特集 古代那須の国へようこそ―侍塚古墳―
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【特集 古代那須の国へようこそ―侍塚古墳―〈1〉】 より
◆侍塚古墳とは
大田原市湯津上、那須岳を源流とする那珂川の中流域の西側、右岸(うがん)段丘上(だんきゅうじょう)には、多くの古墳があります。その中心となるのが、日本一美しい古墳ともいわれる国指定史跡「侍塚古墳」です。
侍塚古墳周辺には、古代那須の遺跡が残されており、古代の息吹を感じることができます。
「侍塚古墳」は、上侍塚古墳と下侍塚古墳の2基があり、いずれも4世紀後半に築造されたと考えられ、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)という形をした古墳です。
古墳時代の那須地域では、前方後方墳が多いのが特徴です。古墳がさかんに造られた3世紀後半~7世紀を古墳時代と呼んでいますが、栃木県内では、古墳時代の初めの頃に、まず那須地域に前方後方墳が続けて6基造られるのです。
また、上侍塚古墳の北側には、同じく前方後方墳である上侍塚北古墳があり、下侍塚古墳の北側には8基の円墳や前方後円墳からなる侍塚古墳群が点在しています。
○上侍塚古墳〔国指定史跡〕
墳丘全長114mの前方後方墳です。那須地域の古墳の中では最大規模を誇り、栃木県内の前方後方墳においても、足利市の藤本観音山古墳(116.5m)に次ぐ大きさです。
墳丘には葺石が確認されています。また、周溝については、西側の水田部分に一段低い面として痕跡が残っています
○下侍塚古墳〔国指定史跡〕
上侍塚古墳の北約800mのところに位置する、墳丘全長84mの前方後方墳です。
現在も墳丘には葺石が一部露出しています。昭和50年(1975)の湯津上村教育委員会(当時)による周溝等の発掘調査では、葺石(ふきいし)が確認され、土師器(はじき)壺(つぼ)などが出土しています。
また墳丘の周囲には、一段低い面が楯状に認められ、古墳の周溝と考えられています。
○上侍塚北古墳
上侍塚古墳の北約50mのところに位置する、墳丘(ふんきゅう)全長48.5mの前方後方墳ですが、現在は一部が削られており、原形をとどめていません。
周囲からは赤色顔料(せきしょくがんりょう)が付着した土師器壺の破片が採集されています。築造時期は、上侍塚古墳に近い時期と考えられています。
○侍塚古墳群
〔市指定史跡〕
下侍塚古墳に隣接して、8基の古墳が残されています。前方後円墳である1号墳、円墳である2・3・4・5・6・7号墳、方墳である8号墳からなります。
これらの古墳の詳細は明らかになっていませんが、過去に5号墳と8号墳が調査されています。記録には、円墳である5号墳から鳥形の形象埴輪(けいしょうはにわ)が出土したと記されています。
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【特集 古代那須の国へようこそ―侍塚古墳―〈2〉】
◆日本考古学発祥の地
古墳時代前期に造られた前方後方墳として、大変貴重な侍塚古墳ですが、日本の歴史上、とても重要な出来事があった古墳としても有名です。江戸時代、日本で初めての学術的な発掘調査が、徳川光圀の命により行われたのです。
江戸時代の侍塚古墳発掘のきっかけとなったのが、那須国造碑という石碑の再発見です。
○那須国造碑〔国宝〕笠石神社所蔵
下侍塚古墳の北約500mにある笠石神社のご神体として祀られています。
この碑は西暦700年頃、那須 国造(くにのみやつこ)・那須評督(ひょうとく)を務めた那須(なすの)直韋提(あたいいで)が亡くなった後、その息子と思われる意斯麻呂(おしまろ)たちが、韋提(いで)の遺した業績を顕彰するために建立したと考えられています。
国造とは、古代の地方官の役職名です。ヤマト王権が各地の有力豪族を国造に任命し、地方支配を取り仕切らせました。
現在の栃木県域には、那須国造と下毛野国造(県の南西域あたり)がいたことがわかっています。
