も盛んだったことと思います。ひとつは宇都宮由来の「小倉百人一首」をはじめ、短歌や俳句が親しまれ歌人などの作家が身近にいる地域であったかと思われます。

また、1945年の空襲では市街地の大半を焼失しましたが、戦災復興土地区画整理を進め、全国でもまれにみる復興を成し遂げ、市民と行政が連携して目覚ましい発展を続けてきました。

宇都宮市出身の近現代の作家、立松和平氏(1947年―2010年・没後6年)が「宇都宮は文化不毛地帯ではない、文化はそれそれぞれの地域にあり、宇都宮はこんなにも豊かなところではないか」と話していたことが思い起こされます。

今回のスペシャル対談は、21世紀の宇都宮市の政治、経済、文化を支えるリーダー、佐藤栄一市長と、立松氏長女(本市出身)で作家、イラストレーターの山中桃子氏が、「宇都宮市の文化と未来への展望」と題して対談を行いました。

「100年繁栄都市うつのみや」

山中 はじめまして。今日はよろしくお願いいたします。

市長 はじめまして。こちらこそよろしくお願いいたします。立松和平先生には宇都宮青年会議所(公益財団法人)の頃、講演にお招きしたりして何度かお目にかかっています。また、私は和平先生原作の映画『遠雷』のモデルとなった横川地区に在住していましたので、その地域の集まりなどで和平先生とお話しする機会もありましたし、『遠雷』のモデルの方とも知り合いでした。桃子さんは何歳くらいまで宇都宮におられましたか?

山中 私は宇都宮に5歳まで住んでいましたが、私が1歳の時に父は市役所を辞めて、家で執筆したり、取材に出かけたりしていた生活でした。家に父のお客さまが訪れると父を撮影したりしていたので、幼いながら興味を持ち、お客さまが来るとよく父の書斎に顔を出し、母にたしなめられていたそうです。宇都宮は父が本当に大切にしていた故郷ですし私も故郷宇都宮ではさまざまなところで大変お世話になっております。

市長さんは現在宇都宮市のホームページで、市民に向けて「100年繁栄都市うつのみや」ということを発信していますが、そのあたりの内容からお話いただけますか?

市長 行政のまちづくりというのは目先のことを考えていろいろな手を打つことも必要ですが、これからは資源や財源が限られていく時代になりますから、50年、100年先も見据えて行政運営をしていかないと、これからの子どもたちに夢や希望など何も残せないようなまちとなり、負の遺産ばかり残すことになってしまいます。

宇都宮市は5年後の幸せも作りますが、100年先まで見据えたまちを作ります。一番の課題は人口減少と少子高齢化。人が減少しても持続できるまちの構造に変えていかなければと思いますし、いつまでも嫁いだところ、生まれ育ったところに住み続けられるまちを作っていかなければなりません。そこで「コンパクトシティ」の構想です。宇都宮市の中心市街地だけでコンパクトシティはできないので、各地域をコンパクトないくつかのまちに仕上げ、それを公共交通で結び、車の運転ができなくなる方が圧倒的に増えても、買い物や病院に移動ができるというような、100年先も持続できるまちを徐々に作っていきましょうということです。

県外の人たちからも選ばれる、多くの人や企業から選ばれる宇都宮市を目指し、そのためには教育、福祉、インフラの整備など、人の住んでるところにお金を掛けていきましょうという考え方です。これが宇都宮の100年先まで持続できるまちづくりの基本的な考えです。

しかし、福祉や医療も重要なことですが、教育は特に必要だと思いますね。資源のない国ですから、教育の中で歴史、文化、伝統を守っていくことは、自分たちのアイデンティティというか自分たちの居場所に誇りを持って守っていくということつながると思います。

宇都宮は文化不毛の地ではない

山中 宇都宮市の歴史から、市民が関わった文化的な催事などがありましたら教えていただけますか?また、現在、特に推進している文化事業などはありますか?

