「サウスウィッシュボーンにいる弟妹たちについて」:現パロ / 弁護士刹那とハリウッドスターのニールが話してるだけ / 刹フェル要素あり
結論から申し上げるならば、と男は両の手を組みながら口を開く。
「弟さんはあなたとはお会いにならないそうです」
俺はオイルライターの蓋を開けたり閉めたりしていた。男の声などまるで聞こえなかったかのように。
「そんなことは」
目の前の男を見た。若い男だ。浅黒い肌の色をしていて、眦のやや釣り上がった整った顔立ちをしている。髪は濡れ烏のように黒く、瞳は色づいた11月の欅の葉のような色だった。
「そんなことはどうだっていいんだ。なあ、最初にあんたに頼んだ依頼はこうだ。『エイミーに会わせて欲しい』。本当のところをあの子に直接聞きたかったから。あの分からず屋のライルじゃない。素直で心のやさしい、俺の大事なエイミーだ。それになんであいつが出てくるのか、ちっとも分からないな」
「……申し訳ありません。言い方を改めます。妹さんは、あなたには会いたくないそうですよ。ミスター・ディランディ」
「そんなことがあってたまるか!」
俺は声を荒げた。男と俺の間を塞ぐガラスのローテーブルに膝が当たり、ボーンチャイナのコーヒーカップが非難がましい音をあげた。
男はそれが元の状態におさまるのを見届けた後に、俺の方をすっと見上げ、聞き取りやすい声で再びゆっくりと話し始めた
「昨日、弟さんのご自宅にお伺いしました。サウスウィッシュボーンの。素晴らしい邸宅でした」
「俺が買った」
「ええ、あなたがご購入された。でも所有者は弟さんだ。大学のご卒業祝いに、権利を譲渡されましたね、これがその時の書類です」
「それでも、俺のだ」
繰り返される言葉に、男は少しうんざりしたようだった
「お二人にもお会いしました。今回の申し出はなにもかも突然で、本当に驚いていると」
「なにが」
「あなたがお二人と暮らしたがっているということです」
男は鞄から一枚の白い封書を取り出した。
「ミス・ディランディに、あなたが送ったものです。中の一万ドル小切手は、とても受け取ることはできないと。私からあなたに返すようにと言われました」
俺は胸が引き裂かれるような思いで、ガラステーブルの上に置かれた封書を見つめていた。
「お金では解決できないことのようです。残念ながら、ミスター、彼女はあなたを拒絶している。だから、」
「裁判」
「ええ。あなたは裁判に持ち込む。十五歳からずっと、ミス・ディランディとミスター・ライル・ディランディの金銭的な庇護者だったということを理由にして。家族の構成員のひとりとして、同居する権利があると訴える」
男の話を耳に入れながら、俺は立ち上がる。オフィスに備え付けのウォーターサーバーから、『アラスカ氷河の水』を紙コップに注いで入れた。勢いよく、その一万年有余とやらの雪解け水を飲み干して。
「勝てる見込みは?」
俺がそう問うと、男は確信を込めた声で答えた。
「まず間違いなく」
一点もののマホガニーの家具のような、格式張った瞳が俺を見上げていた。
「ですが、気がかりも何点か」
「なんだって?」
「気がかりですよ、ミスター・ディランディ。あなたは唯一の血縁であるお二人と、もう十五年以上顔を合わせていない。多額の生活費を送付するが正体は決して明かさない。いわばダディ・ロング・レッグスだ。そんなあなたが突然お二人とやり直したいと言い始めた。なぜです?」 「家族だからさ。それになにか問題が?」
「十五年も音信不通だったのに?」
「ずっと大事に想ってた」
「ではなぜ一度もお二人にお会いになろうとしなかったのです?」
「こちとら十五の時から働きづめでね」
なんの感情も受け付けない仏頂面で、男は黒目を右側に傾けた。しばらく押し黙ったあと、なにか捉えたような様子で、再び口を開く。
「妹さんはサウスウィッシュボーンを出られるそうです」
「なんだって?」
驚嘆のあまり、俺の手の中の紙コップが揺れ、水が溢れて指を濡らした。
「あの家を出ると申し上げました。とある若者と婚約したそうです」
「何をそんな勝手を、…ライルは?」
「ご婚約には賛成だと」
あいつは馬鹿だ、俺は苦虫を噛み潰すような気持ちで悪態をついた。
「結婚には反対だ。何を勝手なことを、……俺に何の相談もなしに? そんな大切なことを? あの子はまだ子どもなのに」
苛立たしく紙コップをゴミ箱に投げ入れて、俺は声を震わせた。あの子が。両手にいっぱいのシロツメクサを摘んできて、俺に花冠を作ってとせがんできたあのエイミーが。どうせカレッジかハイスクールかでいちばん最初に声をかけただけに過ぎないしょうもない男と、結婚?
