クレシェンツィの家 中世の建物・塔 Casa dei Crescenzi
ポルトゥヌス神殿と戸籍庁の間、近年作られた交通量の多いペトロセッリ通りに、ローマでは数少ない中世の建物が残っている。11世紀の建物の壁には古代の彫刻が施された大理石が貼り付けてあり、ビザンチン様式の風呂の遺跡だとされる。
クレシェンツィの家と呼ばれており、富豪でこの地域を統治していたローマ貴族のクレシェンツィ家が所有していた。
1040年と1065年、クレシェンツィオとテオドーラの息子ニッコロ・クレシェンツィオによりエミリオ橋と水車を監督、通行人から徴税するため、2階建の建物を建築。
建物の壁には考古学的にも興味深い、様々な大理石のレリーフが施されたコラージュ。
ローマの政治家コーラ・ディ・リエンツォが住んでいたとされる。(近くのコルドナータにジローラモ・マッシモ作のコーラ・ディ・リエンツォのブロンズ像がある。)しかし、ピラト(Ponzio Pilato)の家とも考えられており、何故なら受難週 (Settimana santa)にここで演説をしていた場所だからだ。
神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世がローマに来た1312年、要塞の塔は倒壊した。クレシェンツィの塔(Torre dei Crescenzi)もしくはモンゾーネの塔(Torre del Monzone)またはピラートの塔(Torre di Pilato)と呼ばれていた。
1500年代は馬小屋として使用され、1868年に修復され会議室となった。
建物側面に多くの碑文があり、入り口右にはローマ時代のアーチなどの装飾がある。建設当時は古代ローマ時代からのさらに多くの遺跡が使われていた。
近年の道路開発で、この周辺の多くの中世の建造物が破壊された中に、フォロ・ボアリオ周辺にクレシェンツィ家の建物が他にもあったようだ。
メモ
トレビの泉の近く、クレシェンツィ家の通りがある。クレシェンツィ家は1058年からメンターナを統治していた家系。
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2017.05
参考