ポジティブ思考=最上のもの?
2020年9月に書いていてすっかり忘れ去っていたものが下書きに残っていたのでそのままアップしようかなと思います。
なんでもかんでも前に、上に、行かなければ!の精神(あるいは周りの空気)はときにわたしたちを蝕むこともある。もちろん前に、または上に行こう!というその心や精神こそが尊く、人間らしいところでもあるんだけども、最近ちまたで大安売りされている「ポジティブ」ってそういうことじゃない。たまに立ち止まり、振り返ったり落ち込んだり、俯瞰から眺めて自分の立ち位置を確認したり、そういうことも大切なのだ、と思います。
こんな時代だからこそ、あなたはあなた、わたしはわたし、落ち込んだり凪いだりしながら人生の波を眺めたり乗ってみたり。
今日ほんと何にもしなかった…と落ち込む必要もあまりなさそう。何もしないこともまた、良い選択なのでね!
以下は去年のわたくしより↓
最近読んだクーリエ・ジャポンの記事で、『toxic positive』という言葉を知りました。
この記事がなかなか興味深かったのですが、toxic positiveとはその名のとおり『有害なポジティブ思考』というもの。前向きに生きることこそ最良のもの、とされる風潮のご時世にノーと呈する内容でした。
厳密には、ポジティブであることはとても強力なストレス対処法になるけれど、いきすぎた(有害な)ポジティブ思考は、厳しい状況に陥ったときにネガティブな面から目を背け、自分の辛さをないものにして、解決から遠のく、あるいは思考停止する、といったかんじです。
気休めって時には大切ですが、それが常になると、対処すべき問題など存在しないんだと自分を騙していることになりかねません。よく考えて解決に取り組む機会を自ら手放している、ということにも繋がります。
この数ヶ月、わたしたちを取り巻く環境が大きく変わり、やれ新しい生活様式だとか、マスク着用の義務だとか、リモートワーク推奨だとか、集会禁止とか、とにかく『個にならざるをえない』状況を上から押し付けられている感が拭えません。
なんだかんだ言って人はひとりで生きていくにはあまりに弱すぎる生き物で、そして鬱屈としたひとりの時間が長ければ長いほど、心身ともに落ち込んできます。
『もうちょっと我慢すればきっと良くなる』とか(それっていつ?なにをきっかけに?)『しんどいけど、わたしだけじゃないし』(あなたの苦しみや辛さはそもそもあなただけのものであって、人と比べる必要がないのですが)といったもので自分の辛さやから無闇に目を背けることも、いわばtoxic positiveに当たると思います。
あ〜しんどい!辛ぇ!と感じるのは決して悪いことではないし、ましてや今のような状況で感じない人の方が珍しいのではないかと思います。
がんばれという言葉やちょっと無理やりにでも前に進もうとする人が煩わしく思えるときは、そういうものと距離をとって『なんで今わたしはこう思っているのかな?』と自分が納得するまで(あるいは腑に落ちるまで)考える時間を持ったって全然いい。結果として前に進むことになったとして、それは決して『有害なポジティブ思考から生まれたもの』ではないから。
と、最近そのようなことをつらつらと考えたりしています。
思考を手放さない、ということはとても大切な、自分だけのものであるように思えるので。