◇那須国造碑の再発見
延宝4年(1676)、磐城(いわき)(現在の福島県)の僧円順(えんじゅん)が、湯津上村の草むらの中にある碑を見て、「この碑は普通の石碑ではなく、高貴な人の石碑かもしれない」と、那須郡武茂郷(むものさと)(現在の那珂川町馬頭)の庄屋大金重貞(おおがねしげさだ)に伝えました。
重貞は湯津上村へ出向き、碑の存在を確認します。一面苔におおわれていましたが、文字が彫られています。重貞は息子の小右衛門(こうえもん)らとともに6度通い、苔を落として文字の判読に努めます。そして、著書『那須記』に書き記しました。
◇那須国造碑と徳川光圀の出会い
天和3年(1683)、徳川光圀が武茂郷にやってきます。武茂郷は、現在の栃木県那珂川町馬頭ですが、近世は水戸領でした。光圀の武茂郷巡村は、合計9回と考えられています。天和3年の巡村は3回目でした。
この時、重貞は光圀に『那須記』を献上します。光圀は、そこに記された古碑に驚き、重貞に碑の詳細を説明させました。
◇侍塚古墳の発掘調査
『那須記』に記された古碑に深い関心を持った光圀は、古碑の主を解明しようとしました。重貞を現場責任者に任命し、まずは、古碑の周辺の発掘調査を行おうとします。時に貞享(じょうきょう)4年(1687)のことです。しかし、湯津上村は水戸領ではないため、現地の地主らとの調整などで実施までには4年の歳月を要しました。
元禄4年(1691)、いよいよ発掘調査が始まりました。しかし、残念ながら古碑の主の解明には至りませんでした。そこで、近くにあった「大墳墓」上侍塚古墳・下侍塚古墳を発掘することとなりました。
発掘調査により、両古墳からは様々な副葬品が出土しました。しかし、古碑の主を解明することはできませんでした。そこで、出土した遺物については絵図をとらせ、松の箱に入れて元の場所に埋め戻します。墳丘についても修復し、保護のため松の木を植えさせました。
古碑についても碑堂を建立し、周囲の土地を買い上げ、管理人の僧(別当(べっとう))を置きました。全てが終了したのは約1年後の元禄5年のことです。
ちなみに、発掘調査・碑堂の建立にかかった費用は、全て水戸藩から支出されています。
◇侍塚古墳発掘調査の成果
・上侍塚古墳
元禄5年の調査の様子として、大金重貞著『湯津神村車塚御修理』には、後方部の中央を5尺(約1.5m)余り掘ったところに鉄鏃(てつぞく)や管玉(くだたま)・石釧(いしくしろ)などが見つかったとあるので、この部分が埋葬施設だった可能性が高いと考えられます。
鉄鏃などの下には、「先へな土ニテヌリ、其内ヲ墨也、漆ノねり土也、其内ニ朱少々有り」という部分があったと記されています。「へな土」は水の底にある粘質性の黒色の泥土で、その内側に墨・漆の練り土があり、さらにその内側に朱が少々あったといいます。これは、外側に粘土槨(かく)があり、その内側に木棺の腐蝕部分の痕跡があったのが、墨や漆の練り土のように見えたのではないかと言われています。
・下侍塚古墳
後方部の中央を5尺ほど掘って鏡や大刀破片などを発見しているものの、上侍塚古墳のような埋葬施設らしき特徴は『湯津神村車塚御修理』に記されていません。あるいは簡単な粘土槨程度の施設があったものと推測されます。
◆現在も受け継がれる文化財保護の心
光圀の命により行われた侍塚古墳・那須国造碑の調査・保護は、現在の文化財保護へと通じるものでした。
下侍塚古墳は、ある考古学者によって「日本一美しい古墳」と賞されていますが、現在この「日本一美しい古墳」を守っているのは、地元のボランティア団体「侍塚古墳松守会(しょうしゅかい)」の方々です。霜降(そうこう)の日の「こも巻き」と啓蟄(けいちつ)の日の「こも外し」は、大田原市の冬と春を告げる風物詩ともなっています。
長い年月の間、地域の人たちが中心となり守ってきた美しい古墳を、私たちも、また次の世代へと伝えていく責任があるでしょう。
問合せ:なす風土記の丘湯津上資料館
【電話】98-3322