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松浦信孝の読書帳

くらしの再編集

2020.09.28 01:11

世界がコロナに翻弄されるようになってから、もしくはその少し前の昨年から、様々な出会いをしている。

外出できる時には直接、自粛期間に入ってからはZoomで、普段出会えなかったはずの人達に会い、いろんな刺激を受けてきた。



昨年末あたりに友人に語った自分でも印象深い言葉は、「周りにいる人が変わった」である。



思えば、人生の節目節目で、その時そばにいる人たちから、自分は多くのことを教わってきた。



その新たな局面を象徴する一言が、前述の言葉になる。



ああ、自分は変わった。



それも今までとはどうやら、方向性の違う変化が来ているようである。



昔から、変わるという言葉に妙に惹かれる。

小学校低学年で夢中になったデジモン、ポケモンは「進化」がテーマだし、大好きだった昆虫も「変態」で幼虫から成虫に全く異なる変化を遂げる。

機会あれば観てしまう仮面ライダーは「変身」するものだし、高校時代自分にとって「変人」は褒め言葉だった。そして自分のカラオケでの十八番は「変わったー!」と絶叫するサビでおなじみの「君は薔薇より美しい」である。歌詞の中で変わったのは相手の女性だったりするのだけど。


そもそも自分が自分に対して課している人生のテーマは「変わり続けること」であった。


変わらなくなったら生きていても死んだようなもの。縁起物として挙げられる海老のように、脱皮し続けていたい。それが自分にとっての、生きるということだから。



そして最近、その変化の方向性が、読む本の傾向のさらなる変化に象徴されながら、生活全体を再編集していこうとする流れになっている。

おそらく軸は、「丁寧なくらし」である。何気なくやり過ごしていく一つ一つを、見直していきたいと思い始めた。



ここでその変化の来し方行く末を、読む本の傾向で振り返っていきたい。



大学に入りたての頃から、書店「読書のすすめ」通称どくすめに出会うまで、自分は自己啓発本とか、日本や海外の翻訳本のビジネス書などを読み漁っていた。

「東大〜」「ハーバード〜」「スタンフォード〜」「〜が9割」「最速で〜」「〜すれば成功する」「斎藤一人の〜」

など、よく見るような接頭辞、接尾辞の本にお金を払う、今からすれば可愛げがあるがちょっと痛い若者、それが自分であった。

ただ、あの段階が、「色々読んでもあんまり自分は変わってないかも」、と感じさせるあの時期があったからこそ、次の段階へ手を伸ばすことにつながったのだとも思う。何よりその行動は、「変わりたい。今より成長したい。」という気持ちの現れであったことは間違いないから。



そして読書のすすめに通うようになる。きっかけは大学5年生になって、経験したこともないようなリーダー職を任されてしまったから。もっと勉強しなきゃいけない、そうした気持ちが、普通の書店で見たこともなくて、難しそうな本が並ぶ(当時はそう感じていた笑)読書のすすめに足を運ぶきっかけになっていった。最初は店員小川さんの手ほどきで、どくすめ店内でも読みやすそうな本から、次第に、奇人変人のパワフルなエピソードを集めた名著『百魔』杉山茂丸著とか、師匠山岡鉄舟について弟子が書いた熱い本『おれの師匠』小倉鉄樹著、など、古くて難しそうな(旧漢字がどんどん出てくる)、けれど読んだらめちゃくちゃ面白い本に出会い、難しそうな本に挑んでいくのが楽しくなった。

古い本でも面白ければ読める、という自信をここで得ることになる。


そのあとで『生くる』とか、『友よ』とか、『根源へ』といった執行草舟シリーズを読むようになる。『おゝポポイ!その日々へ還らむ』が1番執行草舟のはっちゃけたお茶目な部分が出ていて好きなのだが、どの本もゴツくて濃いので読み応えがある。ただ、これらの本と自分は相性が良過ぎたらしく、次第に、「思索を深めて観念で殴る」タイプのとっつきにくい人間になってしまっていたように思う。



これらの名著を生かし切るには、海のような情緒を自身が内包している必要があったのだ。

思えば、思想の本に対して小説の比が小さ過ぎ、考えていることと、人間の実生活で起きるドラマを結びつけて、地に足をつけて生きるということが物凄く不足していた時期だったと思う。


その辺りで、読書のすすめ店員の、小川貴史さんがセンジュ出版の本を紹介してくれた。



最初は、『子どもたちの光るこえ』香葉村真由美著

であった。



小学校教師であった著者が、教室で起こった、生徒たちとのエピソードを綴った一冊。

キラキラ朝礼、という元気いっぱいの朝礼で世間的には物議を醸した人かも知れないけれど、実直で愛に溢れた言葉が詰まっている。

自分も小学生の時に経験したことだけれど、他の先生とか、教室にいない大人が悪く言うような先生でも、子どもにとっては「最高の先生」だったりすることは大いにある。

教室は、生徒と先生のもの。その関係性を他の人が外から見てとやかく言うのは違う。

その教育を受けた当事者が、しばらく経って振り返って初めて、その価値を評価することができる。

僕にとって最高の先生は今でも、小学校三年生で担任をしてくれた、ある意味子供っぽい、生徒の視点まで降りてきてくれた人である。


なんてことを考えるような、世間的にはメジャーじゃないかもしれないけれど、「素朴な味わいと、問いを投げかけてくる読後感で心に残る一冊」が次々出版されていくのが、センジュ出版の不思議なところである。


この著者なら間違いがない、というのがよくある話かもしれないが、この出版社なら間違いがない、というのがセンジュ出版のすごいところだ。故に既刊が増えるほど、後の著者のプレッシャーが上がっていくことにもなる。



そして自分が感じるセンジュ出版の本の真価は、本という論理と思考で書かれ、読まれる媒体でありながら、詩のように自分ではわからない心の奥底にある、人間愛や、やさしさを賦活していく本になっている。ということである。


感性を蘇らせるための本。でも、感性に振り切っているわけではなく、本に読み慣れた人でも手に取って読めば、自分でも気づかないうちに心の奥に沈んでいたやさしさを蘇らせる。



そうした本が、長らく自分の欠けていた片割れのように、そっと寄り添ってくれることで、自分の思考が変わり、出会う人が変わり、行動が変わり、今まで出会ってこなかった自分に出会った。


いや、きっと知っていたのだけど、忘れてしまっていたのだ。本はそれを思い出させてくれた。


その現時点での集大成が、「くらしの再編集」である。


日々の仕事、歯科医師としての学び、キャリア形成。今後の人生の展望。


その奥底に、1つの生命として、瞬間瞬間に与えられ続けているメッセージのレイヤー(層)に気づき始めたのだろう。


どくすめ、茶室、北千住のスナック、ヨガスタジオ、岡山など、別々の場所で出会った心の師匠達が、口を揃えて同じ事を教えてくれる。「こっちでいいんだよ。」と。


そしていま、その再編集の方向性が衣食住にも向かい始めた。


何を着るか。どう住むか。何を食べるか。誰と食べるか。身の回りの家具、食器・・・


今まで見向きもしなかった、部屋で共に時間を過ごすもの達を、感性に合ったものに入れ替えていくこと。


贅沢なものを揃えるわけではなく、あくまで自分が反応したものを身の回りに置いておくこと


まだ、手を付け始めたばかりだけど、何か変わっていくのではないか。という大きな予感だけが今はある。


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