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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

30年戦争14-ハプスブルク再度勝利

2020.09.15 02:09

フランスでは1632年、前年に亡命した母后マリー・ド・メディシスと王弟ガストンに唆されたモンモランシー公が南部から反乱を起こした。リシュリューと一心同体になるしかないルイ13世は、頼みに応じて自ら出陣を宣言。パリ高等法院に諮問して、反乱に与する者を大逆罪とした。

そのかいあってか反乱はあっさり鎮圧。モンモランシー公は捕らえられ、多くの助命嘆願にもかかわらず王は死刑を科した。ルイ13世は、実は死ぬ前に、「国家理性などという口実にひきづられた」とこの処刑を後悔している。まあ説得したのはリシュリューだろう。

欧州動乱を裏で操るリシュリューも、グスタフ・アドルフもヴァレンシュタインも最後のところで成功しない。ヴァレンシュタインの後任司令官は、皇帝嫡男フェルディナンドだった。そして34年、スペイン領下ネーデルランド大公妃イザベラが死去。後任をフェリペ3世3男フェルディナンドが就任した。

両ハプスブルク新鋭がタッグを組んで巻き返しを図り、34年9月6日、ネルトリンゲン会戦でスウェーデンとドイツ新教軍に大勝利を収め、その勢いで、中南部ドイツを皇帝軍は回復。ザクセン侯も和睦し、35年にはプラハ条約が結ばれ、新教を認める代わりに皇帝権が承認された。こうなってはフランスも表に出るしかない。

下はネルトリンゲンの戦い