市長 宇都宮伝統文化継承事業というものがあります。そのひとつが「伝統文化フェスティバル」で、伝統文化に関わっている方々の会を通して市民の皆さんに伝統文化を知っていただくという事業です。最近では「宇都宮城址祭り」と一体となって、城址公園で行っています。また、民話の会の皆さんにより宇都宮の歴史や伝統を市民に知っていただくという語りの会もすすめていますし、伝統文化講座を年5回、「お祭り」や「伝統食」などの内容で開いています。その影響で昨年は「徳川家康公薨去400年」ということで、宇都宮短期大学附属高校の皆さんが家康公が食べていただろうと思われる食事を文献から引っ張り出してきて再現したりしました。

伝統文化の昨年のトピックスとしては火焔太鼓の山車の巡行です。巡行は80年振りで、山車が復元されたのは100年振りです。地元町内会の皆さんが中心になって有志で立ち上げて復活させました。素晴らしいです。行政の役割として保管するところを考えましょうということで進めています。

山中 宇都宮の皆さんは私たちの先人が遺していった素晴らしい伝統文化を保存し継承していく努力をなさっているのですね。

市長 そうですね。さらに、現在特に推進している文化事業ですが、市制100周年を記念して宇都宮の百人一首「小倉百人一首」を大々的に市の誇りとして広めていくことに取り組んでいます。百人一首については宇都宮氏五代当主の頼綱公が、京都の小倉山に別荘を構えた時に藤原定家に襖の色紙絵をお願いして、それが原型になっていると言われています。当時は鎌倉、京都、宇都宮、これが日本三大歌壇と言われていて、宇都宮家は文武両道の家柄ということでした。関東地方弓取り名人を輩出したり、元寇の襲来の時の総大将として貞綱公が赴いたなど、武芸にも達者で学問にも精通していたことがうかがえます。

「宇都宮市は文化不毛の地ではない」と、和平先生が講演などでもよくおっしゃっていましたが、鎌倉時代から脈々と続いている文武両道の素晴らしい土地柄だといえます。宇都宮の宝である百人一首を広めるために、「蓮生記念全国かるた競技宇都宮大会」という百人一首の全国大会を開催しています。「蓮生」は頼綱公が謀反の疑いをかけられて出家したのちの法名です。百人一首は子どもたちが日本語の美しさに触れる機会として、また歴史への興味・関心を高めるきっかけになります。百人一首ゆかりのまちのウォークラリーの開催や百人一首新聞なども発行しています。

山中  和歌、短歌、小説など文学は残っていきますからね、映画も記録としてのこりますが。でも、引き継いで読んでいかれる方や見ていただく方がいないと続いていかないと思いますので、先ほどの百人一首など大切にしてさまざまな方法で残していくのは本当に素晴らしいですね。

未来の宇都宮の子どもたちのために

市長 先ほど少し触れましたが、市では特に学校教育に力を入れています。もちろん家庭の中で子どもたちを教育することが一番大切なことですが、両輪のように国も行政も一緒になってしっかりと子どもたちの教育をしていくことです。その中で子どもたちに市の歴史や伝統文化を知ってもらい、それらを自信もって自慢してもらうことが必要です。

小中学校では市の歴史・伝統文化教育「ふれあい文化教室」で、市民の方々にもお手伝いいただいたりしています。華道、茶道、文学、百人一首、俳句、短歌、川柳などの出前講座で、去年は小学校68校中67校、中学校25校中21校、特別支援学校、盲学校で合わせて143回講座を行いました。学校の先生以外の大人から授業を受けるのは刺激にもなるし興味を持って聴いてくれます。

また学校演劇、音楽、美術、書道、ジュニア音楽、ジュニア文芸の六部門で「ジュニア芸術祭」を開催し、ジュニア文芸集の発刊も行っています。ジュニア文芸部門で詩、短歌、俳句、川柳などの文芸コンクールを実施、昨年は市内約8,000人の小学生が応募しました。市の「妖精ミュージアム」で読み聞かせの会も行って本市独自の文化遺産を活用した「妖精まちづくり」も進めています。

そして、これは本当に自慢になることですが、学校の図書館に司書の先生を小中学校93校の全校に一人ずつ配置しました。それまでは、司書の仕事を専任で行う職員はいませんでした。学校の図書室に行っても先生がいませんので真っ暗、子どもたちも本を借りに来ない、子どもたちの読書の平均量が全国でかなり低かったのです。「教育改革」という名のもとで「これから何に力を入れて行こうか」という議論の中で、学校の先生方から司書の先生の配置の声があがったのです。読む力を育てていかないと読解力に繋がらないので学力が上がらないということです。集中力を養うためにも本を読むこと。これは本当に大切なことです。司書の先生が教室に来て読み聞かせしもてくれますし、子どもたちにお勧めの本のコーナーを作ったりして、さまざまな工夫で子どもたちが楽しく本を読むようになってくると、成果が出て読書量が小中学生共に全国トップレベルになったのです。昨年度は、全国平均の2.5倍で小学生が1ヶ月28冊、中学生は2.6倍で10冊。この時期にしっかりと本を読むことを好きになってもらい、身の周りに本がある、読みたい本がある、今度読む本があるという環境づくりに繋がっていけばいいかなと思っています。

