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未草

2020.09.21 05:08

https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crudem/170628/index.html

【生薬ものしり事典58 スイレンの別名も持つ「ヒツジグサ」】 より

水上で開花する日本特産の花

梅雨が終わって、盛夏になると、カンカン照りの太陽の下、池の水面に広がる葉の間から抜け出すように「ヒツジグサ」の白い小花が咲き始めます。ヒツジグサは日本特産の多年草で、初夏から秋にかけて各地の池や沼に自生しているのがよく見られます。

艶のある葉は薄手で優しく、花は清らかで慎ましい、日本人好みの植物のひとつといえるでしょう。根茎は短く、水中の泥に直立して、多数の根生葉が繁ります。葉柄は円柱状で、葉は水面に浮かびます。通常、気孔は葉裏にありますが、スイレン属は葉の表にあるのが特徴です。7~8月頃に細長い根生葉の柄の先に、直径5cmほどの白い花が開き、夜には閉じます。花の寿命は数日間で、花が終わると花柄は曲がって水中に潜り、成熟すると浮袋の役目をする仮種皮に包まれて水面に浮上します。その仮種皮もやがて腐って、種子だけが水面に沈み、一生を終えます。

ヒツジグサ

ヒツジグサの学名は「Nymphaea tetragona」で、属名はギリシア神話の水の精に由来します。植物学上の名称はヒツジグサですが、「スイレン」とも呼ばれます。日本の在来種は1種だけですが、スイレン属は温帯から熱帯にかけて、世界に約40種が自生しています。明治時代に外国産のスイレンが日本に輸入されるようになると、その花の美しさから一般に広まりました。その際、輸入種が日本在来種と同じ「スイレン」の名称で呼ばれたことから、ヒツジグサとスイレンが混同される原因になったようです。本来なら「西洋スイレン」と呼ぶか、英名の「Water Lily」「Pond Lily」にちなんで「水生百合」と呼ぶべきだったのかもしれません。

現在、輸入種は品種改良が進んで、数百種以上の園芸種があります。これらの園芸種は、温帯系の耐寒性と、熱帯系の熱帯性に大別されます。花は大輪系と小輪系があり、色は白、黄、紅、紫と多様です。

詩歌に詠まれたのは、輸入種が増えた明治以降に多く、在来種と混同していた歌人が多かったようです。

「水の焚く 夏の香炉の けぶりたる 薄紫の 睡蓮の花」与謝野晶子

「雨明るく なりし目前の ひつじ草」臼田亞浪

牧野富太郎博士は、「日本名の未草(ヒツジグサ)は、未の刻(午後2時)に花開くから名付けられたものだが、開花時間は必ずしも一定でなく、もっと早いこともある。閉花時間は午後6時頃である。花は3日間開閉を繰り返す。漢名は睡蓮、子午蓮である」と述べています。

江戸時代の書『大和本草』には、「此ノ花ヒツジノ時ヨリツボム」という記述があり、明治時代までは、朝開いて、未の刻に閉じると思われていました。牧野富太郎博士はこれを実際に確かめるために、京都の巨椋池で早朝から夕方まで観察を続け、花は正午から午後3時頃までに咲き、夕方5~6時頃に閉じることを確かめたというエピソードが残っています。

フランスの印象派画家クロード・モネはスイレンが好きで、自宅の庭の池にスイレンを植え、スイレンを描いた名作を数多く残しています。花言葉は「清純な心、純潔、信頼」です。


未草は未練を連想させます。


https://true-buddhism.com/teachings/regret/ 【後悔のない人生にする方法】

どんな人でも、人生にはたくさんの後悔があります。あなたはどんなことを後悔していますか?後悔には大きく分けると2つあります。それが、生き方の後悔と、人生全体の後悔です。生き方の後悔については心理学で、人生全体の後悔については仏教で教えられています。人生には、生き方の後悔もたくさんありますし、やがて死ぬときに人生を振り返って、人生を後悔することになるのも大変です。この2つを知っておけば、後悔が減りますので、よく知っておいてください。

後悔とは「後悔」とは、後から悔やむことです。何か苦しい状況に立たされたとき、過去にした取り返しのつかないことを、「あんなことしなければよかった」「あのときこうしておけばよかった」と悔いるのです。

たまに、自分は全力を尽くしてきたから後悔はないし、これからも後悔はしない、という人がありますが、後悔といっても色々あります。

それは、小さなものから大きなものまで、私たちはあらゆる分野で失敗しますから、「どうしてこんな仕事を選んだのだろう」「どうしてこんな人と結婚したのだろう」「あのチャンスをものにしていれば」「あの人に愛していると言えなかった」「もっと子供と一緒に過ごせばよかった」「これまで無駄なことばかりしてきた……」人生には数え切れないほど後悔があるのです。

