インタビュー第三弾、中編・岡真理氏『思想としてのパレスチナーポストコロニアルの視点からー』
『Israel/Palestine for me-私にとってのイスラエル/パレスチナ』企画第3弾!
今回は、現代アラブ文学とパレスチナ問題を研究されている岡真理氏にお話を伺いました。1時間半にも及ぶ岡氏へのインタビューを通して私たちが学んだ文学を介したパレスチナ問題への視座、そして弊団体の活動に向けたアドバイス等を3回に分けて紹介しております!
中編である今回は、「文学の本質とは?」という問いからはじまり、岡氏の現在の研究テーマである、「思想としてのパレスチナ」についてご紹介できたらと思います。皆さんもぜひ更なる学びの参考にしてみてください!
*インタビュー内容は、5月9日にZoomでお話を伺ったものになります。
*一部インタビュー内容に注釈も付けさせていただきました。皆様の新たな学びの一助になれば幸いです。
―目次
- 文学の本質とは?―表象でしか描けない「真実」を求めて
- 「思想としてのパレスチナ」
- 表象の多様性
文学の本質とは?―表象でしか描けない「真実」を求めて
―パレスチナの表象のされ方についてなんですけど、カナファーニーの文学だったり、パレスチナ問題を扱ったドキュメンタリーなどもたくさん出てると思うんですけど、どうしても作り手の主観が入ってしまい、リアルを描き切れないことがあると思います。作り手として、気をつけるべきことというか、注意すべき点はどういうところにあると思いますか。
それってジャーナリズム全般にも言えることですよね。ジャーナリズムも含めて、主観、つまり作り手の価値観無くして成立するものはあり得ない。文学の場合、フィクションとは「虚構」ということですが、でも、虚構でしか描けない真実があると思います。文学とは、まさにそこに懸けているのだと思う。全てが、ジャーナリズムのように事実を事実として表現できるんだったら、人間はフィクションを必要としないはずです。なぜ虚構が必要かといえば、虚構の形でしか描けない真実があるから。逆に言うと、真実というのは虚構でしか描けないのかもしれない。
―岡さんは文学という虚構の中からパレスチナ問題の真実を描き出そうとしているという理解で良いですか?
うーん。虚構と言うとフィクションしか入らなくなっちゃうから、ドキュメンタリーとかいろんな映画とかあるわけで、だから虚構と言うより「表象」という言葉を使ったほうがいいかなと。そもそも私たちが他者の経験を分有するには、表象を介してしかないわけですよね。誰か自分以外の人が経験した出来事というものをシェアする、分有するためにはそれが表象されなければ、それに触れることができないわけだから。その表象のあり方、例えばマスメディアによる報道も表象だし、いろんな形があり得るわけだけれども、私の場合はそれが広い意味での文学、文学的な表象ということになりますね。
「思想としてのパレスチナ」
―以前に早尾さんの話を伺った時に、早尾さんはユダヤ人の哲学者に注目して、その思想が形成された経緯について研究しているとのことでした。そして、彼/彼女らが生きてきた時代性や地域性、経験やバックグランドが哲学の中に反映されている、とおっしゃっていました。そうしたアプローチと比較/対照したとき、岡さんのいう文学を介してパレスチナ問題について考える、とはどういったものなのでしょうか?
