批判
時として批判は、ありのままの事実の提示である場合もありますが、多くの場合、相手に対して抱いている憎悪や持論への執着、優越感、もしくは劣等感の裏返しに基づくものです。
そしてそれは人と人、グループとグループ、ひいては国と国を分離分裂させるものです。
さらにそういった批判は、相手を傷つけると共に、批判する人自身の魂へのエネルギーの流入を妨げることになります。
新しい知識に接し、それに感銘を受けたとき、その概念がその人のマインドを占領してしまうことがしばしばあります。そしてそれ以外のものを正しいと信じる人々を否定し、批判するのです。時には「〇〇にこう書かれているのであなたは間違っている」と、自らの批判の正当性を誰かの言葉を根拠に主張する人もいます。
それでは現在も依然として世界各地で繰り広げられている様々な宗教間の衝突と同じです。
このような状態にある時、その人の意識ではどのようなことが起こっているのでしょうか。
DSでは、1つのことを様々な角度から見ることの大切さをお伝えしています。
そのため、一見すると矛盾しているいるように思われることもあるでしょう。例えば、あるところでは三角形と言っていたことを、別のところでは四角形と言うようなことがあります。平面的にしか考えることができない人たちにとって、それは全くの矛盾となります。しかし、物事を立体的に見ることができれば、ピラミッドのような形状のものは横から見れば三角形で、上から見れば四角形であることがわかるはずです。
こういった矛盾は、私たちのマインドがいかに限定されたものであるかを示すものです。
三角形であるという概念に執着し、別の角度から見れば四角形であることを否定することで、自ら作った牢獄に自らを投げ込んでいるのです。しかし、私たちがこの段階から脱しつつあること、もしくは脱しなければならないことは現在の世界情勢を見ても明らかです。
DSの各種セミナーは、単に知識を提供するのではなく、私たちの直観、つまり包括的な知識を目覚めさせることも目的としています。よって、メモを取るより、その場で理解をと繰り返しお伝えしていますが、セミナー中に仕組みや考え方を理解できていないまま、後で考えるつもりでメモを取とることに気を取られている人は後を絶ちません。
実際には、セミナー後に考えようとしても、メモから思い出せることは断片的でしかないでしょうから、スタート地点から、もうすでにズレてしまいます。
もしこのような状態に自分があることに気付いたならば、それについてじっくりと考え、これまで真実と思ってきたことと統合するよう試みてほしいと思います。
人は熟考することによって真の理解に到達することができます。熟考することによって破壊をもたらす批判的な感情は起こりえないこと、そして、真の理解は必然的に物質次元での建設的な活動へとその人を駆り立てます。