サンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会 Chiesa di Santa Maria in Portico in Campitelli
サンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会(Chiesa di Santa Maria in Portico in Campitelli)は、ゲットー地区にあるバロック様式の教会。1667年、建築家カルロ・ライナルディ(Carlo Rainaldi)と ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ設計。
ペストが流行したのを鎮めた奇跡を起した回廊の聖母が主祭壇に飾られている。
歴史
1217年に列聖された古いサンタ・マリア・イン・カンピテッリ教会が既にあった場所で、カピズッキ家やセルルーピ家(Serlupi)出身のガエターニ・ロバヴェッリ家(Palazzo Gaetani Lovatelli)が所有していた地域で、13世紀にコズマーティ様式の主祭壇があったことが文献に残っている。
現在見られるのはアレクサンデル7世のため、17世紀建築家カルロ・ライナルディが再建したものである。 新しい教会はセナートでローマ市民であったアレッサンドロ7世の命で1656年のペストから解放された記念で建設。そのため、現在戸籍庁が建っている場所にあったサンタ・マリア・インポルティコ教会の12世紀のソーマタジー(奇跡を呼ぶ)な古代のエマーユ画という七宝焼きを収める必要があった。
★ 奇跡を呼ぶ聖母子画の伝説
1662年1月14日に聖母子画はここに移設された。伝説では、524年7月17日ペストに侵された病人が強い光に照らされたという場所、Portico d’Ottavia a Santa Gallaから見つかったと言われる。 教皇ヨハネス1世もこの力を借りた。二人のセラフィムが現れ、聖母マリアのイコンが教皇の手に置かれた、するとたちまち町のペスト菌は消え去ったというの伝説だ。
1703年2月1日の地震では、ローマ人はこの聖母子画の前で祈り続け、聖母のお陰で奇跡的にローマの街は無事であった。それからというもの、毎年2月1日は、ローマの人々は厳粛な祝福を受けるために断食し、毎年そこに集まることを、ローマ上院が厳粛な投票で決められた。 その奇跡の聖母子画は、主祭壇に飾られているエナメルの背景を持つ金色の銅箔の珍しい作品でオディジトリア(導く)という意味の典型的なビザンチン様式のイコンである。
新しい教会は1728年に列聖され、奇跡の聖母画があるという意味で、サンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会に改名された。
外観
ファサード
バロック様式の円柱があるファサード。
クーポラ
後陣
教会内部
カルロ・ライナルディ設計。24本のコリント式の円柱で仕切られており、柱の下が大理石で上から少し色が変わり漆喰装飾が印象的な教会。
アプスがあり、教会内には多数のバロック様式の美術品で飾られている。
主祭壇
12世紀のエマーユ画という七宝焼きを収めるために建設。真ん中の祭壇にあるのが、ペストが流行したのを鎮めた奇跡を起した回廊の聖母である。
ブログ
2019.03
2016.10
参考