その人生の数え切れないほどの後悔を大きく分けると、生き方に対する後悔と、人生全体の後悔の2つになります。

生き方の後悔ランキング1位

生き方の後悔は、こんな生き方がしたかったという生き方に関する後悔です。

従来の色々なインタビューなどを見てみると、そんな色々な後悔の中で、一番よくある後悔は、「もっと色々なことに挑戦すればよかった」「他人に合わせすぎた」「受け身だった」というものです。一言でいうと、「もっとやりたいことをやればよかった」ということです。

どちらかといえば、とにかく何かに突撃してしまって、「こんなことをしなければよかった」と後悔するよりも、自分がしたいことがあったのに、それをしなかったとか、言いたいことがあったのに、引っ込み思案で言い出せなかったということが多くあります。

確かに、何かをするにはリスクがあり、誰かしらの反対を受けることもあり、一歩を踏み出せないことがあります。

だからといってやりたいことをやめてしまうよりも、苦労を求めて積極的に取り組んだほうが、未来を開くことができるでしょう。

後悔についての心理学研究

この生き方の後悔については、コーネル大学のトーマス・ギロビッチ教授らの2018年の心理学研究があります。

彼はそれまでの研究から、後悔を分析するために一つの枠組みを考えました。

それは、人間には、色々な後悔を、自分の理想や夢が実現できなかった後悔と自分の決まりや義務が果たせなかった後悔に分けて考えるというものです。

理想や夢が実現できなかった「理想に対する後悔」というのは、例えば、小さい頃つきたかった仕事につかなかったとか、片思いの人に対して何もせず諦めたとか、旅行に行きたかったのに行かなかった、というようなもので、理想の自分を目指さなかったことに苦しむ後悔です。

それに対して自分の決まりや義務が果たせなかった「義務に対する後悔」というのは、例えば秘密を言ってしまったとか、親が危篤になった時に帰れなかったとか不倫をしてしまったとか、困っている人を助けなかったというようなもので、何か悪いことをしてしまった後悔です。

その上で、144人の人に、人生で後悔していることをなるべくたくさん挙げてもらい、

自分で理想に対する後悔か義務に対する後悔か、自分で判定して貰いました。

そうすると72%の人が、最も大きな後悔に理想に対する後悔をあげていたのです。

どうして理想に対する後悔のほうが大きいのだろうと思ったギロビッチ教授は、さらに幾つかの実験で、その理由も解明しています。

それは、あとで後悔する何かが起きたとき、最初は義務に対する後悔のほうが急いで対応しないといけない強い気持ちが起きるために、義務はたいてい果たされるんですが、夢は急いで追いかけようとはなかなか思わないためにいつまで経っても実現できずに心に残ってしまうというものでした。

このことから分かるのは、私たちは、生き方としては、夢の実現に向かって、積極的に行動して行くことが、将来、後悔しない生き方になるということになります。

夢というと、自分には実現不可能な夢を思い描くことがありますが、実現できそうなことなら、何もしないでいるよりも、できる限り挑戦しましょう、ということです。

これが一つ目の生き方に対する後悔です。

ところが人生には、これとはまったく別の2つ目の後悔があります。それが、人生全体の後悔です。でも、人生全体となると話は変わります。

自分の理想を追いかけたり、やりたいことを精一杯やっていれば、後悔のない人生になるのでしょうか?

ところが実際は、やりたいことをやった上に、トップレベルの業績を残した人でも、後悔している人がたくさんあります。

やりたいことをやったのに後悔した人たちダビデ像をはじめ、彫刻、絵画、建築など様々な分野で偉大な作品を残したルネサンスの天才、ミケランジェロは、晩年、このように言っています。

「いまやわたしは知った、芸術を偶像とも君主ともみなしたあの迷妄の情熱がいかに誤っていたかを。人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であるかを」

(ミケランジェロ)

足軽から天下を統一し、太閤にまでのぼりつめ、欲しいものは何でも手に入れた豊臣秀吉は、臨終にこのような寂しい辞世を歌っています。

「露と落ち露と消えにし我が身かな 難波(なにわ)のことも夢のまた夢」

(豊臣秀吉・辞世の句)

俳聖といわれ、教科書に作品が出てくる江戸時代の松尾芭蕉は、最後病気になり、このように言っています。

「この後はただ生前の俳諧をわすれんとのみおもうはと、かえすがえす悔やみ申されし也」

(松尾芭蕉)

