ヴェラブロ VELABRUM
ヴェラブロ(ラテン語でVelabrum)は、古代ローマ時代には、パラティーノの丘とカンピドリオの丘の間の谷のことである。境界線は、フォロロマーノの北からパラティーノの東のウィクス・トゥスクス(Vicus Tuscus)とウィクス・ルガリウス(Vicus Iugarius)の西にある。
伝説と歴史
★ エトルリア王クロアカ・マッシマ
この谷は、紀元前4世紀のクロアカ・マッシマのエトルリア王が作った地域だった。沼地で霧がかかり、ヴェラブロ(Velabro)と呼ばれるテヴェレ川に流れ入る小川が共和制ローマ時代まで存在した。
★ ローマ建国伝説、双子のロムルスとレムスのたどり着いた場所
ローマ建国伝説では、生まれたばかりの双子のロムルスとレムスが籠で流され、生まれたばかりの双子に乳を与えていた女神(Ruminalia)が宿る聖なる木(ficus rumanalis)の下にたどり着いた場所Cermalus(現在のパラティーノ)である。
もしくは、ルペルカル(Lupercale)と呼ばれる洞窟の側に、二人の乗った籠がたどり着いたため、ローマ神話における戦と農耕の神マールスと、農耕神ファウヌス(Marte e al Fauno Luperco)の神が宿る場所だとされた。
★ 狼が双子を育てた
狼が双子を育てたという伝説は、狼の寝床を二人が使ったか、娼婦(Lupe)の呼び名から来ている。
養い親である娼婦アッカ・ラレンティアと、アマリオ王のために働いていた旦那である豚飼いのファウストゥルス(Faustolo)らが、Cermaloと呼ばれる後にパラティーノと呼ばれる丘に所有していた小屋で育った。
出土品
★ カピトリーノの雌狼(Lupa Capitolina)
ローマ建国伝説のロムルスとレムスがオオカミの乳を飲んでいるシーンのブロンズ像 。複製がカンピドリオの広場から、サン・ピエトロ・イン・カルチェレ通り(Via di San Pietro in Carcere)に入って直ぐの右側にある。オリジナルは現在はコンセルバトーリ美術館に展示されている。
オオカミは紀元前6世紀のもので、ティベリーナの谷から出土し、双子の像は、後に付け加えられたとされていた。しかし最近の研究で、現存するのは中世の頃のもので、 双子はおそらくアントニオ・デル・ポッライオーロが15世紀末に作ったということが発表されている。
★ アウレリア街道
ヴェラブロは昔から交通量が激しい場所で、フォロ・ロマーノとトラステヴェレ地区を現在は存在しない木製のスブリチョ橋(Ponte Suplicio)でつながっていた。この地域はオイルやワインなどの食材を供給する中央市場となった。ちなみに、ウィクス・トゥスクス(Vicus Tuscus)という地域は、布の販売をしており、周辺は様々な卸市場として屋台が並んでいた。この賑わいはテヴェレ川が氾濫し土で覆われる6世紀頃まで続いた。
中世
中世初期の頃にこの地域は、Velum Aureumと呼ばれ、サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会と、サン・テオドロ教会が建てられた。サン・ジョルジョの柱廊アーキトレーブにVelum Aureumと書かれているのがわかる。中世初期キリスト教の巡礼地となった。
★ サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会
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★ 聖テオドロ教会
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参考