『中動態の世界 意思と責任の考古学』by國分功一郎
2020.07.14 11:42
スピノザによれば、自由は必然性と対立しない。むしろ、自らを貫く必然的な法則に基づいて、その本質を十分に表現しつつ行為するとき、われわれは自由であるのだ。ならば、自由であるためには自らを貫く必然的な法則を認識することが求められよう。自分はどのような場合にどのように変状するのか?その認識こそ、われわれが自由に近づく第一歩に他ならない。p.262
善は過剰である。過剰であるがゆえに、それは悪を暴力的に排除する。そしてまた、過剰であるがゆえに、悪徳を批判しながら徳に従って生きようとする市井の人にはその意味が理解できない。p.288