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Cheers!by masamin

選択に意味はありません

2020.09.14 07:44

今日から3日連続で自分主催の

オンライン、エッセンシャルオイルの会。


昼夜と2回づつ開催。

内輪のグループのお勉強会なので

無料です。



なるべく少人数開催にして 濃いところを伝えたいと思っています。



…と、書きながら😅


その初回、10:30の部、

私に 止むに止まれぬ事情が飛び込んできて…





今朝参加予定の5名さまに 昨日事情を話し 明日と明後日に変更していただく、という  事態になってしまいました🙏💦

ほんとうに申し訳け無いです💦





事情をお伝えして なんとか移動して頂きました。

後日無料リーディングを追加、

で、お詫びをしたいと思います。





🍓🍓🍪🍓🍓





こんな事が起こると いつも

選択、について考えます。



こう言うケースは

「そうなった」というそれだけの事。


無事、対処もできたわけですし。



出来事に意味づけって する必要がないし

何かのせいに する必要も無いと思っています。






何かのせい

あるいは

何かのおかげ


と思うのは自由。




でも

なにも関係無い、と取るのも自由。


それも選択ですね。




人(マインド)は 因果関係が大好きだから

それを"面白がりたい"という傾向があったりするけど 、

所詮は「だから?」という事なんだと思うのです。



ただ、無理やり因果関係をこじつけて

自己価値が上がる事に繋がったり

嬉しくなったり ワクワクするなら

それも楽しそうでは あります😊


遊ぶ


という深刻さのないスタンス…

私は そういうのが

好きなのかもしれません。


選択、選ぶ


AかBか?どっちの道か?


それ自体、どっち選んでも

辿り着くところって 大して変わらないので

どっちでも 楽しめる自分


という在り方推奨です。


午前中の 止むに止まれぬ お仕事が終わり

ある神主さんとズームでおしゃべり(笑)


祈り、についての深い話となりました。





祈りとは どこまで行っても

感謝を表すという事。


誰に?


自分に。


どこまでいっても

祈りの対象も

感謝の対象も

「今」

これしか ないんですね。


それを踏まえた上での

アファメーション 感謝の響き を

祈り と呼ぶのだと

改めて思いました。




よくね

「こうなったらいいな」をイメージしてごらん

と、クライアントさんに伝えますと


海外生活〜✨

とか

お金持ちの暮らし〜✨

とか

平和〜✨

億万長者✨

とか 皆さま 可愛く仰ります😊




今、そこが そうですよ

そうなっていますよ


と、答えると



❓❓❓❓



と、いう表情をされます。

そこに全てがあるのに

…見えていないのです。



存在している周波数帯が違うから

仕方ないこと。


今に 満足し

今にトキメき

今、ハワイのビーチにいるときの様な

ワクワク感を感じていられたら


もうワイキキも億万の札束も 

平和も必要ないのです。




そのワクワクが今 再現できない限り

どこへ行っても

誰に会っても

何をもらっても


一瞬 満たされたとしても

不満足が また押し寄せる。

もっと もっと と.なるのかな…





無い、不足、

楽しいことは外にある

今ここには それは無い


こんな思考の癖を手放すことから

スタートしてみると良いのかな?と 

思います。







祈りとは

感謝を響かせる事。


そこに条件をつける必要など

ありません。


祈りは 願いではありません。

いつから願いに変わったのか?

そのへんは 

何かしら思惑的な流れが

隠れていそうな感じです。





🌈🌈🌈





目に見えない大いなる存在


それも 自分の内側の概念、知識の1つです。

大人になる途中で 

誰かが言ってたか?

書いてたか?した 何かを読んで 

その文章なり単語なりを知ったわけです。


ようするに

どっかから得た知識。


もともとの本質の自分とは

関係無いもの、です。


よく量子力学や宇宙物理学的な

海外の研究者の発表をTEDなどで観ていると


惑星…太陽系でさへ 

急に数が増えちゃってる話があったり


木星の横に ちっこい星があるよ、みたいな話とか

太陽系の果てに もう一個星がある話などがあって 驚きます😱




そんなこんなで 

概念等のあやふやな物だけでなく

いろんな過去の統計すら

見直しが次々と起こっているってことです。


日本史だって100年くらいの誤差が分かり出して

年表も書き換えがあります。


今のように

何かもが 変わるとき…


人は過去に学んだ物を拠り所として

しがみつきたくなります。


執着 と呼ばれている感情です。


仕事のやり方

考え方

在り方


柔軟に変化出来る人ばかりでもありません。

歴史から学ぶことも 大切ですが


今の時代の変化は

人類の歴史上、前代未聞、前例のない時を迎えているのなのかもしれません、というか そうでしょう。





これは 絶対に正しい!と思う時

そこに 正しいものと

正しく無いものが生まれます。


正義のジャッジも生まれます。


ある経験に そのときの

「自分の一生懸命」なんかをくっつけると

なかなか手放せ無かったりしますよね。





だって、自分は あんなに頑張って

あんなにお金をかけて、時間もかけて

これをやってきたんだよ!

すごいひどい目にもあって

色々我慢もして それで有名にもなって

だから 今更 これをやめられないよ!




 …

なんて 執着が

あなたを重くしてしまう。





流れずに、変わらずに

いつまでもそこにいるものは

たいがい腐っていきます。


自然がそれを

教えてくれていますよね。


もし、そんな重たい思い出が 浮かんできたら

「だから?」と

自分を笑えばいいのです。



そんな人から

とっとと

もっと輝く

もっと高いところに辿り着くのだと

思うのです。