「日曜小説」 マンホールの中で 3 第三章 8
「日曜小説」 マンホールの中で 3
第三章 8
次郎吉はしくじった。
先日の話で、裁判所の事務官の通路にカメラを仕掛けたのは、川上の所を調べに行ったのだ。しかし、まさかそこに郷田の手下がいるとは思わなかった。川上の家の近くはすでに郷田連合の組員たちが様々に来ていて、そこに川上のトップであると思われる川上元治が座っていた。なんと郷田連合の幹部よりも偉そうにしているのである。
「何だあれは」
遠くで見ていたはずなのに、ちょうどそこに入ってきた郷田の若い衆と出くわしてしまった。
「誰だ」
次郎吉は、夜の闇に紛れて逃げた。一度川上の家の外側に向かい、そして遠くに離れるようにして、その後、もっとも手薄になった川上の家の床下にもぐりこんだのである。このように逃げるのは、泥棒のセオリーである。実際に人というのは追いかけて、その追いかけた先で見つからない場合、人手を増やしその相手のいるであろう場所を「細かく」そして「範囲を広げて」探すものである。つまり、人は逃げてしまった場合に多くの人がその中心地から離れるということになる。泥棒はその心理の裏を突いて、人がいなくなった中心地に戻るのが最も安全なのである。
「それにしても、誰なんだ。ここに潜んで、それもあんな古い宝石を盗んだのは」
川上元治の声である。前回ここに盗みに入る時にすでに川上に関してはかなり研究している。声を聴いただけで川上元治の声やその家族の声はだいたいわかるようになっていた。しかし、事前の研究の成果としては、川上は農民であり、まさか郷田連合と付き合いがあるような人物ではないはずだ。多少の金は持っているものの、それ以上の貯えもないし、また、勤勉実直で、暴力団と付き合うような人物ではない。
「本当に盗まれたんですかい」
「ああ、間違いない。」
「鳥小屋なんかに隠しているから、鳥に持っていかれたとか。鳥は光るものが好きといいますぜ」
郷田の手下らしい人物はそのように言うと、川上は、どうもその辺にある茶碗をぶん投げたらしい。ガシャンという音と水がはじける音が聞こえた。
「そんなはずないだろう。それならば今は言ってきた盗賊は何者だ」
「いや、盗賊かどうかもわかりませんし。そもそもその盗賊だって、宝石がここにあると思っているから来るわけで」
「そんなこと言ってるから、郷田の兄貴もやられるんだよ」
郷田の兄貴といっている。つまり、川上元治と郷田雅和は兄弟というわけなのか。年齢的には川上の方が上のはずである。見た目も川上の方が年齢が上だが、何か関係があるのに違いない。しかし、この関係はいったい何なのであろうか。
「だいたい、兄貴のところだってまさか警察にやられるなんて思ってもみなかったろう」
「ああ、まさか小林の家が早々に盗難届を出していたなんて思いもしないでしょう」
「ああ、あの小林不動産の社長、今の若い社長は早くから盗まれていたことに気づいていたらしく、かなり前に盗難届を出していたらしい。それがまさか郷田の兄貴のところから出てくるとはな」
「親分は、あれについてはどうやって手に入れたか絶対に言わないんですよ」
言えるはずがない。まさか鼠の国のマーケットで買ってきたなど言えるはずがないのである。そもそも鼠の国の存在を関係のない人間に話すこと自体がご法度だ。つまり、郷田は小林の婆さんの宝石が誰から手に入り鼠の国に行き、そしてその鼠の国経由の宝石が自分のところにあって警察に捕まったということになる。同時に郷田の手下や川上は、鼠の国とは関係がないということになるのである。
「まあ、郷田の兄貴も様々な伝手があるだろうから、それは言えないものもあろう。まあ、要するに小林の家がどこかで盗まれて、それがまわりまわって郷田の兄貴のところに行き、そしてそのタイミングで警察が来たということか」
「そうなります」
「何か仕組まれているんじゃないのか」
その時、突然床下に灯りが入ってきた。
「おい、盗人は一番手薄になった家の中に来るってのは鉄則だ。よく探せ」
中で会話している川上とは別なチームが床下を探しに来たのである。次郎吉はそのまま横にずれると、下水管の穴の中に入った。
「兄貴、こんなところに下水管の穴がありますぜ」
「盗賊はそこに入ったのではないか。何人か集めてその中も入れ」
「へい」
古い家の場合、水などを地下にためて、そのままその水が流れるようになっている。この川上の家もそうである。そうやって家の間の出入りを外に見られないようにして行っていたのである。江戸時代に貧しかった農家はこのようにして様々な財宝や米を隠したのである。その下水管の中に入ったのだ。
「まいったな。このままだと川に出るしかないじゃないか」
次郎吉はしくじった。このままでは出口のあたりにも郷田の手の者がいるはずである。そうなれば捕まるしかない。何か方法はないか。こういう時には泊まって考えるしかない。奥からは懐中電灯の光が出てきている。
「次郎吉さん、こっちですよ」
なんと水の中から声が聞こえた。
「だれだ」
「鼠の国の者です。郷田と川上が裏切ったことがわかりましたので、助けに参りました」
次郎吉も迷っている暇はない。促されるままに水の中に飛び込み、そして、水中の横につながるパイプを抜けると、そこには新たな通路があった。
「なんだ」
「昔の人は良く考えていて、近に水路を作り、その水路の横を巧みに使って、水中を泳ぐようにして隣の通路に行けるようにしているんです。その通路がよくわかっていたのが東山将軍なんですよ」
「なに。東山」
「はい、私は案内だけなんで、ここから先は親分に聞いてください」
「親分とは」
「鼠の国の幹部です」
若い兄さんはそういうとあとは黙って歩いて行った。
「次郎吉さんだね」
「へい」
善之助には細かいことまでいっていないが、鼠の国は、8人の幹部で作ったといわれていた。しかし、それ以上のことは全くわかっていない。次郎吉もそのシステムがあることは知っていてもそれ以上のことは全く知らなかった。
いつもの鼠の国の繁華街の奥に、機械仕掛けの大きな扉があり、その先にまた延々といくつかのシステムがある。そして、そのシステムの中に、大邸宅の応接室のような空間が広がっていたのである。もちろん次郎吉は初めて入ったところである。
「鼠の国の国王、といったら笑われるが、鼠の国の支配者である」
「8人の幹部の一人ということですか」
背中を向けたままの男は、いきなり笑い出した。
「いやいや、そういう話になっているのか。いや、鼠の国はこの私が作った。そして、この私がこの地域一帯に人を配し、地域や分野別に頭を立てた。それが8人の幹部といわれる人々である。そして、今次郎吉が言った8人の幹部の上、彼らを任命したのが私だ。」
まさか。鼠の国はそのようになっていたとは。