水の燃え上がれる銀杏黄葉かな
龍隠庵
https://www.try-sky.com/town/map/sekiguchi/ 【関口芭蕉庵】 より
住 所 文京区関口2-11-3
アクセス 東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」下車 徒歩15分
東京メトロ東西線「早稲田駅」下車 徒歩15分
開園時間 10:00~16:30
休 園 日 月・火曜日 年末年始
入 園 料 無料
地下鉄早稲田駅を降りて新目白通りの北を走る神田川を渡ると、新江戸川公園や椿山荘、永青文庫などの多くの文化スポットに囲まれて「関口芭蕉庵」がひっそりと佇んでいます。江戸前期の俳人松尾芭蕉が住んだとされる場所につくられた、昔懐かしい風情を残した庵です。普段東門は閉じられているため、西側に設けられた出入り口から中へとお邪魔しました。
江戸前期の俳人松尾芭蕉は、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川の改修工事に参画し、この地にあった「龍隠庵(りゅうげあん)」と呼ばれる庵に住んだと伝えられています。俳聖と神田上水工事とは妙な取り合わせのようにも思われますが、芭蕉が過去に伊賀国(三重県)藤堂藩の武士であったことや、藤堂藩が築城土木・水利の技術に長じていて、当時の幕府から神田上水の改修工事を命じられていたことを考え合わせると納得がいきます。
芭蕉は早稲田の田んぼを琵琶湖に見立て、この庵からのぞく風光をこよなく愛したと言われています。
敷地内には芭蕉の住んだ当時から残る銀杏の大木(文京区保護樹木)や見事な竹林、白梅など、500種類以上の植物が生い茂り、季節によってはタヌキも顔を出すなど昔日の佇まいを残しています。なかでも綺麗な湧き水を貯めたひょうたん池の景観は素晴らしく、いずれの方向から眺めても飽きません。
享保11年(1726)、芭蕉の33回忌にあたって芭蕉の木像を祀る芭蕉堂が建てられ、その後、弟子である去来・基角・嵐雪・丈草の像もお堂に安置されました。
また、寛延3年(1750)、芭蕉の友人である山口素堂の弟子・馬光らによってさみだれ塚が建てられてからは、芭蕉を慕う俳人が多く訪れるようになり、龍隠庵はいつしか「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。このさみだれ塚は、「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の芭蕉の短冊を埋めて墓としたもので、関東に7つあるといわれる芭蕉の墓の1つです。
芭蕉庵の建物は、昭和13年(1938)3月に近火で類焼しましたが、同年8月再建。しかし、昭和20年(1945)5月の戦災で焼失しました。現在は庵があったとされる場所に管理室が設けられており、「奥の細道」に関する資料や古地図などを見ることができます。
管理室では「奥の細道」に関する資料や古地図などを見ることができます
いしぶみに触れて身にしむ日影かな 高資
石の端に言の葉のしむ身空かな 高資
さみだれ塚・関口芭蕉庵(龍隠庵)
立ちながら芭蕉破れるみ空かな
関口芭蕉庵(龍隠庵)
中今に垂れる木の根や冬日影 高資
芭蕉堂・関口芭蕉庵(竜隠庵)
「幻住庵は奥の細道の旅を終えた翌年の元禄3年(1690年)3月頃から、膳所の義仲寺無名庵に滞在していた芭蕉が、門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4ヶ月間隠棲した近津尾神社境内の小庵。47歳の芭蕉は、この庵で半生を綴った「幻住庵記」を書いた。
幻住庵に暁台が旅寝せしを訪ひて 丸盆の椎にむかしの音聞む 与謝蕪村