仔うさぎルイスと三兄弟
モリアーティ家にはうさぎがいる。
人間年齢で換算すれば三歳程度でしかないほんの子どものうさぎ、仔うさぎだ。
薄くピンクがかった白い毛並みは艶々と煌めきなめらかで、触れていてとても気持ちが良い。
赤い瞳はどこか物憂げな夕陽のようにも見えて、透明感あるその色合いがより一層の愛らしさを醸している。
くりんとした大きな瞳となめらかな毛並みに相応しい整った顔立ちは、まるでというよりもまんま人間そのものだ。
見た目はうさぎよりも人間に近い、人の子にうさぎの耳としっぽが付いているようなその存在。
仔うさぎの外見はどうしてだかモリアーティ家末弟のルイスにそっくりだった。
「おはようございます、僕。よく眠れましたか?」
「はい!おはようございます、ぼく」
「さぁ早く着替えてしまいましょう。兄さんと兄様が起きる前に食事の支度をしなければいけませんから」
もぞもぞと毛布の中から出てきた仔うさぎはルイスと全く同じ色の髪に寝癖を付けている。
ルイスはその癖を直すように軽く指で触れ、同じく自分の髪にも触れて同じく跳ねているであろう部分を手櫛で梳く。
少し前は触った感触が全く同じであることに驚いたけれど、今ではもう慣れたものだ。
髪に限らず、赤い瞳も長い睫毛も真っ白な頬に残る火傷跡も、何もかもがルイスと仔うさぎは瓜二つである。
成人したルイスと推定三歳の仔うさぎルイス。
違うのは年齢ゆえの幼い容姿と、髪に紛れている白いうさぎの耳とふわふわ丸いしっぽだけなのだ。
仔うさぎの頭の上でぴょこんと動くその耳に触れ、ルイスは不思議な気持ちで着替えを始めた。
「きょうのメニューはなんですか?」
「トマトの冷製スープとマッシュポテトを用意します。君にはデザートのりんごを洗ってもらいましょうか」
「わかりました、ぼく」
うさぎの耳としっぽを付けたルイスそっくりのこの子ども、本人曰く「うさぎ」なのである。
数週間前に突然モリアーティ家に現れたこの仔うさぎは外見だけでなく中身もルイスそのもので、初めて見たときは誰しも己の幻覚かと思ったほどだ。
人の子にうさぎの耳としっぽが付いているだけでもファンタジーだというのに、実在する人間にそっくりという異質な奇跡は、ルイスにとって受け入れがたいものだった。
元々イレギュラーなことにはとんと弱いルイスだ。
得体の知れない存在に恐怖したまま、突然現れた小さなうさぎ人間を容赦なく屋敷の外に締め出そうとした。
だがそんなルイスを止めたのが、ルイスが敬愛してやまないウィリアムとアルバートである。
ルイスを溺愛しているこの二人の兄は、たとえ得体の知れない存在であろうとルイスの姿を模した幼いうさぎを野に放つことなど出来なかったのだ。
緊張して硬くなっている仔うさぎを抱き上げ優しく笑いかけてみせれば、砂糖菓子のようにふわりと甘く顔を綻ばせた。
その顔はルイスが兄によく見せる安心を乗せた表情とよく似ていて、だからこそこの仔うさぎに警戒など必要ないのだとウィリアムとアルバートに知らしめたのだ。
ウィリアムに抱き上げられて嬉しそうに瞳を輝かせてうさぎの耳をぴょこんと動かす姿はあまりに愛らしく、はにかむような隠しきれない笑みはウィリアムだけでなくそばで見ていたアルバートにも多大なる癒しを与えていた。
外見だけでなく中身もルイスにそっくりの仔うさぎは、初対面であるはずのウィリアムとアルバートにとても懐いている。
たどたどしい口調で「にいさん、にいさま」と呼ぶ声までもがウィリアムの記憶の中の幼いルイスと同じだったのだから、とても自分達に無関係な存在とは思えない。
君は妖精さんなんだね、という実に非現実的な結論をウィリアムが導き出した末、仔うさぎルイスはモリアーティ家に住まうことになったのである。
「ぼく、もうすぐパンがやけますよ」
「分かりました。保管庫からバターとジャムを用意してもらえますか?」
「りょうかいです」
出会った当初、ウィリアムとアルバートが得体の知れないうさぎ人間の面倒をみると言っていたが、ルイスがそれを突っぱねた。
