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一号館一○一教室

あなた、結婚しませんか?

2020.09.14 15:00

大人の自習時間 スペシャル「私の日中関係」



堀間ロクなな


 もうずいぶん昔の話だ。わたしが20代なかばのころ、どんな用向きで出かけたのか忘れたが、当時はJRならぬ国鉄だった中央線に乗って、新宿から下り方向へいくつか行った先の駅で降りた。夏の盛りの午後、駅前の商店街を抜けようとすると、ふと路地の片隅に中国物産店の看板をみとめた。日中国交回復から10年あまり、当初のブームは落ち着いたとはいえ、まだこの手の店をちょくちょく見かけたものだ。わたしは敷居をまたぐと、手狭な店内に並べられた唐三彩風の置きものやら、ことさら端渓と銘打った硯のたぐいやらを眺めた。



 やがて、奥から主人とおぼしい人物が冷茶を盆にのせて出てきた。小柄でかなりの年配らしいものの、髪の毛がいやに黒光りしている。わたしはほんのひやかしのつもりだったから、お茶をいただくと礼を言って早々に退散しようとしたところ、主人がにわかに声を改めて「お客さん」と呼びかけてきた。「あなた、結婚しませんか?」。意表をつかれてよほど間抜けな顔つきをしたのだろう、主人は口元をほころばせ、こちらが丸椅子に腰かけるのを待って説明をはじめた。



 自分は中国のある大金持ちを知っている。そこには適齢期の娘が3人いて、それぞれを別々の国に嫁がせるつもりで結婚相手を探している。あなたにその気があるなら、3人のうちからいちばん気に入った娘を選んで結婚してくれないか。あとで愛人をひとりでもふたりでもつくってかまわない。あなたの好きな場所に立派な住居を用意するし、生活費はいくらでも出すから仕事する必要はない、一生遊んで暮らしてもらっていい。ただひとつ条件がある。いったん結婚したからには身内を裏切ることは許されない、それだけは絶対に守ってもらう……。



 わたしは理解した。その大金持ちにとって世間には身内と他人の2種類しかいない、そして、その身内の将来のために価値があるのは日本の国籍であり、わたしの能力や人間性などは問題にもされていないことを。主人は相変わらず含み笑いしながら「あ、そうそう」と、声をひそめてつけ加えた。「もしあなたにこの世から消したい人間がいれば、希望は叶えられます。その代わり、たとえお酒に酔っても、冗談でだれかに『死ね』などと言ってはいけませんよ、本当になってしまいますから」。その周到な忠告を耳にして、つい、会社のタチの悪い上司をはじめ何人かの名前が脳裏をよぎったことは言うまでもない。



 もちろんのこと、金銀財宝がうなっているような大風呂敷を広げる割には、いかにも風采のあがらない主人の話をまるごと信用したわけではないけれど、だからと言って、ただの駄法螺だとも受け止めなかった。おそらくは中国の波瀾万丈の歴史のなかで、富裕層の人々は国家などというものをアテにせず、こうやって世界じゅうに「華僑」のネットワークを張り巡らしてきたのではないだろうか。わたしは丸椅子から立ち上がると、丁重に辞退することを伝えて店をあとにしたのだった。



 「有朋自遠方来不亦楽乎(朋あり遠方より来たる、また楽しからずや)」



 言わずと知れた『論語』の冒頭の一節だ。日本ではふつう、この「朋」を幼馴染みや学校の同級生の懐かしい友人と捉えているのではないか。しかし、かつて上記の出来事を体験したわたしはいささか見解を異にする。孔子は中国古代の権謀術数渦巻く春秋時代を生き抜いたのであって、果たして、そんな甘ったるい感傷に浸ってこの言葉を発したのだろうか。むしろ、現代の「華僑」と同じく、この世の人間関係をつねにおのれの味方である身内と、いつでも敵に回りかねない他人とに峻別したうえで、安心できる身内の「朋」がはるばる訪れてきたことが頼もしく喜ばしかったと理解したほうがしっくりくる。そこには、2500年の歳月を通じて、中国人の冷徹なリアリズムが働いているように思うのだ。



 わたしはいまにして想像してみる。もしあのとき、あの中国物産店の主人の申し出に応じていたら、どうなっていたろう? まったく別の人生があったかもしれない、と――。