スイレンの絵で有名な、印象派の画家、クロード・モネは、晩年このように言っています。

「私の人生は失敗に過ぎなかった。そして残されたなすべきことは、私が消える前に自分の作品を壊すことだけだ」

(クロード・モネ)

文豪・夏目漱石は、晩年の随筆『硝子戸の中』でこのように書いています。

「今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した」

(夏目漱石)

このように、やりたいことをやった上に、才能を発揮してすばらしい結果を残した人たちでも、臨終に後悔しているのです。

すべての人はやがて必ず死んでいきます。私たちも例外ではありません。

人生を終わっていくときには、一体どんな後悔が起きてくるのでしょうか?

それは、よくある「やりたいことをしなかった後悔」とはまったく別の後悔であることが知られています。それが「人生全体の後悔」です。

死ぬときに後悔すること

人生全体の後悔は、元気な時にはほとんどの人は気づいていないので、周りからみれば死が迫っているように見える人でも、生き方に対する後悔をいう人が多くありますが、人は、まもなく自分が死ぬと自覚したとき、今までとまったく違う後悔が起きてきます。

それは、臨終に自分の人生を振り返ったときに起きてくる「自分の人生は一体何だったのだろう?」「自分が生きてきた意味はあるのか」という「人生の目的への後悔」です。

この心の痛みを近年は「スピリチュアル・ペイン」と言われます。

医学では、肉体の苦痛には対処できるのですが、このスピリチュアル・ペインといわれる心の痛みはとることはできません。まったくのお手上げです。

これをお釈迦さまは、「大命まさに終らんとして悔懼(けく)交(こもごも)至る」

(『大無量寿経』)と説かれています。

「大命(だいみょう)」とは、肉体の命です。

「まさに終わらんとして」ですから、命がいよいよ終わろうとする臨終に、ということです。

「悔(け)」とは、過去に対する後悔「懼(く)」とは、未来に対する怖れです。

臨終の人の心に、後悔と怖れが代わる代わる起きてくるということです。

過去に対する後悔とは、これまでの人生を振り返って、何にもならないものばかりを求めてきたという後悔です。

死出の旅立ちには、今まで必死でかき集めたお金も財産も一円たりとも持っていけません。

愛する家族もついては来てくれません。自分の肉体さえも焼いていかなければなりません。人生に求めるものが間違っていたのです。物心ついた頃から死ぬとわかっていたのに、なぜ死の大問題を解決しなかったのか。

未来永遠救われる幸せになる方法を説かれた仏教を聞こうとしなかったのか。

死を見つめずに、目を背けて逃げ回っていたのか。

あと回しにしているうちに、あっという間に人生が終わってしまい、取り返しのつかない後悔をするということです。

生き方の後悔と人生全体の後悔の違いこれは、まだやりたいことがあるとか、あれをやっておけばよかったというような、生き方の後悔とはまったく違う後悔です。

どう違うのか、飛行機にたとえてみるとよく分かります。

人生の生まれた時を飛行機が飛び立った時だとすれば、快適な空の旅の、過ごし方はいろいろあります。

どんな本や雑誌を読もうかとか、座席にもテレビがついていて、映画やニュースも見られますし、ゲームもできます。音楽も聞けます。機内食の時間になると、CAさんがやってきて、「魚料理か肉料理のどちらにしますか?」とか、「何か飲みますか?」と聞かれます。

そうすると、コーヒーとか紅茶とか、オレンジジュースとか水とか、好きな飲み物を頼むことができます。

飛行機の中で何を食べてどう過ごすかは、飛行機の旅を楽しむのにとても重要です。

飲み物を聞かれた時に、英語で聞かれたために、どう言えばいいのか分からなくて本当は欲しかったのに、いらないですというジェスチャーをしてしまうと、あとで後悔します。

そもそも映画を見ていたら熟睡してしまって、CAさんが来ているのに気づかずに、機内食を食べ逃したりすると、起きた時に、「しまったー、映画なんか見なければよかった」と後悔します。

そうこうしているうちに、やがて機内放送がかかります。

「操縦席よりご案内申し上げます。機長でございます。本日は当機をご利用頂き誠にありがとうございます。現在、当機は太平洋の上空12000mを順調に飛行しております。すでにご案内の通り、当機には目的地の飛行場がありません。あいにく燃料はまもなく切れます。皆様、シートベルトを締め、座席とテーブルを直し、トイレもお控え下さい。最後まで当機をお選び頂き、誠にありがとうございました」