自分にそっくりとはいえ子どもの姿にうさぎの耳を付けた怪しい存在を、ウィリアムとアルバートに近寄らせるなど出来なかったのである。
兄さんと兄様に害を為すようなことがあればすぐさま捨ててやると意気込みながら、ルイスはウィリアムから自称うさぎを取り上げた。
だが小さな顔で自分を見上げるその仔うさぎはまるで鏡を見ているようで、不気味というよりも妙な親近感が湧いてしまったのだ。
仔うさぎもルイスを嫌がることはなく、よろしくおねがいします、とぽやぽやした空気を振り撒きながら耳を動かすものだから、言い知れない庇護欲がルイスの中に芽生えた。
小さな体は柔らかくて、自分が守ってあげなければすぐに死んでしまいそうなほどに頼りない。
しっかりと頭に付いているのだから似合うも何もないのだろうが、それでも毛艶の良いうさぎの耳は愛らしさを助長するほどよく似合っている。
生まれたときから弟だったルイスにとって、言うなれば初めて守るべき弟が出来たような感覚だ。
そうして初めて自分が兄になったような気持ちを抱いたルイスは、「仕方ありませんね、兄さんと兄様のお役に立てるよう僕が一から十まで教えてさしあげます!」と声高々に宣言したのである。
よく似ているどころか同じ顔をした存在が二人、兄の役に立とうと懸命な姿は当然のように兄の胸を的確に刺す。
可愛らしい仔うさぎルイスを取られて一瞬だけ気を落としたウィリアムは、目の前で繰り広げられる光景を紅い瞳に焼き付けようと瞬き一つしなかった。
それはアルバートも同様で、溺愛しているルイスが彼とそっくりの愛らしいうさぎ姿の幼いルイスと会話を繰り広げる奇跡を、一瞬一秒も見逃さまいと目を見開いていた。
可愛い弟が二人、目の前で仲良くしている。
これこそ楽園だと、ウィリアムとアルバートは互いに目配せをしつつルイスと仔うさぎルイスのやりとりを見守っていた。
「…!たいへんです、ぼく!」
「何ですか?」
「ウィリアムにいさんがこちらにむかっています!」
そうしてルイス自ら面倒を見ることになった仔うさぎルイスだが、外見相当の知能しかない子どもに過ぎないせいか、知らないことと分からないことがたくさんあった。
根本的なところはルイスと同じようで、物覚えは良いし勘も鋭い。
けれど教えられなければ自分から何かを考えることはない。
教育というよりも躾に似た部分も担いながら、ルイスは仔うさぎの面倒をみていった。
だが所詮は子ども、出来ることは限られている。
ナイフも火も使わせるにはまだ早いとウィリアムから指摘されたし、子どもの体力はあるようでないのだからしっかり休息を取らせるようにとアルバートにも言われていた(ついでにルイスもしっかり休むようにと念を押されたのもよく覚えている)
それでいて仔うさぎはルイス同様に働きたがるのだから何もさせないわけにもいかない。
ゆえにルイスは自分がこなす執務の一部を任せることで仔うさぎに仕事を与えていた。
本音を言えば自分で動いた方が早いし楽なのだが、「にいさんとにいさまのおやくにたちたいです」と張り切る姿に絆されてしまい、その結果として一緒に兄のために頑張っているのである。
ともに兄を慕うもの同士、通じるものがあったのだ。
そんな大して役に立たない仔うさぎルイスだが、うさぎであるためか耳がとても良い。
自分が気付くよりも早く兄の足音に反応するところに、ルイスは一定の敬意を払っていた。
「も、もうですか?最近の兄さんは随分と早起きですね」
「どうしましょう、まだパンがやけていません」
「あともう少しなんですが…仕方ありませんね。僕、行ってきてくれますか?」
「まかせてください、ぼく!」
近頃のウィリアムは徹夜をしているわけでもないのに早く起きる日が続いている。
その理由を知っているのはウィリアム以外ではアルバートだけなので、ルイスも仔うさぎルイスも知ることはない。