そうですね。早尾さんの関心のレベルだとハンナ・アーレントとか思想哲学界のさまざまな固有名が出てくるわけですが、それに対して私の関心のありようはむしろ対極にあるんだと思います。
私自身のパレスチナ問題への取り組みは「思想としてのパレスチナ」というふうに呼んでいます。私のアプローチは表象を通して、ということになるんだけれども、私が興味があるのは作家が描くことによって初めて、私たちがその生に触れることができるような、パレスチナ人によって生きられた「生」の経験です。
思想家や哲学者が、パレスチナ問題についてこのような思想を紡いでいる、ということよりも――もちろん思想を紡ぐという営為は、その人自身がどのように生きてきたかという、その人自身の経験だけでなく、その人の帰属する集団、民族とか歴史的経験があった上で、その人の思想が紡がれるわけだけれども――、私がなぜ、小説に関心があるかというと、小説には知識人自らが理論だてて対象化して、言説化したサバルタン(1)の「生」が書き込まれています。その人たちの「生」に触れて、それを通じてパレスチナ問題とは何なのかということを考え、それを日本の人たちに伝えたい、という思いが私にはあります。彼/彼女らの生きられた経験がどういうものであるのか、それを表象するのはやはり知識人になってしまう。
―でもその表象している対象っていうのは、紛争を経験したパレスチナ人であり、その紛争をどういう風に生き残ってきたかっていう…
そうですね。私はそれを「生」という風に呼んでおります。
―先ほど、「子供の時から中東、特にパレスチナ/イスラエルがらみで起きた出来事が、ものすごく記憶に残ってる」とおっしゃっていました(2)。僕の中ですごく印象に残っているのは、パレスチナ問題の文脈ではないのですが、トランプ氏が選挙で勝って以来「ポスト真実」(3)という言葉が盛んに使われるようになったことです。そこから、実際に彼/女らがどのように世界を知覚し、経験しているのか、その主観的に形成された世界観を垣間見るのも大切なのではないか、と考えるようになったのですがその点についてはどう思われますか。
でもその生きられた経験って必ずしも主観だけの話ではないんですよね。すべてが主観に還元されてしまうと客観的な構造というものが、不問に付されてしまう危険性っていうのもありますよね。例えば、歴史の解釈っていうのは無数にあるんだというような形で。全てが個々人の主観的な解釈に委ねられてしまったら、侵略する/されるというような、明らかに客観的な事実としてある構造的なものが見えなくされてしまう。
―生の経験を語る、そして、世に出すのは知識人になってしまうというお話がありました。その場合、パレスチナやそういう地域に生きる人ってどうしても語るのも難しい凄惨な経験をしている人も多いと思うのですが、あまりにも辛い経験のために口を閉ざしてしまって無かったことにされてしまう「生」の真実というのもあると思います。そのようなものを暴くことも私は一種の暴力だと感じてしまうのですが、語ってもらう以外に私たちに真実を知る方法はないとも思います。どうすれば良いのでしょうか。
2年前に『ガザに地下鉄が走る日』というパレスチナ問題に関する本を出したのですが、そこで、そのことにも触れています。サブラ・シャティーラの虐殺に関してね。ぜひ読んでいただきたいです。
でも、だからこそ文学が必要なんですよね。だからこそ、虚構で描くことが必要。あることが言葉にならない、語りたくないということと、でもこの出来事があったということを世界に知ってほしい、歴史に記録してほしいと願うことは、決して背反することでも、二者択一のことでもない。知られないかぎり不正は繰り返される、だから、世界に知ってほしい、それを正してほしいという思いと、でも自分の身に起きたことを語るにはあまりに辛すぎるっていう感情。それは全然矛盾しないと思います。
もう一つは、人間も変わるということ。サブラ・シャティーラの虐殺(4)が起きたのが82年で、数年たっても遺族は、それについて語れない。ところが、20年後になると、かつて語れなかった人が現地を案内して、「ここで夫が、、、息子が、、、殺された」と言ったりする。だから、犠牲者、被害者は語れない、と決めつけるというのも、ある種私たちが被害者を固定化して、語れない犠牲者という型に固めてしまう部分もあると思います。
語るのは本当に辛い、しんどい。それでも、虐殺から20年後のサブラ・シャティーラに行ったとき、証言集会で、泣き崩れて全く証言できなかった人もいるし、話していて突然、「こんなこと話して何になるの」と言い出した人もいる。でも、同時に、証言しなければならないと引き受ける者たちもいます。
だから、暴力の問題というのは、そんな一筋縄ではいかないですね。語らせることが暴力である局面もあれば、この不正が世界に全く知られないまま続くということもまた暴力であるっていう。
