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一号館一○一教室

パク・チャヌク監督『JSA』

2020.09.15 06:13

「兄貴、南に来ないか?」
それは永遠に夢物語のセリフなのか


219時限目◎映画



堀間ロクなな


 パク・チャヌク監督の映画『JSA』(2000年)と出会ったのは、もう20年近く前、ある韓国人の女子留学生に教えられたのがきっかけだった。わざわざ、発売されたばかりの日本版のDVDをプレゼントしてくれたのだ。ひとりでも多くのひとに観てもらいたいからと、自分が通う大学の講堂を借りて上映会を催したこともあるそうで、キャンパスの日本人学生を呼び込んでプレーヤーをONにしたところスクリーンに、このビデオは家庭内の視聴にかぎって許可されており、一般向けの上映や放送は固く禁じられている、との警告文が表示されてびっくりしたとか。あっけらかんとした高笑いを思い出す。



 韓国内では空前の大ヒットを記録したというこの映画の内容は、はなはだ複雑であるし、ごくごく単純でもある。ざっとこんなふうだ。韓国と北朝鮮の境界をなす北緯38度線上の板門店には共同警備区域(JSA)が設置され、昼間は双方の警備兵が向かい合い、夜間は「帰らずの橋」を挟んで南北の歩哨所に2人ずつが詰めることになっていた。冬期には厳しい寒さと緊張感のせいで空気も凍りつくような状況の下、ある夜、北の歩哨所で突如銃声が轟き、それを機に双方の警備隊のあいだで銃撃戦がはじまる。そのとき、橋の上を北側から南側へとよろめいてやってくる韓国軍兵長イ・スヒョク(イ・ビョンホン)の姿があり、ひとまず事態が収束したあとには、発端となった北の歩哨所で負傷した朝鮮人民軍中士オ・ギョンピル(ソン・ガンホ)と、ふたつの死体が見つかった。



 一体、何が起きたのか? その謎を解明するため、中立国監視委員会のスイス軍法務科将校のソフィー・チャン(イ・ヨンエ)が捜査にあたり、南北双方の妨害工作にもかかわらず、やがて思いもよらない真相が明らかになっていく……。実は、事件をさかのぼること数か月前に、夜間の演習中にスヒョクが誤って地雷を踏みかけて身動きできなくなったのを、偶然行き会ったギョンピルに助けられたことから「兄貴」と呼んで慕い、やがて折に触れて北の歩哨所で双方の兵士4人が集まって歓談するようになった。煙草をふかしながらのおしゃべりは他愛ないもので、おたがいの軍務の愚痴であったり、相手の昇進への祝辞であったり、ときには子どものようにゲームに興じたり、アメリカのヌード雑誌を前にしてはしゃいだり……。そんなある夜、スヒョクが持参したチョコパイをむさぼり食うギョンピルとのあいだで、こんな会話が交わされる。



 「兄貴、南に来ないか? チョコパイたらふく食えるぜ」

 「一度だけ言うからよく聞いておけ。おれの夢は、いつか北朝鮮が南より美味い菓子をつくることなんだ。わかるか?」



 まさしく、わたしがこの映画の内容を複雑にして単純と評したゆえんだ。深遠な政治の闇の広がりを背景にして、兄弟喧嘩まがいのじゃれあいが演じられるという、こんなシーンをいまの韓国以外のどこがつくりだせるだろうか? むろん、のどかな友だちごっこが長続きするわけもなく、結局、メンバーのひとりの誕生日を祝っていつもよりほんの少し羽目を外し、記念の集合写真を撮り、おたがいの実家の住所を交換しあったところで、北朝鮮の他の警備兵に発見されて、満天の星の下、双方の銃口が火を吹いて凄惨な訣別を迎えたのである。



 韓国人の女子留学生の述懐によれば、自分たちは物心ついたころから「われらの願いは統一、夢にも願いは統一」と歌いながら、その一方で北朝鮮は恐ろしい国だと教え込まれてきたという。小学校では毎年6月25日(朝鮮戦争勃発の日)が近づくと、教室で反共ポスターを描かされて、だれに言われるまでもなく朝鮮半島をふたつに分け、北は赤色、南は青色を塗りつける。そのうえ、北には角を生やして槍をかまえた悪魔の絵まで加えたという彼女にとって、同世代の南北の兵士たちによる友情のドラマはあまりにもショッキングだった。果たして、これは永遠の夢物語なのだろうか? と反芻しながら、まわりの日本人にも問いかけたかったのだという。でもね、男子学生ったら美人のイ・ヨンエにしか興味がないみたい、とふたたび高笑いしたのだった。



 この映画がつくられてから韓国では5人の大統領が登場したけれど、南北関係に根本的な変化は起きていないように見られる。もとより、人間の思惑が引いた境界線を人間の思惑で変更することは至難の業なのに違いない。むしろ、このところの新型コロナウイルスや相次ぐ大型台風といった「自然の猛威」が朝鮮半島の地政学を左右する可能性のほうが高いように思うが、どうだろうか。いまは母国にあって社会人として家庭人として生活を営みながら、きっと日々高笑いしているはずの彼女に、できることなら意見を聞いてみたいものだ。