「お言葉ですが、ミスター」
男は無礼なほど冷淡な声で言った。
「ミス・ディランディは知性と気品に満ちた、素晴らしい女性です。判断能力は、」
「その知性と気品とやらは、俺が与えたものだ」
俺は男の言葉を遮った。
「全部、俺があげたものだ、俺が血反吐を吐きながら稼いで。時には死にたくなるような気持ちになりながら」
気まずい沈黙がオフィスに流れた。高層階のこの部屋に、西日が甘ったるく差し込んでいる。いやになるほど退屈で感じのわるい午後だった。そうしてその西日は、俺の目の前に座る、この浅黒い肌の弁護士の姿を、くっきりと浮かび上がらせた。
「……先生、恋人はいる?」
俺は沈黙を和らげるように、奴に声をかけた。
「います」
「名前は?」
男は一瞬の沈黙の後、計算問題の解答を言うかのように答えた。
「フェルト」
「いい名前だ、仕事は何してる?」
「パラ・リーガルです」
「パ」
俺は無礼に噴き出してしまうのをなんとか押し留めた。このクソ真面目を絵に描いたような弁護士が、自分の部下に手を出すところを想像する。きっと彼女は色白で細い足首の美人で、どこもかしこもほつれのない完璧な女だろう。この男のように。
「なにか?」
奴は淀みなく俺に問うたが、その言葉尻には不機嫌がにじみ出ていた。俺は意地わるく笑う。こういう時に、さらに追いうちをかけるように無礼なからかいを繰り返すのが、俺の悪癖だった。
「なんも。いやらしいセックスしそうだなって思っただけ」
「羽振りの良いクライアントだからって、何を言っても許されるというわけじゃないぞ」
いよいよ侮辱に耐えられなくなったのか、男は冷たい声でぴしゃりと言い放った。そうこないとやっていられない。だいたいがこの男、俺よりも若いくせにわけ知り顔で、初めて事務所の人間に紹介されたときからずっとずっと気に食わなかったのだ。
「刹那、いい名前だ。あんたの名前……」
俺は小さな声でぼやくように奴を見た。すっきりとした肢体を、トム・フォードのシルクのスーツが品良く覆っている。この男もその恋人とやらの前では、鱗のようなスーツを脱いで、彼女の白い耳朶に甘い台詞を囁いたりするのだろうか。それとも荒々しく、この革張りのソファに彼女を押し倒して、スカートの中に手を滑り込ませたりするんだろうか。
「今は現実に訴えを起こすことが賢明かどうかを考えましょう。私としては、もう一度お二人にお会いになる努力をするべきだと思いますが」
男は俺の言葉には耳を傾けない。おそらく最初からそうだったのだろう。奴にとっては、俺は金払いが良いだけのただの成金で、奴が他に抱えているであろう大企業同士のM&Aや、IT長者との顧問契約に比べれば、他愛もない瑣末なクライアントに違いない。
「ミスター・ディランディ。ご自身の今、ありのままを受け入れたほうがいい」
西日の差すオフィス。ぼんやりとした頭のまま、俺は男の言葉に耳を傾けていた。
「絶望するのは勝手だが、裁判に持ち込むかどうかはあんた次第だ。戦えば、俺は勝って、昇給する。でもあんたの行く道は泥沼の地獄だ」
俺は拒絶され、この男の右手には美しい恋人がいる。ライルは俺を心底嫌っていて、エイミーにとっては、俺は死んだも同然の赤の他人。永遠に失われたのは、両手につなぐ弟妹の手のぬくもり。
俺はオイルライターの蓋を開けたり閉めたりしていた。永遠に。この手はサウスウィッシュボーンには届かない。
「刹那、俺はやってられねえよ。こんなクソみたいな現実……なにもかも放り出して、なあ。ワインでも飲みに行かないか」
男は肩をすくめるような仕草を見せて、悪くないなという顔をした。