驚いているうちに、機体が急降下し始めて、機長が、「業務連絡!客室乗務員は、直ちに着席してください」「お客様の安全は、お客様ご自身で確保してください」と言って、機内放送が途絶えてしまったらどうでしょうか。

これはもう大変です。

機内食の時に、飲み物も遠慮せずに頼んでおけばよかったとか、映画なんか見ずに機内食を食べておけばよかったとか、そんな後悔をしている場合ではありません。

飛行機が墜落するとなった時には、もう全然関係なくなってしまいます。

それと同じように人生でも、もともと命に限りがあることは誰でも知っています。

やがて必ず死ぬんですが、どこへ向かって生きればいいのか、生まれてから死ぬまでに何をすればいいのか、何のために生きるのかという人生全体の目的が分からないまま、目の前の生き方ばかり考えて生きています。

ところが、いよいよ死ぬという時には、飛行機でいえば墜落する時のようなものですから、元気な時に理想の自分になれなかったとか、義務を果たせなかったという生き方は、全く関係なくなります。

飛行機でいえば、ただただ、求めるものが間違っていた、機内食や機内映画は二の次で、まず目的地を見つけるべきだったと後悔します。

この死が来ても崩れない本当の生きる目的を知って、それを達成していないと、一体何のための人生だったのかという人生全体の後悔が起きてしまうのです。

後悔し続ける鳥

一年中雪に閉ざされているヒマラヤ山には、「寒苦鳥(かんくどり)」という鳥が住んでいるといわれます。寒苦鳥は巣を持ちません。それでも昼間はぽかぽかしているので、他の鳥さんや虫さんと遊んでいるのですが、日が暮れると急に温度が下がって、極寒の夜がやってきます。みんなあたたかい巣に帰ってしまい、一人で寒さにブルブルガタガタ震えています。真っ暗な吹雪の中で「どうしてあのとき巣を作らなかったんだろう」と後悔して、「明日こそは巣を作ろう」「明日こそは巣を作ろう」とポロポロ涙を流しながら、長い長い凍てつく夜を過ごすのです。

ようやく夜が明けてポカポカしてくると「今日こそ巣を作ろう」と思うのですが、他の鳥さんが「あーそぼ」と誘いに来ます。「ダメだよ、今日は巣を作らなくちゃ」と言うのですが「少しくらい大丈夫だよ、遊ぼうよ」と言われて、断り切れずに遊びに行ってしまいます。

一日中、心の底で巣のことが気にかかって思い切り楽しめないのですが、抜け出すタイミングがつかめず流されてしまい、また巣を作らずに日が暮れてしまいます。

そして、また長くて寒い夜を「どうしてあのとき巣を作らなかったんだろう」と後悔しながら泣き暮らすのです。

これを「夢の浮き世を日長に思い 暮れて泣きやる 寒苦鳥」と言われます。

私たちも、人間に生まれる前、もっと苦しみの激しい世界にいた頃は、「人間に生まれたら、今度こそ仏教を聞いて果てしない苦しみ迷いの解決をしよう」と固く心に決めて生まれてくるのですが、生まれたらすっかり忘れてしまいます。

自分の欲の心にだまされて、仏教を聞かずにお金や財産を求めているうちに、飛ぶように人生が終わるので、「バカだった」「バカだった」という悲痛な後悔の中、また終わりのない苦しみ迷いへと旅立って行くのです。

それは永久に後悔を残します。ところが、仏教に教えられるように、この死の大問題を解決して、未来永遠の幸せに救いとられると、後悔がまったくなくなります。

後悔のない人生仏教の教えの通りに、変わらない幸せになった人は、それまでのすべてがこの世界に出させて頂くためであったとハッキリします。

「これこそ本当の生きる目的であった」「これ一つのための人生だった」と知らされますのでそれまでのすべてを喜ばずにおれなくなります。

無駄なことは何一つもありません。

無駄なことをしてきたとか、回り道をしてきたという後悔は何もありません。

「我が人生に悔いなし」という限りない喜びの身になれます。本当の生きる目的を達成したとき、一切の苦労は報われ、過去に後悔することは絶対ありません。「辛いことも、悲しいことも、すべて仏様のお導きであった。そのようにしてくだされたなればこそ、仏教を聞いて、この幸せの身になれたのだ」と知らされます。

それほど想像を超えた喜びの世界なのです。

では、どうすれば後悔のまったくない変わらない幸せの身になれるのでしょうか?

それは仏教の真髄なのですが、分かりやすく小冊子とメール講座にまとめておきました。

一度きりの人生決して後悔のないよう一度目を通しておいてください。