―注釈
1、サバルタン:歴史から排除された人々を指す言葉。エドワード・サイードと並ぶポストコロニアルの代表的な論者、ガヤトリ・スピヴァックはサバルタンを主体とする歴史を作り上げようとした人物で、代表的な著作に『サバルタンは語ることができるのか』(1998)がある。
2、この点につきましては第1回インタビュー記事をご参照ください。
3、ポスト真実:オックスフォード事典では、「世論の形成に、客観的事実が感情的個人的心情へのアピールほど影響力を持たなくなった環境を表現・指示する」修飾語として定義されている。この言葉の顕在化と共に提起された問題としては「「ポスト真実」とメディア情報リテラシー−米大統領選と偽ニュース問題をめぐって−」(坂本、2017)や「「ポスト真実」の21世紀でヒトはどう進化するのか?」(渡辺、2019)などをご参照ください。
4、サブラ・シャティーラの虐殺(1982):1982年にレバノンの首都ベイルート近郊にあるサブラ難民キャンプで起きたパレスチナ人の虐殺。虐殺は、イスラエル軍のレバノン侵攻とベイルート包囲によってパレスチナ解放機構(PLO)の戦士がベイルートから退去した後、親イスラエルのキリスト教右派民兵がキャンプ地域に入り実行した。犠牲者数は数百人台から3000人台まで、様々な説がある。
表象の多様性
あともう一つ、言葉では語れなくても、被害者はいろんな形で語り、表現している。それを描いているのが、ビョン・ヨンジュ監督の『ナヌムの家』という映画ですね。旧日本軍性奴隷制の被害女性たちがソウル郊外で一緒に共同生活をしている「ナヌムの家」のドキュメンタリーで、彼女たちは知識人が語るような形で自分が経験したことを客観的に語るということはできない。でも、彼女たちが経験したことは、例えば、沈黙で語られていたりする。沈黙をそれとしてすくいとる。表象がなければ、私たちはそれに触れることもできないわけで、いろんな形で語られている「声」をどうすくいとっていくのか。そこに広い意味での文学的表現としての、小説だとか、ドキュメンタリーも含めた映画、というものの可能性があると私は思っています。
―表象の形って多様なんですね。(井口)
そうですね。
―今までに講演会に行ったり、実際に現地を訪れたりして、その中でもガザ地区出身のペインターたちが自分たちの日常空間を絵で表現していたりとか、あとベツレヘムの難民キャンプ出身の人たちが、グループを作って、ラップという形で、音楽っていう形で、自分たちの望みや訴えなどを表象してて。そういう意味で、「語る」ということの多様性はすごく感じましたね。(高柳)
そうですね。今高柳くんが例にあげてくれた絵とか、ラップっていうのは一つの表現ジャンルとして既に確立されていますが、それをできる人とできない人がいますよね。例えば、高齢の女性たちはラップなんてできないし、絵で表現するというのも、必ずしも美術的な教育が必要というわけではないけれど、やっぱりセンスとかないと描けないし、画材を揃えるだけの購買力のある人でないとできないですよね。
じゃあそうした既存の表現ジャンルというものを、いろんな理由でできない人たちは、どうやって表現しているのか。それを描いているのが、ミシェル・クレイフィ、イスラエルのガリラヤ地方出身のパレスチナ人監督の、『豊穣な記憶』というドキュメンタリー映画です。
この作品は、ヨルダン川西岸出身の女性作家と、初老の工場労働者のイスラエル在住のパレスチナ人女性という、2人の非常に対照的な女性を主人公にしていています。作家は自分の思いを自分の言葉で表象できるわけですね。一方工場労働者の女性は、どうやって自己の思いを表現するのか。それは例えば、子守唄であるとか、お菓子作りであるとか。それから、ことわざとかね。別に自己をお菓子作りによって表現しようと思ってやってるわけではなくって。そこに女性たちの生が表現されているんだ、というふうに見てとる。それは知識人が映像化して初めて見えてくるわけだけれども。そういうのも表現なんですよね。
聞き手:高柳、井口
―注釈
5、ナヌムの家:元従軍慰安婦の女性たちが暮らす生活の場(Dialogue for People、2019)。映画、『ナヌムの家』は、家事をし、デモに出かけ、戦時中の体験をぶっきらぼうに、時にはつぶやくように語り、歌い踊りながら支えあう彼女たちの日常生活を映し出す、ドキュメンタリー。
まとめ
表象のあり方は多様であり、私たちが真実を伝える・知る方法は、「直接語る」という行為だけが唯一の方法ではないことを学びました。パレスチナ問題に限った話ではないですが、歴史の中で今まで語ることができなかった人々の「生」をどのように表象し、また、そうした表象から何をどのように感受していくべきかを考えていかなければならないのだと思います。
次回は本インタビューの最終回です!ぜひ、最後までお楽しみください。