「宇田川源流 日本万歳!」 賛否両論はあるけれども靖国神社という存在とそこにあいさつに行く歴史的意義について
「宇田川源流 日本万歳!」 賛否両論はあるけれども靖国神社という存在とそこにあいさつに行く歴史的意義について
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。
今週は月曜日が「敬老の日」であり、お年寄りを敬うための日であるということになっている。
敬老の日の歴史はそんなに古くはない。ウィキペディアなどによると、兵庫県多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、1947年(昭和22年)9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされる。
これは、野間谷村の村長であった門脇政夫(1911年 - 2010年)が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開いたもので9月15日という日取りは、農閑期にあたり気候も良い9月中旬ということで決められた。敬老の日(9月15日)が祝日になったのは、1966年(昭和41年)であるというので、そんなに古くはないのである。
さて、なぜ敬老の日はそんなに古くから無かったのであろうか。それは「敬老の日」ということをわざわざ置かなくても、老人を敬うということは日常的に当たり前であったからということになる。逆に老人を敬うことはないなどの話ではないのである。
国によっては、古いものをほとんど全て壊してしまうというような国もある(どことは言わないが)しかし、日本は古いものに関しては非常に大事にする文化があり、また、その文化を体系化して儒教道徳がしっかりと江戸時代に根付いているのである。
このことは「もの」に関しても「人」に関しても「出来事」に関しても同じであり、その古い者から必ず何かを感じ、または何かを学び取るということをしているのが大きな特徴である。
人やモノや出来事だけではなく、実際のところは「言い伝え」「伝承」「民話」なども非常に大事にする文化があり、3・11などの時には「てんでんこ」などが話題になった時も「伝承」の重要性が問題になったのである。
さて、では「神社への参拝」というのはどうなのであろうか。
安倍前首相靖国参拝 菅政権への「負荷」避け時期を判断
「平成25年12月、第2次安倍政権がスタートして1年で靖国神社のご英霊に報告に行ったので、きょうはご英霊に、政権を終えて退任したと報告した」
安倍晋三前首相は19日、周囲にこう語った。
持病悪化で辞任を決める前の8月上旬には、在任中に靖国を参拝するかについてこう意欲を示していた。
「それは、もちろん考えなければならない」
それが結局、退任後の参拝となったのはなぜか。安倍氏は退陣表明後の9月上旬には、在任中の靖国参拝を勧められても首を縦に振らず、こう述べた。
「ここで私が行くと、次の(菅義偉)政権に負荷をかけることになる。それに退任直前に行くと、それは(英霊の追悼目的よりも)かなり自分自身のためということになる」
日本の領土内にある靖国神社に、外国から「行くな」と言われて日本の首相が参拝できないのはおかしい。戦没者の慰霊、鎮魂はリーダーの責務だという考えは、もともと安倍氏の持論であり信念だった。
日本と戦争をしていないにもかかわらず中国に便乗して靖国参拝に反発する韓国はともかく、中国要人に対しても安倍氏は直接、参拝の意義や目的などを説明し、議論してきた。
靖国参拝を毎年続けた小泉純一郎政権で自民党幹事長を務めていたころには、中国の王毅駐日大使(現外相)と激論を交わして言い負かし、最後には王氏がこんな捨てゼリフを残して去ったこともある。
「(中国の反発は)理屈じゃないんですよ…」
だが、首相の靖国参拝が国際社会で、実際に政治問題化してきたのも事実だ。25年の参拝時には、中国や韓国だけでなく米オバマ政権もこれを強く批判し、駐日大使館を通し日本に対し「失望」を表明している。
そのとき、米政府による失望表明を主導したのが現在、米大統領選の民主党候補であるバイデン前副大統領だという事情もある。
安倍氏は今回、自分が在任中に参拝することで、余波を菅政権が被ったり、外交上の手足を縛られたりするような事態は、避けなければならないと判断した。(阿比留瑠比)
2020年9月19日 22時8分 産経新聞
https://news.livedoor.com/article/detail/18925900/
「靖国神社」というのは、もともとは「招魂社」という。戊辰戦争終戦後の慶応4年旧暦6月2日(1868年7月21日)に、東征大総督有栖川宮熾仁親王が戦没した官軍(朝廷方)将校の招魂祭を江戸城西丸広間において斎行していた。その後、旧暦5月10日(6月29日)に太政官布告で京都東山(現京都市東山区)に戦死者を祀ることが命ぜられたり(現京都霊山護国神社)、同旧暦7月10(8月27日)・11(8月28日)の両日には京都の河東操錬場において神祇官による嘉永6年(1853年)以降の戦没者・殉死者を慰霊する祭典が行われる等、幕末維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが活発になった。そのような中、大村益次郎が東京に招魂社を創建することを献策すると、明治天皇の勅許を受けて明治2年旧暦6月12日(1869年7月20日)に現社地での招魂社創建が決定され、同月29日(8月6日)に五辻安仲が勅使として差遣され、時の軍務官知事仁和寺宮嘉彰親王を祭主に戊辰の戦没者3,588柱を合祀鎮祭、東京九段上に「東京招魂社」として創建された。
明治時代まで、当然に宮中における功労者や戦争(古代から様々な戦争があった)における犠牲者を祀ることは少なくなかった。上記のようにもともとは嵯峨などに祀られていたものを、明治天皇が都を東遷したことによって、その施設を招魂社として作ったものである。
明治天皇の裁可を得て1879年(明治12年)6月4日に「靖國神社」への改称と別格官幣社列格の太政官達が発せられ、昭和11年には、「祖国に対する信者のつとめ (Pluries Instanterque[45])」を駐日教皇庁使節パオロ・マレーラ)大司教に宛てて送り、愛国心の表明としての靖国神社参拝が容認される、世界的な施設である。
もちろん靖国神社に関しては、大東亜戦争の戦犯が合祀されているなどの問題があるとされているが、実際に、日本人の歴史において「そのような歴史があったことを尊重し、古いものを大事にする」というようなことの重要性を教えることが何が悪いのかはよくわからない。
単純に、「史的唯物論」を持つ「共産主義者」が「歴史に全く価値を感じない」などのことがあり、また、日本人において日本国憲法は宗教または政治主張の自由があるので、そのような思想があることを否定はしないが、しかし、あまり日本人的な発想ではないと思うことと、同時に、逆に靖国神社を参拝することそのものに関して反対をすることも、心境や政治主張の自由を認めない憲法違反の行為であることを認識すべきである。憲法違反は、そのような過剰反応をすることであり、そのことが全く問題視されないことが大きな問題ではないのか。
さて、今回安倍前首相が退任のあいさつを靖国神社に行った。私個人としては、伊勢神宮など他のところにもいってほしいと思うのであるが、まあ、その辺は象徴的なところを報じたということであろう。
日本は「戦争の経験」があって、現在がある。そのことを否定したり隠したりするのではなく、正面から向き合って、しっかりと考えることが重要ではないか。タブー視をして見えないようにすること自体がおかしいのである。