日本三古碑!高崎市「多胡碑」は、今必見の世界記憶遺産候補
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日本三古碑とは、日本各地に残る古代の碑のうち書道史の観点から極めて重要とされる碑で、栃木県の「那須国造碑」、宮城県の「多賀城碑」、群馬県の「多胡碑」は8世紀前後の貴重な文化財です。今回ご紹介する「多胡碑」は、だるまで名高い高崎市にあり、石碑に刻まれた僅か80文字の漢字は、古代の謎を解くカギを与えてくれます。2017年世界記憶遺産の国内候補に決定している「多胡碑」は、今見ておくべき文化財なのです。
新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴う、県境をまたいだ移動の自粛が2020年6月19日より解除されます。また県境をまたぐ観光については「徐々に行い、人との間隔を確保すること」というガイドラインが政府より示されています。各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新の情報をご確認ください。
多胡碑は群馬県高崎市吉井町池字御門にあり、現在その周辺は「吉井いしぶみの里公園」として整備されています。中心となるのは勿論多胡碑ですが、保存維持を目的に立派な覆屋の中に置かれています。ガラス越しに実物を見ることもできますし、照明をつけてガイドを聞くこともできます。
その公園内で、はやる気持ちを抑えてまず見て頂きたいのが「多胡碑記念館」です。多胡碑の研究資料や考古資料、更には古代中国を始めとした様々な文字の拓本などが展示されています。更に公園内には移築復元された2基の古墳と古代蓮の池、そして多胡碑に関する様々な歌碑があります。また、公園内の石垣には多胡碑の碑文漢字があちこちにあしらわれているので探してみてください。
多胡碑が語る歴史
多胡碑は、現在で云う総務省のような官庁からの命令により、711(和銅4)年に多胡郡が建郡された記念に建立された碑です。吉井町南部で採れる牛伏砂岩を加工して作られたもので、笠石・碑身・台石から構成されており、碑文は6行に亘る80文字が刻まれています。
碑文には藤原尊(藤原不比等)などの歴史的人物の名も見え、「続日本史」における多胡郡設置の記述と一致しています。更に当時の律令国家の蝦夷政策との関わりや、地域の勢力バランスの是正などの為に多胡郡が設置された背景も浮かびあがり、大変重要な碑であると現在は国の特別史跡に指定されています。1300年以上の時を経て語り掛ける80文字を、現在の皇太子を始め、福田赳夫、康夫元総理や湯川秀樹博士など多くの著名人が訪れています。
多胡碑が綴る文字
平安時代より古い石碑は全国で18例しかありません。そして多胡碑を始めとした三古碑よりも古い碑があるにも拘わらず、日本三古碑と云われるのは、当時の歴史が解るとともに、日本の書道史にとって重要な碑であるからなのです。
書道史から紐解くと、江戸時代の国学者高橋道斎によって多胡碑の価値が紹介されて以来、多くの文人・墨客が訪れました。字体は丸みを帯びた楷書体で中国北魏の六朝楷書に極めて近く、北魏時代に作られた北碑の名手であった鄭道昭の書風に通ずると云われています。また清代の中国の書家にも価値が認められて、楷書の辞典である「楷法溯源」に多胡碑から39字が手本として採用されました。
多胡碑を守る功績
「多胡碑」以外にも公園内には多くの碑がありますが、特に注目は大正5年に建立された高さ155cmの歌碑。作者は吉田松陰の義弟で初代群馬県令(現在の知事)だった楫取素彦氏。この方県令時に当時高崎にあった県庁を前橋に移したことで高崎住民の恨みを買ったのですが、多胡碑の価値にいち早く気づき、周辺の土地を政府に買い上げさせて国有化しました。
こうして保存された多胡碑は、平成21年多野郡吉井町と高崎市が合併し、平成24年が多胡郡建郡1300年にあたったことから、一気に多胡碑の再検証が高まり、現在の世界記憶遺産登録候補につながるという歴史的な功績を残したのです。碑文は、明治43年素彦への拓本贈呈に対する町長への礼状に記された歌、「深草のうちに埋れし石文の世にめつらるゝ時は来にけり」が刻まれています。
多胡碑に潜む伝説
たった80文字の碑文のなかに謎が残されていました。それは「給羊成多胡郡」(多胡郡を羊に任せよ)の部分で、この《給羊》を巡り長い間論争が交わされたのです。それは方角説や人名説で、有力とされている人名説にも藤原不比等本人説、物部氏の後裔説、キリスト教徒説など幾つかあり、現在は渡来人説が有力です。
地元の人々は、この碑文中の《給羊》二字に因んで多胡碑を「ひつじさま」と呼び、古くから親しんでいました。その由来は、この辺りに伝わる羊太夫伝説に"羊"が英雄として登場するからです。多胡碑覆い屋の前にある榎の樹は「羊さまの榎」と呼ばれ、正岡子規の友人中村不折による多胡碑と榎のスケッチが朝日新聞に掲載され全国にそのロマンが知れ渡ったのです。
日本三古碑以外にも「上野三碑」として世界記憶遺産候補
多胡碑、少しはご理解いただけたでしょうか。単なる古碑ではなく、1300年前の歴史、社会、文化などの多くのメッセージが込められた魅力がありますが、注目はそれだけではありません。
多胡碑は、日本三古碑の一つとしての位置づけ以外に、同じ高崎市内にある山上碑、金井沢碑のと合わせて「上野三碑」と呼ばれ、世界記憶遺産の国内候補に決定しています。
世界遺産である「富岡製糸場」へ向かう上信電鉄の途中駅「吉井駅」が最寄り駅ですので、併せて観光されると効率的で良いでしょう。
2017年の世界記憶遺産に登録される前に訪れてみる価値のある古碑です。