誰とも縁が無い人
若い頃は結婚や恋愛には「容姿の良さ」が必要だと思っていた私ですが(必要というよりも容姿の良さのみだと思っていた)それは違うという事に気付きました。
では何が必要なのかと言うと、多分「縁」なんじゃないのかなあ。
それ言っちゃおしまいよ。みたいな話だけどさ(笑)
縁があれば縁のある相手と例え一時的にでも結ばれるんだと思う。
だけど、誰とも縁の無い人も存在する。私はまさしくそれで、自分が親しくしている知人たちも割と誰とも縁の無い人が沢山いる。類は友を呼ぶから自分の周囲もそんな人が多いんですかね(笑)
誰とも縁が無いという事は、自分一人で全て完結できる人なのだと私は勝手に結論付けている。
他人との縁を築いて、その関係性を通して人として成長する必要の無い人なんだと思っている。
未熟なままでも許されるというか、未熟なままでいるべきというか、大体そんな人。
そして、一人でも生きていける人なんだと思う。
私も周囲の人々も何だかんだと一人で生きていけるだろう。
決して生活力があるわけではない。
みんな低所得の派遣一般職。単純作業しか出来ないと言い切って自分で挑戦と成長の機会を放棄しているし、モチベーションもゼロ。
稼ぎ力は全く無いけれど子供部屋はあるし、自分の稼げる範囲内で楽しみを見つけるのが上手な人が多いように見える。
子供部屋で何十年も暮らしてきただけあってみんなかなりの額の貯金がある。
もちろんこの先は親が病気になるとか痴呆になるとか困難もあるだろうけど、だけどそれでも一生独りでも安泰だろう。
私も、あまり自分を孤独だとは思っていない、寂しさも大して感じないし、むしろ独りが当たり前だと思っていたせいか、誰とも交際出来ない現実を情けないなあとは思うけれど、そういう星の下に生まれたのだから仕方が無い位にさらっと流せている気がする。
もちろんここまで割り切れるようになるまでにはかなりの葛藤があったのだけど・・・
これも「年の功」ってやつなんですかね(違うかw)
独りには独りの楽しみや利点がきっとあるはずだから、残りの人生はそれを見つける作業だと思って生きる事にする。
宝探しですね。宝物を探そうという気が無かったら絶対に何も見つからないもの。
アンテナをチューニングしてちゃんと宝物を発見出来るようにレーダーを磨く、レンズを新調してどんなに小さなものでも見落とすことなく。
楽しい事を一つでも多く拾って、集めて、他人の価値観とは全く違うけれど、「これが私の幸せなんだ」って思えるような日々を送れるようになりたいです。
何か楽しい事、幸せな事、自分だけにしか見つけられないような宝物を発掘したらこのブログでもご報告したいと思います。
見えると思ったら見えるし、何も無いと思ったら何も無いのだ。
全ては自分の捉え方次第で変わる。同じ場所に同じように立っているのに視界が変わる。ちゃんと目を見開いて、楽しみを見つけて行こうと思います。
本日もご訪問頂きありがとうございました!
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