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郷愁の風景

【宮城県】仙台(仙台市青葉区)

2020.09.28 04:50

仙台は伊達政宗を藩祖とする60万石の城下町。  

しかし、昭和20年7月の仙台空襲で123機ものB29戦闘機により1万発以上もの焼夷弾による絨毯爆撃と高性能爆弾8個が投下され、市街地のほとんどが焼け野原と化したため、古い街並みは全くと言っていいほど残されていない。  

青葉城や当時国宝だった伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」も戦災に見舞われている(現存しているのは戦後再建されたもの)。 

従って、現在の町並みは戦後復興以降にできたものである。 

終戦後、仙台市内には所々に露天商が発生したが、やがてそれらを集めてマーケットを作ろうという動きが生まれた。 

仙台に多くの横丁が存在するのは、そうした流れからである。

(写真は東一市場「三越通り」)


【宮城県】文化横丁(仙台市青葉区)202009  

仙台の繁華街に残る横丁で最古と言われているのが、通称"ブンヨコ"こと「文化横丁」だ。 

起源は大正時代に遡り、映画館「文化キネマ」の脇にあったことからこの呼び名がついた。  

現在の形になったのは戦後になってからで、現在は約50軒もの店舗が細い通りに向き合いながら軒を連ねている。


【宮城県】壱弐参横丁(仙台市青葉区)202009 

文化横丁に隣り合う形で存在する「壱弐参横丁」は、終戦直後に発生した露店商が起源。  

昭和21年にそれらを集結して「中央公設市場」が誕生、人口の急増と共に生活必需品を買い求める客で混雑するようになった。 

周辺には映画館が並び、日常の買い物から娯楽まで揃う繁華街として賑わうようになる。  

衣料品や雑貨などを扱う店が並ぶ「青葉小路」、食料品店や飲食店が並ぶ「松竹小路」と2つの通りから成り立っていたが、歴史と共に業種が混在するようになり、現在のような「壱弐参横丁」になった。

【宮城県】壱弐参横丁(仙台市青葉区)202009 

戦後の露天商を集結して創設した「中央公設市場」が起源の「壱弐参横丁」。  

付近の建物上階から望むと、アーケード商店街「一番丁通り(サンモールアーケード)」から2つの通りが伸び、それらに沿って戸建てや長屋状の店舗が並んでいるのが分かる。 

赤錆びたトタン屋根が所々に見られ、年月の長さを感じさせる。 

広大なパーキングの向こうに伸びているのが「文化横丁」で、人が集まる繁華街に闇市派生の横丁が今なお現役で隣り合うように残っているのは、戦災復興の街・仙台ならではだ。

壱弐参横丁 広大な駐車場から青色のトタン壁と赤錆のトタン屋根が続く光景が見える



【宮城県】東一市場(仙台市青葉区)202009 

仙台三越がある一番町四丁目は仙台の商業の中心地である。 

その基幹デパートである三越の前に、やはり戦後の闇市から派生した飲み屋横丁がある。  

「東一市場」は、昭和21年にバラックからスタートした横丁で、「東一」は商店街である「東一番丁通り」からきている。  

昭和31年にできた鉄筋コンクリート造りのマーケット建築と、三越前に伸びる小路「三越通り」から成り立っている。 

昭和31年に2階建て鉄筋造りの店舗集合建築ができ、そこに一部の露店が入居するようになる。 

内部は「一条通り」「二条通り」と二つの通路でできており、飲食店のみでなく、マーケットの名残で生鮮物の店なども見られる。 

最近は新たな店種も入るようになり、商業中心地という事もあり人通りも途切れることがない。

東一市場外観