地球は動く6-ガリレオは何を裁れたのか
2020.09.14 09:52
1632年10月1日、ガリレオに異端審問のローマへ召喚状が届く、ところが健康の理由で2か月遅らせ、出頭したのは翌年2月である。ガリレオは事態を甘くみていたようだ。4月12日に第一回審問が行われる。ガリレオは「地動説を仮説として書いていて命令違反はない」と主張した。
しかし地動説を口頭でも文書でも広めてはいけない、という1616年の文書を突きつけられて、ガリレオはパニックになった。ウロたえたのは審問側も同じだった。異端審問とはぶっちゃけ裁判ではない。異端は決まっていて、改悛によって刑を決めるだけの場なのだ。
第2回審問は4月30日に行われる。長官マクラノは28日にガリレオと会い、筋書を決めた。第2回審問ではガリレオは打って変わって、自分の書き方は地動説っぽかったと罪を認める。それは自分の野心からだったと改悛し、本を天動説が勝利するよう書き足すとまで言う、幸か不幸かこれは実施されなかった。
審問は第三回を経て、6月22日に判決が出され、ガリレオは用意された改悛文を読み上げた。ガリレオが「それでも地球は動いている」と言った形跡はない。そもそもこの裁判自身が、命令違反を問うものであり、地動説を問うものではなかったのである。ガリレオも信仰と科学は反するものではないと考えていた。「宇宙は第二の聖書」(ガリレオ)
下はジョセフ・フルーリー作「裁かれるガリレオ」