亀が蓬莱山などの仙山を支えている
http://withinc.kobe-yamate.ac.jp/univ/course/kawakami/episode_36.shtml 【「中国に見る日本文化の源流」-亀と鼈】
10年程前、明日香村の岡で亀形の石造物が見つかった。わたしは、この石造物を最初に見たとき、何かおかしいと感じた。それは、この亀形の石造物が水溜めのデザインに使われているというものの、その背に何も乗っていないという点であった。
亀形の水槽
古代中国、そして古代日本にあっても、亀はものを背に乗せるというモチーフで表現されるからだ。そして、この考え方は、道教にあっても仏教であっても同じようだ。道教や神仙思想では、亀が蓬莱山などの仙山を支えているとされている。この神仙思想の神様である西王母の話の中に、大地が崩れ始めたので、西王母は大亀の足を切り取って、その四隅に足をつけて崩れなくしたという。
仏教でも舎利塔が亀に支えられているとの考えがあるようだ。鑑真和尚が来日の際、暴風雨に遭った。船が沈みそうなので積み荷をすべて海に投げ捨てた。最後には和尚のもっている舎利をも海中に投げた。そして嵐が過ぎ、海が静かになると、亀が舎利を乗せて浮かび上がってきたので、和尚は再び舎利を手に取ることができた。この様子を模して作られたのが、唐招提寺の金亀舎利塔だという。
濾過装置の石造物と亀形
和尚が来日の際にもってきた物の目録にも記されているが、現在寺に存在するのは、鎌倉時代にもとの物を摸して作ったものであるという。この伝説はこの形から作られたものと思われる。
事実、さらに古い白鳳期の寺である大阪府羽曳野市の野中寺には、塔の中心礎石の上面に、亀の形が細刻されている。頭の表現などは明日香村の亀形の石造物そっくりだ。こうした表現の舎利塔は中国にも少し例があるから、塔は亀が背負うものという考え方は古くからあったようだ。
さらにいえば、日本のよく知られた浦島太郎の物語。太郎を背に乗せて竜宮城に連れて行くのも亀である。
井戸と石造物
中国の例を探してみると、墓の前に立てられる石碑を支えるのが亀というのは、決まっているようだ。これは現存するものでは、南朝のものが古い。南京の郊外に行くとかなり見ることができる。
もっと古いものがないかと探してみると、漢代の画像石にあった。神話を描いた中に、車がある。その車輪の代わりになんと亀が車を支えて走っているのである。その横には別の亀が何か荷物を運んでいる。亀は背に何か乗せるという形で表現されるのは漢代以前からあるようだ。
明日香村には「亀石」がある。あれは何も乗せていないではないかといわれるかもしれない。しかし、わたしはあの亀石はもともと、橘寺の塔心礎として作られたが、石がひび割れなどを起こしたため、途中で加工をやめてしまった未完成品だと思っている。
さて、岡の亀形石造物であるが、これには背負うという表現がまったくないので、亀とは考えられない。おそらく鼈(べつ=スッポン)であろう。現在日本人は亀族の中にスッポンがあると考えるが、古代中国では亀と鼈はまったく別の動物と考えられていたのである。
今回の場所は水神を祭ったと思われる。水神は河伯(かはく)であり、河伯の家来が鼈であるということから、この亀形の石造物のモチーフは鼈とする方がいい。鼈だとすれば、水にかかわる伝説がある。中国の星座の中に鼈の星座があり、これが天の川(銀河)の上にあるときは、地上は平安だが、天の川から鼈の星座がいなくなると地上の河川は氾濫をおこすという。つまり、天空の鼈は地上の水をも支配しているということだ。石敷きの部分を天の川に見立てれば、そこの上に鼈がいるという形になるのかもしれない…。少し考え過ぎだろうか。
今回の遺構はおそらく天皇が水神(河伯)から水をいただくという儀式を行った場所であろ