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星の下

2020.09.16 08:11

Facebook・船木 威徳さん投稿記事 【反PPK派】

いま改めて、私はPPK(ピンピンコロリ)反対派と言うことを言っておきます。

反対、というより、FFK(深く触れ合ってコロリ)を理想としています。

人間の地上の命が消える最後の時間をともに過ごす人たちが、その命から学ぶものはとてつもなく、大きく豊かなもの。「世話をかけたくない」「若い人の負担になりたくない」そんな声をよく聴きますが、何百人もの命が去りゆく姿をそばで見てきた私からすれば、みんな、格好つけすぎ。

どんなに「平凡な」人生だったと振り返る人たちからも、私はあまりにもたくさんのことを学ばせていただきました。

最後の最後、声が出せなくて、涙目で唇を動かすだけになった人たちが、何を伝えようとしているか深く深く、話を聴きとろうとするならそのごく一部だとしてもきっとわかるはず。

感染症だの、マスクだの言うよりはるかに大切なことが、人と人の間にはあるはずです。

集まることをやめてはいけない。声にならなくても、話すことをやめてはいけない。

何より、弱っている人の声を聴くことをあきらめてはいけない。

人間が、人間らしくあり続けるためには「深く触れ合う」ことを避けるわけには

いかないのです。

そして、人生最後の時間に「深く触れ合う」ことに満足できた人こそ、「コロリ」と、亡くなっていけるものだと、私は、いつも感じています。

〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり

6年前 この日の思い出を見る 船木 威徳 2014年9月15日 ·

 【 ほんとに『PPK』が理想か? 】

誰が言い出したのかは知らないけど、「PPK(ピンピンコロリ)」という、理想の生き方・死に方を表すという言葉がある。

Wikipediaを見ると、「ピンピンコロリとは、病気に苦しむことなく、元気に長生きし、病まずにコロリと死のうという意味の標語。略してPPKとも言う。」

と、書いてあるし、役所関係や、介護、福祉の研究論文などをいろいろと読んでいても、いまだに「理想の生きざま」みたいな疑いを挟む余地のない理想のように扱われていることが多い。私は、ずっと、この「PPK」に違和感を感じている。

確かに、だれの世話にもならず、見た目は大きな身体的な障害もなく、自分のことを、最後まで、一人でできて、「コロッと」苦しまずに死ぬ・・・。いいのかもしれない。

60代、70代の人たちは、そのほとんどが(例外はもちろんあるけど)「死にたくない。ねたきりになりたくない。あと、10年は生きたい」と言う。

そして、80代から90代になると「とにかく、迷惑をかけたくない」「苦しまないで、さっさと死にたい」ということを、よく言ってくる。

どちらも、本音だろうし、本音ではないかもしれない。

というのは、私は、「人に迷惑をかけないで」生きるなんて、不可能なことだと考えているから。

言い方を換えると、『人間が、人間と関わらずに、その関係を希薄にするほど、人間ではなくなる、すなわち、生きられなくなる』と、信じているから。

人間が、親子だったり、親戚や近所だったり、役所や、医療・福祉サービスだったり、

なんらかの関わりを持って、生活するのは、「サービス提供者→高齢者」への一方通行の価値や、サービスの提供があるだけ、と考えている人が多いように感じるけれど、それは間違いだと思う。

別に、医療や介護といった、直接、体にさわる仕事だけではなく、この世の人と人との関わりは、価値の交換、影響の与えあい、である。

歳がいって、体が弱り、誰かの「世話になる」のは人が生きていく上で当たり前の、いや、なくてはならない「関わり合い、影響のし合い」の、大事なチャンス。

そう考えると、PPKというのは、他者との関わり合いの機会を、自ら避け、こっそり、静かに、ひとりぼっちで、最後へ向かってゆくイメージがぬぐえずに、違和感を感じるのかもしれない。

京都大学元総長の平澤興先生がこんなことを言っている。

『60歳で一応還暦という人生の関所を過ぎ70歳で新しい人生を開き

0歳でまた第3の人生が始まり90歳まで生きないと本当に人生は分からない』

世の、人生の先輩たちには、家に、ご自分の部屋に隠れていないで、どんどん、外に出てきて欲しいし、私たち、後輩に「大事な影響を」与えて欲しいと、そう思う。

歩けなくても、少々ぼけても、外に出てきて欲しい。

そして、当たり前に、年代を超えた、世話を掛け合い、お互いに図太く、生きて欲しいし、自分もそう生きたい。

そして、最後の最後は、「コロリ」のKではなく、互いの「感謝」のKにしたい・・・。

日頃、多くのご高齢の先輩たちを見ていて、敬老の日に、伝えたいことを書きました。


Facebook・三浦 直樹さん投稿記事

昨日、たくさんのお子ちゃまと触れ合い、小児科時代を思い出しました。

いつも患者さんにお話しする事

私は小児科医時代にN ICU(新生児集中治療室)で働いていました

生まれたくても生まれられない命、生まれて数時間で旅立つ命、生まれてからも大変な命を毎日見続けて来ました

だから、自分が50年以上、生かせていただいていることが奇跡だと思っています

皆さんもこの年齢まで生きてこられたことが奇跡なんですよ、しっかり感謝して、祝福しましょうと

江戸時代の平均寿命は40歳代ですから

せっかくいただいた命、やりたいことをやり切りましょう

病気は罰ゲームではありません。

生きていれば誰でも病気になります

私も二回、死にかけました

ただ、人生は楽しく生きるためにあるので、病気治しだけを人生の目的にしないこと

たとえ病気があっても、年齢を重ねて体力が落ちても、楽しめることはたくさんあります。

自分の置かれた環境の中で、楽しい事を見つけていく

病気があっても、病人にならないという考え方が大切ですね

病気になっても自分はインターネットや医学書に書かれているようなデータには乗らないと決意する事も大切です

医師の余命宣告などを盲信して、頭の中でリフレインしないこと

探せば出来る事があると言う意識を持って下さい

人間は幸せになるために生まれて来た、という言葉がダライ・ラマ14世がいつも語られている言葉です。

ダライ・ラマ14世の講話で、参加者さんが『私、癌なんです』って質問したら、ダライ・ラマさんは一言、『だから何?』ってお答えされてました。

病気だからって、辛く悲しく生きる必要はない

病人を演じないことが大切ですね