自我の傲慢さと支配欲求が消えていく~パートナーとの赦し~ 2020.09.19 03:17 目覚めを共に意志しているパートナー・スワミジと聖霊からのガイダンスを受け取り、日々、共同作業をしたり起こってくる自我の思考・感情も正直にシェアするという事をしています。この様な実践をしていなければ、そのシェアの内容は、攻撃、怒り、悲しみ、恐れなどの思考・感情も起こってくるので、攻撃しあうために言ってるのか……と激しいぶつかり合いになりそれに我慢できなくて離れてゆくたいう事が起こってもおかしくないのですが、私達のすることは、どの様なネガティブな思考・感情が出てきても、それは相手の本当の姿ではなく消えるためのものであり、その奥の真実で在る「神の子」として見る…というレッスンになっています。そして、ここ数日のパートナーとのやり取りで、くっきりと見えたのが自我の「傲慢さ」と「支配欲求」でした。それは、自我の分離を信じるための心の中でしている、「真理の否定」であり、「神・聖霊を除外し、真理を歪めて見る」目的のために神の上に立ちたいという自我の欲求がくっきりと見えます。………………自我とは神の父になりたいという神の子の、願望から作り出されたものである。奇跡講座テキスト第11章、序文2………………そして、そのまたその自我の「傲慢さ」と「支配欲求」を深くを見つめると、神の愛を信じていないし、神を強烈に恐れています。……………ベールの向こうに横たわっているものを永久に忘却の彼方に抹消するという、自我との間で交わされた秘密の取引である。ここにあるのは、融合があなたを分離の外へと呼び出すことを決して容認しないという、あなたの約束である。それは神の記憶が全く忘れ去られたかに見える重度の記憶喪失であり、あなたの自己をあなたから隔てる深い亀裂、すなわちあなたの解離における最後のステップをなす神への恐れである。奇跡講座テキスト19章、P548……………ですから、自我は分離した「私」が無だったとの自覚が戻ることを強烈に恐れています。ですから、真実の記憶を心の奥にしまいこみ、それに気付かないように外側の兄弟を利用して、優越感や劣等感に浸ろうとしたり優位に立つことで「私」の価値を見いだそうとしたり愛とは、「私」の求めるものを与えてくれることだと思ったりその反対に、相手が求めるものを「私」が与えないと愛してもらえないと思ったりと、自我の間違った信念を掴むことによって真実を見えなくしています。この様な心の動きに気付き、自我の「傲慢さ」と「支配欲求」を掴んでいたのだと気付けたので、もうこの自我の誤った信念を掴むのは辞めます…と光に捧げることが出来ました。心が聖霊と共に在るときは、神(源)の愛の中で生かされているのだと感謝で頭を垂れる思いという謙虚さが自然に出てくることに気付くのですが、自我と同一化している時は、神の上に立ちたいという支配欲求と傲慢さ、「私」がやっているという(恐れながらにして)勝利の旗をあげているという感覚に何度も気付かされます。そして、昨日はパートナーを通して、この心の動きが明確に見えてそれが確実に消えていくのを実感しました。そして、聖霊は自我の分離という誤った信念を訂正するために、完璧に導いて下さっているのだと改めて感謝いたしました。そして、つねに共に向き合い「私は何者か?」を分かち合って下さっているパートナーにも心より感謝いたします。