山中 それは子どもたちにとって大変良い環境ですね。宇都宮市はこのような教育環境を全国に先駆けて整えていたのですね。私は東京の小学校でしたが朝や中休みに読み聞かせの時間がありました。大人の方から読み聞かせなどを通して本を読むような運動を持ち掛けていただいたのはとても良かったと思っています。

子どもはちょっとした工夫で読書量が増えることに繋がりますね。下の子がもうすぐ小学校に入学しますが少しずつ本を好きになってきたと思います。本を一人でも読むようになりましたが、小さい時から一緒にたくさん読んできました。今は私の絵本が発刊されて出版社から送られてきますと、真っ先に息子たちに読ませて「どうだった?」と聞いて反応をみたりもします。

仕事柄私自身が絵本を読むのが好きなので、子どもと一緒に読んで「こんな絵本いいな」という出会いがたくさんあります。私も父が小説家でしたし、家に本がたくさんあったので、世の中にたくさんいい本があるので子どもたちにも出会ってほしいと思います。そういう意味でも本を読む習慣を身につけてほしい、素晴らしい世界が広がっているということを伝えたいと思います。

先人の功績を自慢することの大切さ

山中 今日は市長さんに父の作品の「いのちシリーズ」の一作で私が絵を描きました『街のいのち』(くもん出版)をお持ちしましたので、お贈りさせていただきます。(『海のいのち』は小学校6年生の教科書に掲載された)

市長 ありがとうございます。宇都宮市の民芸品「黄ぶな」をテーマにした『黄ぶな物語』(アートセンターサカモト出版)もいただきまして、この部屋の前に置いて見ていただいています。

山中 『黄ぶな物語』は父の作品に私が絵を入れた親子デビュー作でもあり、そういう意味では故郷宇都宮に関わる絵本として父が私に遺してくれた大切な作品だと思っています。また、約40年前に父が制作に携わった足尾鉱毒の記録映画『鉱毒悲歌』(2015年第1回環境大賞受賞)が東京をはじめ各地で注目されているので驚きました。

市長 和平先生のように宇都宮市ゆかりの方でさまざまな功績を残して亡くなられた方々は「市民の宝」だと思っています。そのような功績を市民の方々に知っていただき、誇りに思っていただくということで市としてもできるだけのことはしたいと思っています。現在、南図書館にある立松文庫のコーナーを皮切りに行政としてもしっかり対応していきたいと思っています。

山中 どこに行っても宇都宮弁で話していた父でしたが、大切にしてきた故郷でそのような対応を考えてくださることは父も大変喜んでいると思います。足尾の植樹祭も父の遺志として私たちに遺していったものの一つですが、毎年家族で植樹祭に訪れて植樹をしています。「100年都市宇都宮」の構想のように100年後の足尾を想像しながら子どもたちと一緒に木を植えてきます。父の遺志を、私と息子たち、そして息子たちの子どもたちも引き継いで植樹してくれたらいいなと、それらの思いを繋いでいけたらいいなと思っています。

市長 足尾の植樹は企業も賛同し県外の大学生や高校生も参加して広がっていますね。足尾に関してだけみても和平先生の残された功績は大きいですね。

山中 父本人はいないのですが、文学だけではなく、父がやってきた活動が残って引き継がれるのはとても嬉しいですね。

市長 それは大切なことですね。偉業を遺された人の功績を伝えていく役割が私たちにはあります。普通の方が亡くなられても遺された人たちは「忘れない」ことが大切ですが、ましてや和平先生のような偉業を遺された方の功績を伝えていくことが大事なことだと思っています。宇都宮市民はどうしても自慢することが苦手な市民性、謙虚過ぎてしまう市民性がありますが、功績を遺した先人たちを自慢することが大切です。和平先生ひとりをとっても自分たちでどんどん誇りに思ってほしい。和平先生の功績を伝えて残していく必要があると考えています。

山中 ありがとうございます。今日はお忙しいところをお時間をいただきまして本当にありがとうございました。

市長 いえいえ、こちらこそ、本当にありがとうございました。これからも故郷宇都宮市のための活動をよろしくお願いいたします。