甲賀の里で(「ふたたびの千代田」番外)
「長柄を・・・ですか?」
春休みもほぼ終わりかけた4月の初め。明後日から新学期が始まるという日に、長老からの呼び出しを受け、小鉄は遠路はるばる甲賀までやってきていた。
その甲賀の里の長老の居室で、小鉄は長老と相対していた。
「そうじゃ。お前も知っての通り、今里に残っておるのは、高齢の者と女子供ばかりじゃ。それではやっていけんという訳でもないが、やはり、若い者がいると何かと重宝するのでな」
「それは、そうですが、しかし・・・」
長柄は、狭霧が甲賀へ戻ったときから、ずっと狭霧の側近くに仕えている。その狭霧は、この4月から修行のため半年近く通った赤目の瀧上高校を後にし、三葉学園に戻ることになっていた。その際、護衛兼世話係を伴うことが条件となっており、その役目は長柄に指名されていたはずなのだが・・・
「それでは、狭霧はどうなさいますか? 一人で東京へやられるおつもりですか?」
小鉄が気になったのはそのことだった。以前、狭霧が三葉に通っていたときは、坂口に雇われる形でその家に暮らしていた。しかし、現在、坂口の家には一乃介が住み込みで働いている。そして、今回、東京で狭霧が長柄と二人で暮らすためのアパートを探して狭霧に紹介したのは他ならぬ小鉄だった。
「そういう訳にもいかんじゃろう。よもや狭霧が再び出奔するとは、わしも思っとらんが、あれであやつは剣望の家の正当な後継者じゃ。また、よからぬ考えを持った連中に狙われないとも限らんでな」
「では、一体、誰を狭霧にお付けになるおつもりで・・・?」
長老は、持っていた煙管の灰を落とすと、
「里にいる者では適任はおらんな」
婉曲な表現だったが、小鉄はすぐさまその意味を覚った。
「・・・私でございますか?」
「不満かの?」
小鉄の口調に、微妙な躊躇いを感じ取ったのだろう、長老はそう問い返した。
「い、いえ。そういう訳ではございませんが、しかし・・・」
小鉄らしからぬはっきりしない物言いに、長老は片眉を上げた。
「狭霧が承知しない、と?」
長老の指摘に、小鉄は長い睫毛を伏せて己の膝に視線を落とした。自信なさげなその表情を見て、長老は溜息をついた。
「・・・困ったものじゃの。狭霧もじゃが、お前もお前じゃ。狭霧が将来この里の長として立つとき、一番の支えとならねばならぬのがお前じゃ。お前たち二人には、我が一族の将来がかかっておる。その二人がこれでは先が思いやられる」
長老の言葉は小鉄を痛打した。狭霧同様、一族の将来を背負う者として、自分の果たすべき役目の重さはもとより承知している。だが、こと狭霧に関することとなると、自分でもおかしいくらいに自信が持てなかった。長老にこのように言われても、言葉を返すこともできず、小鉄はただ俯くばかりだった。
そんな小鉄をどう思ったのか、長老は、しばらく思案するようにしていたが、やがて口を開くと、
「・・・あれは意地っ張りじゃが、心底お前のことを嫌っておる訳じゃあるまい。お前も、狭霧のことでそうまで心を砕いているのなら、今回の役目に異存はないはずじゃな。やはり、ここは一つ、策を用いねばならぬようじゃのう」
その言葉に小鉄は思わず顔を上げた。
「策・・・でございますか?」
戸惑った表情の小鉄に、
「時には荒療治も必要じゃということじゃ」
と言って長老は愉快そうに笑った。