永遠に生きるかのように
『新宿の母』ならぬ、上野駅から(不忍池沿い)繁華街に向かう歩道上に『上野の父』という占い師さんが居るのをご存じの方はいるでしょうか。(←何の話題だ)😅
今から15年程も前の事、故郷から東京都内に数日間だけ遊びに来ていた私の大親友を連れ立って、当時小学校5年生の長女と保育園児だった亡き子(次女)と4人で食事したあと、駅周辺を散策しているときに目にした看板行灯が『上野の父』でした。
飲食後の酔いも手伝い、なんだか盛り上がり…その場のノリで子供たちも含め手相をみてもらいまして、そのときの占いで言われたことを、今になってよく思い出すのです。
長女⇒『先生』と呼ばれるような、指導者的立場に向かう相が出ている。
(現在大学卒業後都内勤務しながらノベル作家を目指している)
次女⇒思春期に反抗期とは違うが、なにかとんでもない事になりそうな相が出ている。よほど注意して見ていてあげて………との助言も。
(2017年に14歳で自死)
親友⇒『うーん………』(←言葉に詰まる上野の父)恋愛運を占ってという親友に対し、差し障りのないことを語る。
(2012年病死)
私⇒あなたはひたすら学ぶことの多い人生、生涯通して学ぶべきことがこの先もずっと続く相。
(そして現在に至る)
私は占いにハマるようなタイプではないので、こういう路上の手相占いは、酔いに任せた面白半分で初めての体験でしたし、言われたことなどあまり気にも留めなかったのです。
が……、この後に起きてしまった事実を照らし合わせると、かなり当たっているとも思え、今になり気になり出しているだけなのでしょう(^_^;)。
(あの占い師さんは、まだあそこでやっているのかなぁ)
けれど、当たっているとすれば、私に関しては『生涯通して学ぶべきことがこの先もずっと続く相』ということですから………それはどうゆうことなんだろう?と。
とはいえ、これはどの人間にも当てはまることでもありますよね。
ガンジーがのこした名言を思い浮かべます。
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
今更ながらですが、これが今現在、私の座右の銘です。
長い前置きになりました。
今月11日~12日、二日間にわたり、東京の専修大学新館9階と10階で、全国自死遺族連絡会が主催する『日本・ポストベンションカンファレンス』に、スタッフ枠で参加させていただきまして、知らないことを知ることに努め、少しばかり学んできました(^-^)。
テーマもずばり『喪われた“いのち”から学ぶ』でしたからね。
ブログを閲覧してくださる皆様にも、要約したレポートをシェアしたいかと思います。
* * *
この二日間のカンファレンスの中で、個人的に「へぇ~」ボタン10個押しの講演は、『韓国』での自死遺族ポストベンション(事後対応)の取り組み方でした。
新聞やテレビニュースなどでは流れている記事なのかな?
わかりませんが。
演題:海外事情について呉恩恵(オ・ウンへ)さんのお話では、突然自死遺族となった者が心に受けるダメージの大きさから、様々な事や法的手続きで動き回るのが困難である場合もあるので、状態に応じてケースワーカーがつくらしいのです。
また、自死遺族に対して(申請者対象かもしれませんが)日本円にして一人一律30万円ほどの助成金が支給されるということもお話されていました。
どちらの取り組みも、自死遺族の深刻なダメージは日常生活にも支障をきたすということがこれまでの実例で国に理解されたからこそ、可能になったことですよね。
また同時に『宗教系自殺予防指針書』なるものも開発され、代表的な宗教団体に向けて作られたことも、大きな進歩だと感じました。
これは日本国内でも動きがあると思われます。
分科会で、『自死に向き合う僧侶の会』にも参加しまして、宗派の違いを超えて自死問題(自死遺族)に取り組むべきであるとの問題意識から、宗派によっては当事者(自死念慮者の声・自死遺族の声)に実際に耳を傾けながら、改善開発されてきているようです。
自死(自殺)に対する偏見を取り除いていくための一つとして、正しい知識の普及に基づいた防止策が必要となってくると思います。
「自殺者は地獄に落ちる」だの、そういう子供騙しの戒め的な刷り込みではなく、もっと本質的な部分からの救済に繋がる策を定着させるために、新しい取り組みが日本でも少しずつ確実に進むようにと願って止みません。
微力ですが、自死遺族当事者として出来る範囲で協力していきたいなと考えましたし、永遠に生きるかのように(^_^;)まだまだ知ること学ぶことも多いなぁと心底思わされるカンファレンスでした。
私にとって、こうした活動に関わることは、自死で他界した娘に関わることでもあり、自分はこの世に居ながら一緒に生きていると思える大切な時間なのだなぁとも、あらためて思いました。
◆自死遺族の集い