『空(くう)』を体験するには
もし神様がいるのなら、教えてほしいと思っていました。
私は何のために生まれてきたのか。
今生で何をすべきなのか。
いつからかずっとそう思っていて、(今思えば)人生で一番苦しかった時に、自然に瞑想をし始めました。
そこで『空』を体験して、何もかもが全部幻想であり現実であり、何もなくて全部ある、という概念を理解しました。
それが私のいわゆる『覚醒』といわれるようなものです。
そんな風に語ると、瞑想をずっと続けることが覚醒の道みたいな感じがしますし、実際ヨガの修行みたいなのでは瞑想はつきものです。
じゃあ瞑想すればいいのか、みたいなことになりがちなのですが、大切なのは『瞑想すること』それ自体ではなく『瞑想した時の身体(脳)の状態』なのですね。
私たちは、『何かをする』ということを外側の形や動きでとらえやすいですが、(実際、現実世界ではそういう風に話をしなければ面倒で仕方ないのですが) 真の意味で『何かをする』とはどういう状態なのかを考えてみてください。
例えば、『ブログを書く』。
ある人にとって、それは、自分の思っていることを面白おかしくつづって読んでいる人を楽しませること。
ある人にとっては、こんな楽しいことがあった嬉しいことがあったという思いの記録。
私にとって、このブログは、宇宙から書けと言われたことを書いてるだけ。
(だから、できるだけ自分の考えみたいなものは入らないように、パイプであるように心がけてます)
同じ行為をしていても、意図はすべて違う。
意図が違うということは、周波数が違う。
周波数は、自分のためだけのものは低くて、全体のためであるほど高い。
(高い低いはどちらがいいとか悪いとかではないです。
色が波長によって見え方が変わるような黒と白、みたいなものです)
瞑想で『空』を体験するには、周波数を高くすること。
それは『開く』こと。
全体とつながるということは、常に開いた状態でいるということ。
傷つきやすくいる、ということ。
何度も言いますが、決して良い悪いではないです。
『覚醒』が目指すべきところではないし、それが特別で素晴らしいことではない。
『覚醒したい』。
そう頭で思えば思うほど遠ざかります。
頭を使って何かを考えることは、個の仕事だからです。
意図は糸。
覚醒の波長の領域ではすべての人がつながっているので安心してください。
既につながっている。
だから、目指す必要はない。
チューニングして波長を合わせるかどうか。
合わせたいかどうか、ではなく。
体験はすべてアトラクションのようなものです。
特別なものは何もない。
裏を返せば、
全ての体験が特別である。
それが『空』です。
何もない。
だから、ある。
現実世界で『空』の概念を体験する人もいるでしょう。