オーブンの中のパンの焼け具合を見たルイスは、自分を見上げる仔うさぎルイスの白い耳を撫でて背中を押した。
パンが焼けるまで食卓で待たせるのは段取りの悪さを表しているようであまり好ましくない。
大して役に立たない仔うさぎルイスはこういうときの足止め役としてぴったりだったのだ。
「ウィリアムにいさん!」
「おはよう、うさぎさん。今朝も元気いっぱいだね」
「はい!あの、このほんでよんでほしいところがあるのですが」
「どれどれ…あぁ、ここかな。いいよ、リビングへ行こうか」
「ありがとうございます」
走って厨房から出て行った仔うさぎルイスは、こんなときのために厨房に置いてある本を手にウィリアムに突撃していった。
ぴょこぴょこ動くうさぎの耳とふわふわのしっぽが揺れていて、見ているだけでウィリアムの心はとても癒される。
小さなこの子が自分を足止めする様子があまりに可愛くずっと見ていたいからこそ、最近のウィリアムは早起きなのだ。
懸命にルイスの役に立とうとする姿も、足止めと称して自分に構ってもらおうとする姿も、どちらの側面も大層可愛らしい。
ウィリアムは小さなうさぎを抱き上げて、厨房からこちらを覗いているルイスに軽く目配せをしてからリビングへと向かっていった。
「…あれは多分、バレていますね」
「何がバレているのかな」
「っ!?に、兄様!?」
「おはよう、ルイス。いい匂いだね」
「あ…おはようございます、アルバート兄様」
突然かけられた声に驚いて振り返れば、見慣れた優雅な笑みを浮かべたアルバートがルイスを見ている。
促されるままオーブンから程よく焼き目のついたパンを取り出し、ルイスは改めて彼を見上げて笑みを浮かべた。
香ばしい匂いには食欲がそそられることだろう。
アルバートはルイスの視線の先にいたウィリアムと仔うさぎを見て、実に微笑ましい光景だと一人頷く。
可愛い弟ともう一人の可愛い弟の姿を模したうさぎの妖精(仮)。
遠目から見ても抜群に癒される二人である。
だが当然、今目の前にいるルイスという存在もアルバートにとっては癒しそのものだ。
見目良い姿を目に収めるべく、アルバートは朝から食事の用意をしてくれたルイスを労うように頬を擽る髪を撫でた。
「ウィリアムがうさぎを連れていってしまったようだし、私が残りの準備を手伝おうか」
「いえ、これは僕の仕事です。兄様は座ってお待ちください」
「つれないな、ルイスは」
「兄様のお手を煩わせるわけにはいきませんから」
アルバートの背中を押して食卓の椅子に着くよう促し、ルイスは予め用意しておいたフレッシュジュースを持っていく。
飾りとしてグラスにはりんごを飾り切りした欠片が添えられている。
うさぎの僕が洗ってくれたんですよ、と一言伝えようとしたが言わずとも分かっていたようで、アルバートは真っ先にりんごを手に取り一口かじる。
しゃきしゃきとした歯触りの良い食感を味わいながら仔うさぎの姿を思い浮かべ、アルバートは目の前にいる綺麗な弟の口元に食べかけのりんごを押し付けては優雅に微笑んだ。
反射的に食べてしまったりんごを飲み込みながらルイスは僅かに頬を染めて、二人を呼んできます、と言ってその場を離れていった。
(驚いた、この子ルイスにそっくりだね)
(あぁ、ルイスをそのまま幼くしたような姿だ)
(ですがこの耳…うさぎ、なのでしょうか)
(…!)
(ごめんね、少し触らせてもらうよ)
(は、ぃ)
(…うん、本物の耳だね。うさぎの耳で間違いなさそうだ)
(そうか…怖がることはない、酷いことはしないよ)
(ぁ、の…ぼく、あの)
(……可愛い)
(同感だ、ウィリアム)
(え?あの、兄さん?兄様?)
(こちらにおいで、抱っこさせてもらえるかな?)
(え?あ、えっと…ん)
(…可愛い…!君、子どもの頃のルイスにそっくりだね)
(名前はなんというんだい?)
(なまえ…?…ルイス)
(え、僕と同じ名前ですか?そんな馬鹿な)
(ルイスっていうんだね、可愛いうさぎさん。でも僕のルイスとかぶるから、呼び方は考えないといけないなぁ)