ある日の出来事(追悼 永六輔さん)
私が芸能界に飛び込んだ頃、テレビ業界の最前線は昭和一桁世代の方々がほとんど。永六輔さんも、そのお一人でした。
30年近く前のことです。出来たばかりの有楽町マリオンの朝日ホールで、黒柳徹子さん主演のお芝居が企画され、そのお手伝いをするつもりでおりました。ところが、急遽、中止になってしまいました。
会場はすでにおさえてあり、使用しなくとも、キャンセル料が派生するとのこと。そこで、人気番組『徹子の部屋』みたいなトークショーを、朝日ホールでやってしまおうということになりました。テレビ朝日の主催ではありませんから、タイトルも『徹子の部屋』ではありませんし、カメラも回りません。
日替わりで、7組ほど、ゲストをお招きしましたが、そのお一人が、先日、鬼籍に入られた永六輔さん。
テレビでは聞けないお話が、これでもかと飛び出しました。
名曲、『上を向いて歩こう』の作詞家でもある永六輔さんは、この曲を、坂本九さんに歌わせたいと、作曲の中村八大さんのお宅に、お連れしたそうです。ところが、中村八大さんは、こんな変な歌い方をするやつに歌わせたくないとおっしゃったとのこと。
確かに、坂本九さんは、
「ふへふぉ、むふうひて、はあるこふぉふぉふぉ なみだが ほぼれえぃないよほほに」
という、独特の歌い方。
でも、坂本九さんが歌ったから、大ヒットしたんだと、永六輔さん。つまり、自分には、作詞だけではなく、先見の明もあるという自慢話でしたが、その巧みな話術に、客席は大いに盛り上がりました。
そうなると、黒柳さんも、負けていられません。会場の照明が落ちる(夜10時には、自動的に消えるようになっていました)時間になっても、まだまだしゃべり続け、私たちを困らせました。
永六輔さんの訃報に接し、そんなことを思い出しましたが、今、当時の永六輔さんと同い歳。人生は存外長いですね。
*写真は1984年の私。